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ホモ・エレクトゥス

ホモ・エレクトゥス Homo erectus

新生代第四紀の更新世に、アフリカとユーラシアに生存していた人類(→ 人類の進化)。日本語の原人に相当するが、ホモ・ハビリスも原人にふくめる場合は、「後期の」原人と考えればよい。進化段階ではホモ・ハビリスと旧人の間に位置づけられる。この種の化石が最初に発見されたのはジャワ島のトリニールで、以後サンギランなどジャワ島の他の遺跡でも出土している(→ ジャワ原人)。また、中国(このうち周口店遺跡出土のものがいわゆる北京原人)やアフリカでもあいついで化石がみつかった。ホモ・エレクトゥスとは「直立するヒト」の意味で、およそ180万年前にあらわれ、その後短期間のうちにユーラシア大陸へと広がっていったと考えられているが、後述するように、その初期の進化史については大きな謎(なぞ)がのこされている。

体つきは現代人とよく似ていたが、体の大きさは現代人よりもむしろ大きい傾向があったらしい。一方で、後方へ傾斜した額(ひたい)、やや前方へつきだした口の部分といった原始的特徴をしめし、かつ目の上の隆起が強度に発達するという独特の特徴もあわせもつ。脳の容積は800~1200ミリリットル程度で、ホモ・ハビリスより大きく、現代人に近づきつつあることがわかる。歯が縮小していることや、一緒に出土した動物の骨に石器の傷跡がみられることなどから、肉食をある程度おこなっていたことは確実である。ただし、ホモ・エレクトゥスがこうした動物を狩猟によってえていたのか、それとも死肉をあさっていたのかは、はっきりとわかっていない。また食物を調理し、身をまもる手段として火を使用していた可能性も指摘されている。

1990年代前半までは、アフリカに出現したこの人類が、最初にアフリカを出てユーラシアへ広がった年代は100万年前ころで、ホモ・エレクトゥスの誕生から80万年ほど経過していたと考えられていた。しかし最近の発見により、この見方は修正を余儀なくされている。より古い年代をしめすもっとも確実な証拠は、黒海の東側に位置するグルジア共和国のドマニシ遺跡からのものである。おおよそ175万年前とされる地層から出土した、きわめて保存のよい頭骨や下顎骨(かがくこつ)化石6点は、最初期のホモ・エレクトゥスにふさわしい原始的特徴をそなえていた。さらに最近、中国の遺跡でも、同時にみつかった石器の出土層が166万年前と報告されている。ドマニシにおける古く原始的なホモ・エレクトゥス化石の発見によって、ホモ・エレクトゥスは、本当はアフリカではなくアジアで進化したのではないかという、新たな疑問までも生みだしている。

一方、インドネシアのジャワ原人化石の最古のものは、180万年前までさかのぼるとの考えも提示されている。しかし、この説には反対意見もあり、なお検討の余地がのこされている。いずれにせよ、人類最初のユーラシア拡散の年代とルートについては、新たな検討がはじまったばかりであり、さらなる詳細については、今後の調査の進展をまたねばならない。

▲ 人類誕生