伊達家
伊達家
伊達氏(だてうじ/いだてうじ)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部(南東北)を本拠とした一族で、藤原氏の藤原北家山蔭流と称する。庶流として伊豫国、但馬国、駿河国にてそれぞれ分流がある。
伊達家 仙台藩 竹丸に二羽雀 62万石
陸奥宮城郡仙台(仙台市) 外様 国主
移封加減増履歴・天正19年→陸奥仙台58万石・慶長5年→60万石・慶長6年→60万5000石・慶長11年→61万5000石・寛永11年→62万石
専売品&専売開始年・塩(寛永頃) 米(寛永末年頃) 人参(天明頃)
江戸城詰席・大広間 伯爵
上屋敷・芝口三丁目海手(安永・文久)
参勤・参府は3月中下旬に仙台発、帰国は4月下旬~5月上旬にに江戸発、通例7泊8日の道中
延宝3年9月の綱村初入国の供人数は、騎馬59騎、徒衆54人、鉄砲60挺2組、弓60張2組、持筒150挺3組、持弓50張1組、長柄60本2組など、陪従を含め3480人ほど、陪従は600石の藩士だと30人の従者+人足18人を雇ったという
人口・全領地総計81万8061人、この内家中18万2678人、寺院6249人、農民55万7204人、町人2万374人 寛保2年(1742)現在
城下町人口は安永期(1772-1780)6万人ほど。城下侍屋敷数は延宝期の末(1678-1680)で3288軒
仙台藩主
藩祖 | 伊達政宗(まさむね) | 伊達輝宗長男 | 家督・天正12年(1584)相続 | 従三位権中納言 | |
2代 | 伊達忠宗(ただむね) | 伊達政宗次男 | 家督・寛永13年(1636)相続 | 従四位下右近衛少将、陸奥守 | |
3代 | 伊達綱宗(つなむね) | 伊達忠宗六男 | 家督・万治元年(1658)相続 | ||
4代 | 伊達綱村(つなむら) | 伊達綱宗長男 | 家督・万治3年(1660)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
5代 | 伊達吉村(よしむら) | 家臣伊達宗房の子 | 家督・元禄16年(1703)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
6代 | 伊達宗村(むねむら) | 伊達吉村四男 | 家督・寛保3年(1743)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
7代 | 伊達重村(しげむら) | 伊達宗村次男 | 家督・宝暦6年(1756)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
8代 | 伊達斉村(なりむら) | 伊達重村次男 | 家督・寛政2年(1793)相続 | 従四位下左近衛少将 | |
9代 | 伊達周宗(ちかむね) | 伊達斉村長男 | 家督・寛政8年(1796)相続 | ||
10代 | 伊達斉宗(なりむね) | 8代伊達斉村の次男 | 家督・文化9年(1812)相続 | 従四位下左近衛少将 | |
11代 | 伊達斉義(なりよし) | 一関藩田村村資の三男 | 家督・文政2年(1819)相続 | 従四位下左近衛少将 | |
12代 | 伊達斉邦(なりくに) | 一門伊達宗充の子 | 家督・文政10年(1827)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
13代 | 伊達慶邦(よしくに) | 伊達斉義三男 | 家督・天保12年(1841)相続 | 従四位下左近衛中将 | |
14代 | 伊達宗基(むねもと) | 伊達慶邦四男 | 家督・明治元年(1868)相続 | 従二位 |
***以下 未整理
御先祖戦記(伊達政宗の先祖達)
(「尊卑分脈」「伊達正統世次考」「寛政重修諸家譜」を元に作成)
○天御中主尊(国造り神話以前)アメノミナカヌシノミコト
日本書紀・古事記に記された神々の系譜の最初の神。別名:妙見尊星王。
天御中主神、天御中主命とも。
古事記神話の造化三神のうちの1人。
高御産巣日神(タカミムスビ)、神産巣日神(カミムスビ)と共にこの世の最初に出現したとされている。
中国古典の北極星の神、元始天王と同一神か??
この神様の5世孫にイザナギ、イザナミがいたりします。
鵜甘神社、千葉神社、秩父神社、東京大神宮、四柱神社、釧路神社、青麻神社、
相馬小高神社、相馬中村神社、相馬太田神社、岡太神社、飯盛神社などに祭られています。
伊達氏を神話の時代まで遡ると、この神様に行きつきます。
と・・・言うか、渡来系を除いたほぼ全ての姓がここに行きつくのですが(笑)
しかし・・・こんな所まで知りたいと思う人っているのかな(爆)
この後、延々と神様か人かもわからない名前が続く・・・(^_^;;;;
○天八下尊 アメノヤサガチノミコト
雄勝法印神楽の四天における、北方冬(90日)の首領
「先代旧事本紀」等に見られる。
独化天神第一世
○天三下尊 アメノミサガチノミコト
真言宗智山派神童寺村社の祭神。
雄勝法印神楽の四天における、西方秋(90日)の首領
天三降尊(アメミクダリノミコト)とも。
独化天神第二世
○天合尊 アマアヒノミコト
雄勝法印神楽の四天における、東方春(90日)の首領
天鏡尊とも
独化天神第三世
○天八百日尊 アメノヤオヒノミコト
真言宗智山派神童寺村社の祭神。
雄勝法印神楽の四天における、南方夏(90日)の首領
独化天神第四世
○百日萬魂
天八十万魂尊(ワケアメノヤソヨロダマノミコト)とは同神?兄弟神?
独化天神第五世?
○津速魂命(伊邪那岐神・伊邪那美神の時代)ツハヤムスビノミコト
津速産霊神とも言う。卜部系氏族祖神。
「古事記」や「日本書紀」に造化の神として記されている。(津速産霊神)
兄に高皇産霊神(高天原)、弟に神皇産霊神(出雲)がおり、対立する2大勢力の仲立ち?
○市千魂命 イチチタマノミコト
八坂神社の祭神
○興澄魂命霊神 コトムスビノミコト
興澄魂霊神、興台産霊子、居々登魂命?
○天児屋命(天照神話~天孫降臨神話の頃)アメノコヤノミコト
中臣氏の祖先神。八意志兼命?天児屋根命?天小屋根命?
天照大神が岩戸に隠れたときに、岩戸の前で榊を立て祝詞を奏して祭祀を行った。
ニニギの天降りの時も五部神の一人として従ったと伝わる。
枚岡神社、春日大社などの祭神。
○天押雲命 アメノオシクモノミコト
神武東制に従った天種子命の父とされている。天孫降臨で雲を押し分けたイメージの神格化か?
天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)が同神だとすると、春日大社・摂社 若宮神社に祭られている神様。
○天多彌伎命 アマタノネギノミコト
天種子命(アメノタネノミコト)と同神?
○宇佐津臣命 ウサツオミノミコト
天宇佐津臣命とも。
神武東制の時に、宇佐に住んでいた宇佐津姫(高皇産霊神の子孫)と天種子命が結婚して出来た子供とされる。
邪馬台国宇佐説を取ると、邪馬台国出身の神??
○御食津臣命 ミケツオミノミコト
大御食津臣命、天御氣津臣命と同一人物か?
○伊賀津臣命 イカツオミノミコト
伊香津臣命とも。近江風土記に登場。
○梨近臣命 ナシズオミノミコト
梨跡臣命、梨迹臣命(リトオミノミコト)と同一人物か?母は天女。近江風土記に登場。天女とは渡来人のことか?
○神聞勝命(崇神期)カムキキカツノミコト
大中臣。「常陸風土記」の中に
「崇神天皇の時~略~神聞勝命はそのまま鹿島に止まり、祭祀に奉仕することとなる」
との記述があります。
前代の梨近臣命までは「近江風土記」に記述が多く、この後は「常陸風土記」に記述が多くなっています。
中臣氏の先祖が近江から常陸に移住(配置換え?左遷された?)したって事を示しているのでしょうか?
○久志宇賀主命 クスウガヌシノミコト
「常陸風土記」に登場。
○国摩大鹿島命 クニウズオオカシマノミコト
「常陸風土記」に登場。
○臣陜山命 オミノサヤマノミコト
「常陸風土記」に登場。