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伊達晴宗

伊達晴宗(だてはるむね)
永正16年(1519年) - 天正5年12月5日(1578年1月12日)
父・伊達稙宗の長男
母・芦名氏
次郎
伊達氏15代当主
左京大夫
従四位下
妃・岩城氏久保姫  
子・伊達親隆岩城親隆)、伊達政景、伊達昭光石川昭光)、伊達盛重、伊達政重国分盛重)、伊達直宗杉目直宗)、伊達輝宗
子・某、某、某、某、某

伊達晴宗の長男・・・岩城親隆伊達親隆
1537年(天文6年) - 1594年(文禄3年)
伊達晴宗の三男?・・・石川昭光伊達昭光
天文19年(1550年) - 元和8年7月10日(1622年8月16日)
伊達晴宗の五男・・・国分盛重伊達政重
天文22年(1553年) - 元和元年7月15日(1615年9月7日)
伊達晴宗の六男・・・杉目直宗伊達直宗・杉目城主)
生年不詳 - 天正12年6月10日(1584年7月17日)

【父との確執が天文の乱を引き起こす】 
稙宗の嫡男。室町幕府第十二代将軍足利義晴より一字を賜り、晴宗と称する。
「独眼竜」政宗の祖父にあたる人物であり、また父の政策を批判し伊達家の内紛である有名な「天文の乱」を引き起こした人物でもある。「天文の乱」の引き金となった出来事は1542(天文11)年の父である稙宗自身による弟、実元の越後守護職上杉定実への入嗣とさらに女婿である相馬顕胤に対する伊達家領土の割譲である。これらの政策はただちに重臣等の反発を招いた。重臣等は嫡男である晴宗に直訴、事態を憂慮した晴宗は即座に行動を起こして同年6月稙宗を西山城へ幽閉した。これ以後、伊達家は稙宗派、晴宗派の2つに分かれ、さらには奥羽の諸大名までも二分する「天文の乱」に発展する。緒戦は稙宗方が有利であった。しかし、稙宗方の諸氏が次第に晴宗方へとながれ、時間とともに晴宗方が有利となった。最終的に乱は晴宗の勝利に終わり、家督を継いだ晴宗は室町幕府から奥州探題という奥州を統治する役職に任命され、伊達家の戦国大名としての勢力をますます強めるのである。

伊達家