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伊邪那美命

伊邪那岐命 / 伊邪那美命
イザナギノミコト / イザナミノミコト

別称:伊弉諾尊 / 伊弉冉尊
性別:♂ / ♀
系譜:高天原の神、神世七代の最後の二神。初めての夫婦神である
神格:人類の起源神、結婚の神 / 創造神、万物を生み出す女神
神社:多賀神社、伊弉諾神社、伊佐須美神社、筑波山神社、三峰神社、愛宕神社、玉置神社、英彦山神宮、江田神社、花窟(ハナノイワヤ)神社、闘鶏神社、波上宮

 伊邪那岐命伊邪那美命は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる国生みや、地上の営みを司る多くの神々を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。特に、男女が結婚して子を産むという、我々の生活にそのまま当てはまる活動をしているという点で、宇宙を創造した天之御中主神をはじめとする他の根源神たちと比べて一番親しみやすい神さまであろう。
 この二神は、いってみれば日本の国の祖神といえるわけで、しかも、我々の生活に関わる神々の創造主であることから、一般的に縁結び、子宝、子育て、夫婦円満といったことに始まって、諸々の神徳を発揮する万能の神でもあるとして崇敬されている。ただ、この神がもともとはどういう神であったかということになると、よく分からないことが多い。一般によく言われているのは、古くから各地にその地域社会で信仰されていた土着的な創造神や始祖神がいた。そうした名もない土着神の伝承が、ひとつの神話に整理統合されたのではないかということだ。
 その意味では、伊邪那岐命伊邪那美命に関する神話の内容を大陸や東南アジアの神話とつきあわせてその共通性を求めるといった作業をしていくと、日本民族のルーツの問題にもあたる。それについてはまたいつか述べるとして、ここでは我々の身近な神社に祀られている伊邪那岐命伊邪那美命について見ていこう。

 神話では、伊邪那岐命は三貴神(天照大神、月読神、素盞鳴尊)の父神とされており、高天原の最高神天照大神の祖神に当たるわけである。まず、伊邪那岐命に関して我々がふだんの生活のなかで身近に接することといえば、やはり神社に参拝したときに受けたりする禊祓の儀式である。わざわざ神主からお祓いを受けるまでもなく、拝殿の前にある手水舎(チョウズシャ)で何気なく柄杓に水を汲んで手に注いだりする。これも心身を浄める意味があり、もともとは伊邪那岐命が御祓をしたことにちなむもので、神主が神祭りを行う場合に、精進潔斎して俗世界の汚れを祓い落として豊作などの祈願をおこなう禊祓の儀式を簡略化したものである。神徳がどうのこうの言う以前に、こうした信仰の習慣として我々は伊邪那岐命に触れているというわけである。
 伊邪那岐命がおこなった御祓については、別項「禊祓」を参照していただきたい。日本人は古くから穢れ(不浄)というものを特別に意識し、嫌っていたようである。それはなぜかというと、神はそもそも清浄であり、人間は神の「分霊(ワケミタマ=神と同じ自然の一部)」なのだから、その本質は清浄であるべきだと古代の人々は考えたからだ。伊邪那岐命が黄泉の国の穢れを祓い落とす場面などは、生命を尊び、死を嫌うという観念の現れのようである。そこから発展して、人間の罪や悪行、病気やけがなど、正常で平穏な生活に災いをなすいっさいのことは、穢れによるものと考えるようになった。
 つまり、たとえば病気でも、その原因は病を起こさせる穢れであって、これを祓い落とすことで病気を治すことができると考えたわけである。禊祓というのは、神に近づきコンタクトする手段であり、それによって神の霊力を受けやすくするということである。
 禊祓というものは我々の生活のなかに知らず知らずのうちに入り込んでいる。たとえば盛り塩は、禊祓の方法として古くは海水が使われたことから来たものだし、相撲の力士がまく塩もこれの延長である。他に、人形に罪穢れを託して川に流す流し雛や、旧年中の厄を祓って身を清めるという豆まきの行事も、禊祓の儀式の一種なのである。

 一方、伊邪那美命については、多くの大地を生み出したとされることから大地と深く関係した存在と考えられている。伊邪那岐命の天父神的性格に対して大地母神的な性格を持っているといえる。これは、人間が豊穣を願う心を反映しているといえる。
 また、禊祓の項で述べたが、伊邪那美命には黄泉の国の神としての顔もある。神でありながらも神で冥府、死の世界の代表者として祀られたりもするわけで、伊邪那岐命がこの世の代表とすると、伊邪那美命はあの世の代表というわけである。黄泉平坂での言い争いにも「わたしは地上の人間を一日に1000人殺す。」「それならばわしは一日に1500の産屋を建てる。」とあるように、伊邪那美命は人間の寿命を司る神でもある。
 考えようによっては非常に恐ろしい神だが、やはり多くの神々を生みだした母神的な性格の方が目立つ。伊邪那美命が生みだしたさまざまな神霊がこの世界を限りなく豊かにしてくれているのだ。たとえば、日本の四季折々の変化なども、いってみれば伊邪那美命の営為があったからである。つまり、この神は我々の住むこの世界のよりよい環境や心の豊かさを守ってくれるというのが本来の顔であり、むしろ死の神としての顔の方が一面にすぎないといえるだろう。