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六角義治

六角義治(ろっかく よしはる)
1545~1612
四郎 義弼 右衛門督
父・六角義賢
養子・佐々木(大原)定治
 南近江・六角氏当主。1559年父より家督を継ぐが、家中の実力者である重臣後藤賢豊父子を謀殺したことから、家臣の離反を招き、北近江・浅井氏の侵攻を許した。1567年家臣団が「六角氏式目」を制定、義治は支配力を失っていき、翌年尾張・織田氏の侵攻を受けた際は、大半の家臣は降伏し、義治は父と共に城を捨てて逃げる。その後も旧臣を頼り、織田氏に抵抗するが敵わず、義治は甲斐・武田氏を頼った。武田氏滅亡後浪人し、やがて豊臣秀頼に仕えその弓術指南役ともなっている。