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北白川宮家

北白川宮家
慶応4年(1863)正月創始
宮号変遷・聖護院宮→照高院宮
嘉言親王は聖護院宮と称していたが、明治元年に弟の照高院宮智成親王を養子にし、明治3年に宮号を北白川宮と改める。
3代能久は維新の際に輪王寺門跡の付弟(当時は公現入道親王と称した)として江戸にあり、彰義隊に擁立されて征東軍と対立。上野から会津、仙台へ脱出し奥羽越列藩同盟の軍事総督となるも降伏。
京都の伏見宮邸にて謹慎していたが、明治5年に智成親王の遺言により当家を相続することになる。

初代・嘉言(よしこと)
光格天皇養子(伏見宮邦家親王の第二王子) 母は上野氏
生没・文政4年(1821)~明治元年(1868)
天保3年(1832)親王宣下、同年に得度するも慶応4年(1868)還俗
一品、聖護院門跡、内国事務総督
正室・不詳
子女・2代智成
2代・智成(さとなり)
孝明天皇養子(伏見宮邦家親王の第13王子) 母は伊丹氏
生没・安政3年(1856)~明治5年(1872)
慶応2年(1866)親王宣下、同年に得度するも明治元年(1868)還俗
三品
正室・不詳
子女・養子能久(3代、伏見宮邦家親王の第九王子、正室は土佐藩山内豊信の娘、継室は島津久光の養女であった宇和島藩伊達宗徳の娘)

大名