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天之御中主神

天御中主神
アメノミナカヌシノカミ

別称:特になし
性別:♂
系譜:造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱で、別天神(コトアマツカミ)五神の第一神
神格:宇宙の根源神、高天原の最高司令神
神社:青麻(アオソ)神社、相馬小高神社、相馬中村神社、秩父神社、岡太神社

 「天地初めて発けし時、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、神産巣日神、此の三柱の神は、並独身神と成り坐して、身を隠したまひき」
(てんちはじめてひらけしとき、たかまのはらになりませるかみのなは、あめのみなかぬしのかみ、つぎにたかみむすびのかみ、かみむすびのかみ、このみはしらのかみは、みなひとりがみとなりましまして、みをかくしたまひき)
『古事記』上巻
 天之御中主神は天地開闢(カイビャク)神話で宇宙に一番最初に出現し、高天原の主宰神となった神である。その名が示すとおり宇宙の真ん中に在って支配する神で、日本神話の神々の筆頭に位置づけられている。そういう偉い神なのだが、その姿はほとんど神秘のベールに包まれているといっていい。なぜなら、宇宙の始まりに現れたものの、たちまちのうちに「身を隠す」からである。顔も姿も現さなければ、語ることもなく、人間に分かるような形での活動は一切しない。本来が「その姿を知らしめない」という日本の神さまの典型ともいえる。仏像のような偶像の具体的なイメージに慣れた今日的感覚からすればなんとも歯がゆい感じもするが、日本の神霊とはそういうものなのである。
 そんなふうに人間界と隔絶した感じのする神さまであるが、だから何もしなかったというわけではない。要はその活動が人間には分からないだけで、天之御中主神は、その後に登場してくる多くの神々による一切の創造的な作業を司令することがその役割だったといえる。つまり、果てしない創造力と全知全能の力を持つ至上神なのである。
 以上のように宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という考え方から、天之御中主神は神社信仰や神道をきちっとした体系としてとらえようとする、いろいろな神道説のなかでも中心的な神として位置づけられたりしている。たとえば、伊勢神宮外宮の神官の度会(ワタライ)氏が創始した神道説に基づく度会神道や、朝廷の神祇官を務めた卜部家の子孫、吉田兼倶(カネトモ)が大成した神道説に基づく吉田神道などがそうである。また、江戸時代の国学者によって提唱された復古神道(仏教や儒教の影響を排除した古代からの純粋神道を唱える神道説)などでも中心的な神格とされている。

 天之御中主神が一般に馴染みのある姿を現しているのが「妙見さん」である。神話では「古事記」の冒頭と「日本書紀」の一書第四にしかこの神の名は登場しない。それだけでなく、平安時代初期の全国4132の主な神社が載っている「延喜式」の神名帳などにも、この神を祀る神社が見あたらない。そんなふうに、中世までは庶民の信仰に顔を出さなかった天之御中主神であるが、近世になると仏教系の妙見信仰と深い関係を持つようになる。
 そもそもこの神の「天の中心の至高神」という性格は、中国の道教の影響による天一星信仰、北斗信仰、北極星信仰などがベースになって成立したものと考えられている。そこから、室町時代以降、日蓮宗において盛んに信仰されるようになった妙見信仰と習合したのである。妙見信仰は北斗妙見信仰ともいい、北極星や北斗七星を崇めるもので、俗に「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩は北極星の神格化されたものである。天のはるか高みに隠れていた天之御中主神は、妙見菩薩と同一視されるようになったことによって、庶民の信仰レベルに降りてきたわけである。
 その妙見信仰で知られる神社のひとつに秩父神社(埼玉県秩父市)がある。主祭神は秩父日子神(地方郷土開拓の祖神)であるが、その祖神が天之御中主神とされている。同社は、鎌倉時代初期に妙見菩薩が合祀されて以来、秩父妙見宮、妙見社などと呼ばれてきたが、明治維新後の神仏分離期に名称が秩父神社と定められ、それとともに祭神名も妙見大菩薩から天之御中主神に改称されたという経緯がある。それはともかく、「妙見さん」の御利益は長寿、息災、招福とされている。また、水晶のような澄みきった目で物事の真相を見極める能力に優れていることから眼病の神としても信仰が篤い。

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