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天御柱神 / 国御柱神

天御柱神 / 国御柱神
アメノミハシラノカミ / クニノミハシラノカミ

別称:志那都比古(級長津彦)神(シナツヒコノカミ)、志那都比売(級長津姫)神(シナツヒメノカミ)、級長戸辺命(シナトベノミコト)
性別:?
系譜:伊邪那岐命伊邪那美命の間に生まれた神。伊邪那美命の吹き出す息から生まれたとも
神格:嵐の神
神社:龍田大社、神威神社、伊勢神宮内宮・風日祈宮、伊勢神宮外宮・風の宮、鳴無神社

 風神というと、俵屋宗達描く有名な「風神図」の風袋を背負った鬼神を思い浮かべる人は多いだろう。この鬼神の姿というのが、日本人の風神に対する一般的なイメージとなっているといっても過言ではない。特徴的な風神の「風袋」のルーツは、古代ギリシアの女神のショールに発し、中央アジア、インドで仏教美術と交わるなかで丸い風袋になり、やがて平安~鎌倉期に日本に伝わったと考えられている。だから、宗達の風神像は、もともと日本人がイメージしていた風の神の姿というわけではない。原始古代の人々にとっての風の神は、他の多くの自然神と同じように目に見えない精霊であり、その気配を感じ取るものだった。
 では、日本人はそもそも風の神をどのようなものとして感じ取っていたのだろうか。風の神の威力を感じさせる一番強烈な自然現象は、なんといっても毎年、夏の終わりから初秋にかけて決まって襲来する台風である。台風は風水害を発生させて作物に大変な損害を与え、時には多くの生命を奪う。そのほかにも、冷夏をもたらし作物の生育を阻害し、疫病を運んできたり、海上に三角波を立てて船を転覆させたりする。このようにさまざまな現象を起こし人間に脅威を与える風の神は、非常に恐ろしい神として感じられたはずである。古代における風のイメージは、災厄や病気をもたらすと同時に、生産に関わる非常に重要なものだった。
 古来、風は神霊の乗り物として信じられてきた。だが、乗ってくる神は、湿気を払い心地よい風を吹かせるだけでなく、ときに悪風、魔風を操って人間の安定した生活や生命を脅かした。当然、人々は風の神のもたらす災いを防ぎ、被害が軽くすむことを願って祈るようになった。台風や季節風に悩まされた地域には、必ず風の宮が祀られているといってもいい。その中でも日本代表的な風の神として知られるのが大和国(奈良県)の龍田の風神だ。古くから朝廷に重視され、篤く崇敬されてきた有力な神である。
 「延喜式」の「龍田の風神祭」の祝詞によれば、崇神天皇の御代に龍田の風神が現れ、以来、大雨洪水による不作の年が続いた。どんな神が災いを招いているのか占いをした天皇の夢に現れたその神は、自らを天御柱神、国御柱神と名乗り、不作の災いを除くために龍田の宮を造って祀ることを要求したという。
 名前の「柱」は、風の強烈なパワーを象徴する竜巻のイメージから連想されたものだろう。そうした強力なパワーで災害をもたらしていた龍田の風神は、自分を手厚く祀ってくれたら、逆に豊作をもたらし、悪疫流行を防ぐ守護神になるだろうと告げたというのである。

 数ある自然神のなかでも特に風の神は、人間に対して祀ることを要求する傾向があるようだ。これは古代の日本人が神と接するときの大きな特徴でもある。つまり、神の側は正しく祀られることによって豊作をもたらす守護神へ転化し、一方、人間の側は神を祀り上げることによって保護してもらうという、一種の相互依存関係である。このような関係を作り上げることによって、恐ろしい風の神は人間の味方となり、災害を統御する守護神へと転化したのである。
 日本各地で行われている魔風除けや風祭り信仰などは、災いをもたらす風の神を慰撫し、大事に祀り上げる儀式である。そうやって心を込めて風の神を祀ることによって、作物は豊かな実りを迎えることができる。さらに、漁船は無事に航海して豊漁に恵まれ、疫病は退散し、台風などの災害による被害も最小限にとどまるというわけである。