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天目一箇神

天目一箇神
アメノマヒトツノカミ

別称:天之麻比止都禰命(アメノマヒトツネノミコト)、天久斯麻比止都命(アメノクシマヒトツノミコト)、鍛人天津麻羅神(カヌチアマツマラノカミ)
性別:♂
系譜:天津彦根神の子
神格:山の神、火の神、金工の神、鍛冶の神
神社:多度大社内の一目連社、鞴(フイゴ)神社、天目一神社

 天目一箇神は、その名の通り目がひとつの神である。一般には、妖怪の世界でおなじみの一つ目小僧や紀州(和歌山県)熊野の山奥に棲むという一眼一足の一本ダタラと非常に縁の深い神である。いや、もっと緊密な血縁関係にあるといってもいいかもしれない。というのも、妖怪というのは、神さまの高潔で清浄な部分、つまり神聖さを失ってしまった状態の霊的な存在と考えられているからだ。だから、日本にいる一つ目の妖怪のほとんどは、天目一箇神の零落した姿ということができる。
 そんなふうに妖怪の親戚ということで、なんとなく親近感のある天目一箇神は、日本の神々の中では鍛冶の神の代表的な存在として広く信仰されている。鍛冶の神が一つ目であるという神話伝承は、日本に限らず世界的に広がっていて、たとえばギリシア神話に登場する主神ゼウスの雷電を鍛造したキュクロプス、アイルランドの伝承に登場するバロールなどは、いずれも一つ目の巨人で、やはり鍛冶の始まりに関係している。
 このように世界的な共通性を持っている神であるが、では、なぜ鍛冶の神が一つ目であるのかという理由はこれといった定説がない。鍛冶の神に一眼を捧げる古代の祭儀の名残、製鉄作業で溶鉱の火の色を片目で見続けるために失明したものが多い、金属を細工する金工が片目を使って刀の曲がりを確かめていたから、あるいは一つ目というのは目のことではなく陽根(天岩戸隠れ神話に登場する鍛冶の神、天津麻羅の名称から類推)をシンポライズしたもの、といったさまざまな説があるが、いずれも後世の理由付けにすぎない。天目一箇神は、神話では天岩戸隠れに登場して、天照大神を岩屋の外に導くための祭りに使う刀剣類や斧、および鉄鐸(サナギ=鉄製の大きな鈴)を作ったとされ、作金者(カナダクミ=金属の細工をする職人)と呼ばれている。これは、天目一箇神が鍛冶を司る神であることを示す神話である。そして、天孫降臨のときに天孫邇邇芸命に従う神々のメンバーに加わり、作金者として地上に降り、鍛冶の祖神となったというわけである。
 一般の信仰の中での天目一箇神の性格には、もうひとつ違った面もあるようだ。たとえば、伊勢(三重県)の多度大社の末社に市目連社というものがあるが、ここに祀られる天目一箇神の御神体は蛇体であるとされ、古くから暴風雨神(台風の守護神)として知られている。これはどういうことだろうか。それについては、つぎのような関連が考えられる。
 製鉄というのは、古代においては刀剣など武器を発達させ権力を強化する役目を担った。それだけに、古代の金属文化の歴史をのぞくとき、とかく華々しい武器類に興味がいきがちだが、農耕文化の中でも金属製の農具は大きな役割を果たした。おそらく鉄製の鋤や鍬などの普及は、今日のトラクター以上の驚異を農耕の民に与えたに違いない。その驚きと畏敬の心が、火の神や水の神(雨の神)といった農耕に関係する神を祀る神社の中に天目一箇神を祀るという形となって現れたものと推測される。

 古代の農民は、太陽を一眼と見たのかもしれない。そして、その一眼の太陽神と農耕の守護神である雨の神(龍蛇信仰=雷神)を結びつけた。そのときに天目一箇神は、本来の鍛冶の神とは別の農耕神の性格を持たされるようになった。この神が、単に鍛冶の神という面だけでなく、そうした農耕に関する信仰形態を持つことは、以上のような経過をたどって理解すると納得できるような気がする。なお、天目一箇神に関しては、そのほかにも民間信仰のひょっとこ(火男)と関係があるともいわれるし、各地に残る鎌倉権五郎景政の片目伝説との関係も語られることが多い。
 ちなみに、ひょっとことは字のごとく、火を焚く男の意味で、そのルーツは鉄や金を生み出すタタラ師と関係があると考えられている。あのゆがんだ顔、つきだした口は、間違いなく火をおこそうと必死に息を吹きかける表情である。火の守り神、富をもたらすという信仰がある。
 鎌倉権五郎景政とは、平安時代末期に八幡太郎義家の家来として鎌倉を本拠とした武士である。東北に出陣して大いに活躍したが、敵の矢で片目を失った。奥羽地方には、景政が帰途に矢傷を癒した霊泉といわれる「片目清水」の伝説が残っている。鎌倉市坂の下には、景政を祀る御霊神社がある。