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天若日子神

天若日子神
アメノワカヒコノカミ

別称:天稚彦神
性別:♂
系譜:天津国玉神の子、七夕伝説の彦星
神格:穀物神
神社:我孫子神社

 天若日子というのは、「天上の若い男児」の意味で、眉目秀麗の美男子だったようである。ただし性格には、難点というか、問題というか、およそ神に似つかわしくないものがあった。この神は高天原の最高司令神の天照大神と高御産巣日神から国譲りの下準備として、「地上の荒ぶる神々を平定せよ」という命を受けて地上に派遣された。ところがそこで大国主命の娘の下照比売(シタテルヒメ)との恋に溺れて使命を放棄し、なおかつ「なにやってんだ、まじめにやれよ」と催促しに来た最高司令神の使者を弓矢で射殺してしまった。このときその無謀な行為をそそのかしたのがアメノサグメで、のちに昔話の「瓜子姫」に登場するあまのじゃくという邪悪な妖怪の元祖といわれる。
 使者を射抜いた矢は、そのまま天上の最高司令神のもとに飛んでいって、天若日子神の殺害行為が発覚。そこで最高司令神が「もし本当に反逆の心あるならば、この矢が災いを与えるだろう」と言って使者の血に塗れた矢を投げ返すと、その矢は朝の床に寝ていた天若日子神の胸を射抜いて殺してしまった。
 このように天若日子神は、大変な美男子であり、恋に情熱を傾けるばかりに仕事を放棄し、その罪を負って死ぬ。非常に純粋であり、反逆的であり、悲劇的であり、しかもちょっと危なっかしいけれども、うらやましいような若さを感じさせるこの神は、民間ではなかなかの人気者だったようだ。たとえば平安時代の「宇津保物語」「梁塵秘抄」「狭衣物語」などには天若御子の名で登場し、天から降りて来る音楽の上手な美男子として描かれている。また、室町時代の「御伽草子」の中の一編の「天稚彦物語」では、長者の娘の前に「我は海龍王の息子である」と言って現れて結ばれる。しかし、父親に年に1度のデートしか許されず、2人はそれぞれ彦星、織女星となって、毎年一度、七夕の夜にだけ会うようになったとされている。

 神話の天若日子神に関する場面は、古代葬送儀礼の描写が興味深いところである。日本では、古くから死者の遺体を弔いのために喪屋をつくって白骨になるまで納めておくという儀式を行う習慣があった。その鎮魂の儀式を殯(カリモガリ)というが、これは古代の朝廷の葬礼のようすを反映したものと一般に考えられている。
 天若日子神の葬礼のとき、雁、鷲、カワセミ、雀、雉などの鳥たちが葬列の諸役を務め、人々は喪屋の遺体に毎日食物を供え、8日8晩にわたってにぎやかに歌舞を行い酒を飲んだという。それはまさになにかを祝う宴会のようでもある。そこに、天若日子神にうり二つの容貌の友人阿遅鋤高日子根神が天から弔問に訪れ、死者が蘇ったと間違われる。これを「なんて縁起が悪いことをいうのか」と怒った阿遅鋤高日子根神は、剣で喪屋を切り裂き、足で蹴り倒して飛び去った。
 死者の天若日子神とその葬式に訪れる阿遅鋤高日子根神が、みんなが間違えるほどそっくりだということは、二神は本来同じ神霊で、それぞれ異なる状態(生と死)を示しているといっていい。つまり、天若日子神阿遅鋤高日子根神として復活するという関係がそこにあり、それは穀霊が秋に死を迎え、春には再び新しい生命力を宿して再生するという、古くからの農民の信仰が反映されているのである。
 そうしたことから、天若日子神の物語は死と再生の儀式がテーマになっていると考えられている。もちろん再生するのは穀霊ということになるから、当然、天若日子神は穀物神ということになる。なお、名前の「日」は太陽にも関係することから、冬に力が弱まり、春に復活する太陽に対する人々の切実な信仰を反映している神であるとも考えられる。

▲ 八百万の神々