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天香久山神

天香久山神
アメノカグヤマノカミ

別称:天香児山神、天香山神(アメノカヤマノカミ)、高倉下命(タカクラジノミコト)
性別:♂
系譜:天火明神の子で天照大神の曾孫。尾張氏など多くの氏族の祖神
神格:農業神、倉庫の神
神社:弥彦神社、高倉神社、田村神社、真清田(マスミダ)神社

 天香久山神は、天孫降臨の際に邇邇芸命に従って地上に下った神々の中の1神で、その後紀伊国の熊野に住んだとされ、神武東征神話に登場する高倉下神と同一視されている。 神武天皇が熊野に侵攻した際、現れた大きな熊の発する毒気に冒されて兵が失神して倒れてしまった。これを見て、天照大神と高御産巣日神は軍神武甕槌神を援軍として差し向けようとしたが、武甕槌神は自分の代わりに布都御魂剣を降らせた。霊剣は高倉下神の倉の屋根を突き破って床に突き立ち、朝、目覚めた高倉下神がこれを見つけて神武天皇に献じると、たちまち天皇も軍隊も回復した。その後、熊野の豪族も霊剣の力もあって斬り従えられ、無事大和平定が成ったという。
 この話で重要なのは、霊剣布都御魂剣が高倉下神のもとに降ってきたという部分が、天から神霊が降ってきて何かに憑依する、という古代の人々の宗教儀式の観念を象徴しているということだ。つまり高倉下神は、高天原の最高神の意志を受けて、神武天皇の大事業をサポートしたというわけである。
 その後、神武天皇即位4年に、高倉下神は越後開発の命を受けて弥彦の地に移住した。今で言う出向とか単身赴任といったところだが、なぜ越後だったのかはよく分かっていない。とにかく、越後に赴任してからの方が本来の霊力を発揮したようで、住民に対して農耕、漁労、製塩、酒造などを教えて、産業興隆を大いに助けたと伝わる。以来、越後鎮護の神、開発の神として祀られ、今でも厚く信仰されている。それが弥彦神社の祭神となっている天香久山神としての姿である。
 高倉下神の名は、神を祀る高い倉の主の意味である。倉というのは、古代において収穫した穀物を貯蔵する場所であった。「倉庫」という言葉は後世に生まれたもので、「庫」は武器庫を意味している。高床式の建物の模型や写真を見たことがあると思うが、これがここでの倉にあたる。穀物は命をつなぐ大事な食料であり、それを保存する倉は、人々にとってむやみに出入りしてはならない神聖な場所だった。当然、そこには倉の霊が宿ると考えられ、大切な食料を守ってもらうことを願って神として祀るようになった。そうして神格化されたのが高倉下神というわけだ。
 倉の神というのは、穀物の豊かさを保証する神でもあった。だから、倉の神を祀ることは倉の中が穀物でいつもいっぱいになるように願うことでもあった。そうした意味では、高倉下神は、穀物の豊作をもたらす神でもあったわけだ。そういう農業神としての性格を備えていたからこそ、天香久山神として越後へ移ったあとも、国土開発の守護神として活躍できたのである。