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毛受勝照

毛受勝照
?~天正11(1583)
 名は家照、吉親、照景ともいう。
父・毛受照昌で、尾張春日井出身である。
少年期に柴田勝家の小姓となった。後年、小姓頭となって1万石を与えられている。
 伊勢長島の一向一揆との戦いで、勝家が馬印を奪われたとき、敵陣へ突入し馬印を奪い返した功により勝家の偏諱を賜ったという。
 賤ヶ岳の戦いでは、柴田方の敗北が決定的となった後、討死の覚悟を決めた勝家を説得して退却させ、自らは兄・茂左衛門とともに砦に立て籠もった。勝照は時間稼ぎのために勝家の馬印を掲げた。これを見た秀吉は勝家がいるものと思い込み、最初手を出さなかった。かくして勝照の計略で勝家は逃げおおせることができたが、間もなく秀吉の攻撃を受け討死した。