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白川家

白川家  半家 旧家 内々        200石

                                              神事料100石 

花山院源氏 伯家 復王氏 子爵
居所・日御門前(京都市上京区)
累代神祇伯に任ぜられ、顕成王、雅陳王というように王号を用いている。当家は神祇伯王家とも称せられるが、これは家祖の顕康の祖父延信が花山天皇の皇子清仁親王の王子で神祇伯だった由縁からのものらしい。

20代・顕成(あきなり)
19代白川雅朝の子 母は某氏 
生没・天正12年(1584)~元和4年(1618)
従四位上神祇伯
正室・不詳
子女・養子雅陳(21代)
21代・雅陳(まさのぶ)
高倉永孝の子 母は正室三条西実枝の娘
生没・文禄元年(1592)~寛文3年(1663)
従二位神祇伯
正室・不詳
子女・22代雅喬 雅直(品川左内と称す)

22代・雅喬(まさたか)
雅陳の子 母は某氏
生没・元和6年(1620)~元禄元年(1688)
正二位神祇伯
正室・四辻公理の娘
子女・23代雅光 雅冬 女子→園基勝室

23年・雅光(まさみつ)
雅喬の子 母は正室四辻公理の娘 
生没・万治3年(1660)~宝永3年(1706)
従二位神祇伯
正室・東園基賢の娘
子女・養子雅冬(24代) 秀藤(四辻公尚養子)

24代・雅冬(まさふゆ)
22代雅喬の子 母は正室四辻公理の娘
生没・延宝7年(1679)~享保19年(1734)
正三位神祇伯
正室・不詳
子女・養子雅冨(25代) 女子→雅富室
25代・雅富(まさとみ)
中院通躬養子(梅渓通条の子) 母は某氏
生没・元禄15年(1702)~宝暦9年(1759)
従二位神祇伯
正室・雅冬の娘
子女・26代雅辰 資顕 
養女(滋野井実全の娘)→植松幸雅室

26代・雅辰(まさとき)
雅冨の子 母は正室雅冬の娘
生没・享保12年(1727)~延享4年(1747)
従四位下神祇伯
正室・不詳
子女・養子資顕(27代)

27代・資顕(すけあき)
25代雅冨の子 母は正室雅冬の娘
生没・享保16年(1731)~天明5年(1785)
正二位神祇伯
正室・不詳
子女・28代雅言 資延

28代・雅言(まさとき)
資顕の子 母は某氏
生没・宝暦2年(1752)~明和2年(1765)
従五位下
正室・不詳
子女・養子資延(29代)

29代・資延(すけのぶ)
27代資顕の子 母は某氏
生没・明和7年(1770)~文政7年(1824)
正二位神祇伯
正室・高松藩松平頼恭の子頼昌の娘
子女・養子雅寿(30代) 女子→竹屋光有室

30代・雅寿(まさひさ)
梅渓行通の子 母は某氏
生没・文化4年(1807)~天保5年(1834)
正四位下神祇伯
正室・花山院愛徳養女(梅渓行通の養女)
子女・養子資敬(31代)

31代・資敬(すけたか)
冷泉為起の子 母は某氏
生没・文政5年(1822)~嘉永4年(1851)
正四位下神祇伯
正室・不詳
子女・32代資訓 資義

32代・資訓(すけのり)
資敬の子 母は某氏
生没・天保12年(1841)~明治39年(1906)
従二位、神祇事務総督
正室・三条西季知の娘
子女・33代資長

大名