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【世界史】第17回 古典インド文明① 〜インダス文明

【世界史】第17回 古典インド文明① 〜インダス文明

カテゴリ:

   世界史
   先史・古代

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1.インド亜大陸

 「世界史」では世界の様々な地域の歴史を眺めていきますが、教える立場からすればインドは比較的教えやすいところかもしれません。だって、インドって言って、世界のどこかを思い浮かべられない人はいないですものね(これまでに扱ったパレスチナとかギリシアだと地図で指差せる人が少なかったかもしれないなあという印象です )。今回からインドの古代文明について学んでいきますが、現在の「インド」という国だけでなく、南アジア全体のことを勉強するのだというイメージを持ってください。

 インドって実は相当広いんです。どのくらい広いのかというと、旧ソ連の領域をのぞいたヨーロッパ全域とほぼ同じなんですよ。そのなかにヒマラヤ山脈などの高地、インダスとガンジスという大河が流れています。気候としては大部分が亜熱帯ですが、山の高いところでは寒冷ですし、乾燥地域も西の方にある。南部は暑苦しい熱帯の地域です。このような様々な自然環境が見られるのですが、この多様性こそがインドの人々の文化の成り立ちに大きく関わったと言えるのです。例えば、日本において広く普及している仏教やインドの人々が信仰するヒンドゥー教といった宗教は、インド古代文明の多神教文化を経て誕生したものです。多様な生命が共存する自然環境に影響を受けて、様々な神が存在する宗教観が生まれたのだと言われます。世界の他の地域とは異なる、独特かつ多様な文化の誕生を可能にしたのは、インドの豊かな自然あってこそだということを知ってもらえればと思います。

2.インダス文明

 では、インドの古代文明の成り立ち、古代における国家の変遷を見ていきましょう。紀元前2300年頃から後7世紀のヴァルダナ王朝の時代までの約3000年という非常に長いスパンで見ていきますが、そう複雑ではありません。落ち着いて話を聞いて理解していってほしいと思います。

 紀元前2300年頃から前1800年にかけて、インダス川の広い流域にインド最古の都市文明であるインダス文明が栄えました。そのなかでも覚えておいてほしい遺跡は、インダス川中流域(パンジャーブ地方)のハラッパー、そしてインダス川下流域(シンド地方)のモエンジョ=ダーロです。 両都市の設計は共通していて、同時代のどの都市にも見られないような整然とした都市計画のもとに建設されていたようです。市街地は碁盤目状に道が通じていて、下水道の整備もきちんとされていました。特に、モエンジョ=ダーロの中央部近くにおかれた大浴場は重要なものだったようで、宗教的なものとして利用されていたようです。インダス文明は青銅器の使用が確認されていますが、金や銀、その他の宝石品も発掘されていて、どうやらメソポタミア地方と交易していたこともわかっています。なお、鉄器

 インダス文明の都市遺跡からは青銅製の像や印章(印を押すもの)が見つかっています。その印章に刻まれていた文字(象形文字)は一部解読できておらず、どの民族のものかはっきりしていませんが、どうやらドラヴィダ系の民族であったことがわかっています。ドラヴィダ人はインドの主要な先住民の1つです。 謎は多いのですが、牡牛や菩提樹を神聖なものとしてみなしていることはその後のインドの歴史にもつながっていますね。インド文化の根底には今もドラヴィダ系の文化の影響があります。

3.アーリヤ人の進入
 前1500年頃、インド=ヨーロッパ語系の牧畜民であるアーリヤ人がカイバル峠を越えて、インド西北部のパンジャーブ地方へと侵入してきます。実は、ちょっと前まではこのアーリヤ人の進入こそがインダス文明の衰退の原因とされてきました。現在では、アーリヤ人の進出とインダス文明の衰亡は約200年ほどのタイムラグがあることがわかっています(どうやら前1800年頃に自然条件の悪化や環境破壊などを原因としてインダス文明は衰えていったようです)。

 アーリヤ人はパンジャーブ地方を中心に定住を始めました。以後、インドの社会・文化の中心は先住民であったドラヴィダ人などではなくこのアーリヤ人が担うことになります。アーリヤ人は、牧畜を中心として農耕を行っていました。よって、宗教ではインドの様々な自然現象(雷、太陽など)を崇拝し、お供えものを捧げたり、賛歌を歌ったりして信仰を守っていました。そして、この神々への賛歌や儀礼をまとめた書物を『ヴェーダ』といいます。その最古のものは『リグ=ヴェーダ』です。芳醇な自然の中で芽生えた多神教の世界観がその書物からは読み取れます。この時代のことをヴェーダ時代とも呼ぶことも知っておきましょう。

 前1000年をすぎた頃、アーリヤ人はより肥沃な土地を求めて移動を開始します。行き着いた先はガンジス川流域でした。このころ、アーリヤ人は森林を開墾するために鉄器を使用するようになります。また、それまでの小麦や大麦の栽培から、稲の栽培を中心とした農業へと変換していったのもこの時代でした。アーリヤ人は移動した土地で農耕に従事する先住民と交わって学び、農耕定住社会をつくりだしました。そして、ここで思い出してほしいのは世界史の初期の頃の講義です(第2回参照)。農耕社会において、農産物の生産に余裕がでてくると王侯や司祭などの生産に従事しない支配者層が生まれ、強い政治的権力をもつようになっていくのでした。そして、徐々に支配者と被支配者の経済格差が生まれていきます。支配者層と被支配者層の確たる差が形として表たのがヴァルナ制という身分制度です。一言でいえば、アーリヤ人が先住民と交わっていくなかでつくられた身分的上下観念です。この制度についてはまた次回に詳しく述べることにしたいと思います。では、今回はここまでにしましょう。