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【世界史】第5回 古代オリエント史③ 〜地中海東岸の諸民族 

【世界史】第5回 古代オリエント史③ 〜地中海東岸の諸民族 

カテゴリ:

   世界史
   先史・古代

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1.アラム人・フェニキア人

 今回の授業は、メソポタミア地方とエジプト地方の間に位置する地域のお話です。地中海東岸のシリア・パレスチナ地方はメソポタミアとエジプトとを結ぶ通路として、また地中海への出入り口として海陸通路の要衝地として栄えてきました。様々な地域や人との交流によって高い文化を生み出してきた土地でもあります。紀元前12世紀頃までは、この地域には新王国時代のエジプトとヒッタイト(鉄器文明をうみだしていましたね)が二大勢力として争っていました。しかし、現在もまだ詳しくはわかっていない謎の「海の民」と呼ばれる民族が侵入して、両者がそれぞれ後退していきます。その後、登場したのがセム系の3民族です。今日はその3民族についてのお話です。

 まずは紀元前1500年頃から活躍していたセム語系のアラム人です。アラム人は内陸の中継商業で、シリアのダマスクスを中心に陸上の商業で利益を多くあげました。そのためアラム語はオリエント世界で普及し、国際商業語として重用されたようです。そして、ただ使われただけでなくモンゴル文字、アラビア文字、ソグド文字、突厥文字、ウイグル文字(多いですね!)などのもとになっています。これは是非知っておきましょう。

 次に、フェニキア人の活躍を見ていきましょう。フェニキア人は紀元前10世紀頃にシドン・ティルスといった都市国家をつくり、地中海貿易を独占しました。そのなかで北アフリカのカルタゴなどに植民市をつくりました。これも重要なことなので知っておいて下さい。フェニキア人もアラム人同様文字について大きな功績を残しました。フェニキア人はカナーン人の表音文字から線状のフェニキア文字をつくりだしました。フェニキア文字は22字のアルファベットで表されたのですが、これはアラム文字やギリシア文字に影響を与え、さらにローマ字の成立に影響を与えました。つまり、現在のアルファベットの起源がフェニキア文字にあたるのです。

2.ヘブライ人
 次にヘブライ人の歴史を見ていきます。先に紹介したアラム人やフェニキア人が商業で活躍していた民族だったのに対して、ヘブライ人は遊牧民として生活をしていました。彼ら自身はイスラエル人と称し、後にユダヤ人と呼ばれることが多くなりました。ヘブライ人は前1500年頃にパレスチナに定住し、その一部は生活の豊かさを求めてエジプトに移住しました。しかし、エジプトでは圧政に苦しみ、紀元前13世紀ころに「出エジプト」を実行します。つまり、エジプトから脱出しようと試みたわけです。モーセという人物がリーダーとなってヘブライ人は脱出するためにエジプトから逃げ出すわけですが、当然追っ手がやってきます。そして、モーセたちはとうとう海辺に追い込まれてしまいます。眼前には海、後ろには追っ手。どうしようもない危機を迎えてしまったモーセは「私たちの神を信じるのだ!」と持っている杖を天にかざしたのです。すると、びっくり。海がまっ二つに割れてしまったんですね。モーセ一行は割れた海の中を進んで、無事に逃げ切ったのでした。そして、後に追いかけてきたエジプト兵が海を渡ろうとすると、海が閉じてそのまま飲み込まれてしまいました。

 神に救ってもらったモーセはシナイ山という場所で神に呼ばれて契約を結びます。これが「十戒」と呼ばれるもので、ヘブライ人(ユダヤ民族)が神に対して守るべき約束がずらっと並んでいます。

   1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
   2.あなたはいかなる像も造ってはならない。
   3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
   4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。
   5.あなたの父母を敬え。
   6.殺してはならない。
   7.姦淫してはならない。
   8.盗んではならない。
   9.隣人に関して偽証してはならない。
   10.隣人のものを一切欲してはならない。
   (旧約聖書 新共同訳) 

 特に1と2が大事です。この契約をもとにユダヤ教と呼ばれるようになユダヤ人にとっての宗教が成立するのですが、1は唯一神(一神教)、2は聖像禁止(偶像崇拝してはいけない)というユダヤ教の根幹となる決まりが示されていることになります。

 実際に海が割れたのか、また神から十戒を授けられたのかはわかりませんが、とにかく当時のヘブライ人が神への篤い信仰を持ったということは事実です。唯一神ヤハウェを信仰し、十戒を守るというユダヤ教の原型がここに成立しました。

 苦労してエジプトを脱出したヘブライ人は紀元前10世紀までに統一王国をつくり、ダヴィデ王とその息子のソロモン王のころに栄えました。しかし、民族の苦難はさらに続きます。ソロモン王の死後、国はイスラエル王国とユダ王国に分裂したのです。2つに分かれた国はその後どうなったのでしょうか。簡単にみておきましょう。北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされました。そして、南のユダ王国は新バビロニア王国に滅ぼされ、紀元前586年に住民たちは新バビロニアの首都バビロンへと連れさられていったのです。これを「バビロン捕囚」と呼びます。バビロン捕囚以降、ヘブライ人はつらい生活を過ごしていましたが、紀元前538年にアケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを滅ぼし、ヘブライ人はもとの土地へと帰還できることになりました。

3.ユダヤ人(ヘブライ人)の信仰
 喜んで祖国へ戻ったユダヤ人(この時期からヘブライ人をユダヤ人と呼びます)は、イェルサレムに神殿を建て神への信仰をより強めました。戒律を守り指導者のもとで信仰生活を過ごすようになります。ユダヤ教の成立というわけです(紀元前6世紀頃)。このユダヤ教についてはその信仰の特徴について知っておいてほしいことがいくつかあります(後々の歴史に重大な影響を与えるという意味でも)。

 1つは先ほども申し上げたように多神教ではなく一神教であるということ。2つ目は選民思想を持っているということ。これまで振り返ってきたようにユダヤ人歴史は「出エジプト」から「バビロン捕囚」に至るまで苦難の連続でした。「どうして私たちの民族はこんな目にあうのだろう」と考えます。その結果、「そうか、私たちは神から選ばれた民族なのだ。だから、神は苦難を与えたり、戒律を守るように言ったりするのか」という答えにたどり着いたのです。そして、3つ目は、そんな苦しい自分たちを救ってくれるメシア(救世主)があらわれるという思想を持っていることです。本来、メシアは「油を注がれた者」という意味です。ユダヤ人の間では油は神の例の象徴と考えられていて、油を注がれた人というのは神から特別な使命を与えられた人というふうに考えられるようになりました。預言者(神の言葉を預かる人の意。モーセもそうです)もそのように考えられるようになり、後に登場するイエスはその中でも際立った人物だとされたのです。ユダヤ教の特徴について、もう少し知りたい人は倫理編の講義を参照して下さい。

 こうしてユダヤ教が成立し、民族の中で信仰されていくわけですが、あまりにも戒律が厳しかったり、形式主義であったりすることから批判がおきます。そんななかユダヤ教の改革に乗り出し、人々の心をとらえた人物がいます。それがかの有名なイエスなのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。