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【世界史】第8回 ギリシア世界② 〜ポリスの発展

【世界史】第8回 ギリシア世界② 〜ポリスの発展

カテゴリ:

   世界史
   先史・古代

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1.ポリスの成立と発展
 前回、エーゲ文明の時代のお話をしました。今回はその後の「ポリスの発展した時代」についてです。さて、ミケーネ文明が滅んだ後、ギリシアはどうなったのでしょう。実はそこがよくわかっていないんです。紀元前12世紀頃、ミケーネ文明は滅んだといわれていますが、滅亡の原因は定かではありません。そして、その後のギリシアは”暗黒時代”と呼ばれています。僕の好きなサッカーチームはすっかり弱くなってしまい、チームの成績が悪い”暗黒時代”だとファンのなかでは言われています。でも、その意味での暗黒時代とは当然違います。ここでの暗黒時代の意味は、文字の使用がなかったようで、その時の記録が残っていないということなんですね。紀元前800年頃にフェニキア文字の影響を受けて、ギリシアのアルファベットがつくられたようです。その間のことは残念ながらよくわかっていないのです。

 約400年ほど暗黒時代、すなわち歴史上の記録がない空白の時代が続きます。どうやら混乱の時代だったようなことはわかっています。人口は減少し、従来の線文字Bも忘れ去られていていきました。その間にミケーネ文明の中心地は破壊されたようで、人々は周辺部へと移動を開始しました。人々があちこちに移り住むうちに、ギリシア人の中での言語(いや方言といったほうが適切でしょうか)の違いによって、イオニア人、アイオリス人、ドーリア人に分けられるようになりました。

 長い混乱を経て、ギリシア世界は新しい時代へと入っていきます。貴族の指導のもとに人々が神殿が建てられた城山(アクロポリス)や人々の生活の場である広場(アゴラ)を中心にして集住した(シノイキスモス)のが都市国家(ポリス)の始まりです。各地に都市国家(ポリス)があちこち見られるようになるのですが、そのポリスのほとんどでは王権が衰退していました。世界史のなかで古代ギリシアが取り上げられているのはこのポリスの姿にこそ理由があります。王権が衰退したと言いましたが、王が追放されたりもしたようです。支配者がいないポリスでは農地を住民で分け合ったりということもありました。つまり、王権が存在せずにうまく成り立っていく古代文明とは非常に珍しいケースであるのです。

 各ポリスはそれぞれ独立していて、古代のギリシアは統一国家になることはありませんでした。戦争で勝っても負けた国を併合するようなことはしていなかったようです(不思議ですね)。ポリスは当時、数百に分かれていて、次回以降紹介するアテネという有力なポリスでも面積は現在の佐賀県と同じ程度です。それらの小さな都市国家が戦争をしながらも、同じギリシア人であるという”同胞意識”をしっかりと持ちつづけていたようです。その仲間意識が見えてくるものをいくつか紹介すると、
・共通の言語と神話をもつこと
・デルフォイという地にあるアポロン神殿の神託を信じていたこと
・4年に1度オリンピアの祭典を行っていたこと
・隣保同盟という宗教的同盟を各ポリスが結んでいたこと

といったようなことが挙げられます。仲間意識の強い彼らは自分たちをヘレネス、異民族をバルバロイ(聞き取りづらい言葉を話すものという意味)。

 そして、各ポリスは植民活動にのりだしていたことも知っておきましょう。なぜでしょうか。答えはギリシアの地理的条件にあるます。ギリシアは山が並ぶ地形で平地が少ないために人口増加に耐えられない事情があります。そこで、ギリシア人は黒海沿岸や地中海の北岸へと植民活動の範囲を広げていきました。そこではマッサリア、ネアポリス、ビザンティオンなどの植民市が建設されました。これらの都市は今でもヨーロッパを代表する都市なんですよ。わかりますか?それぞれマルセイユ、ナポリ、イスタンブルです。ネアポリス…ネァーポリス…ナーポリス…ナポリという音の変化で覚えられませんか?(笑)植民活動は商業を発展させ、豊かな富裕層を出現させました。豊かになることで労働に時間を割かれずに住むようになるようになります。人々は労働以外の時間、例えば政治参加であったり、学問・文化であったりということに力を注ぎ、豊かな社会・文化の発展につながりました。

2.市民と奴隷
 では、ポリスにおける身分制とはどのようになっていたのでしょう。ポリスの住民は自由人である市民とその市民に隷属する奴隷とに分かれています。市民はさらに大きく2つの身分の区別がありました。代々指導者層である貴族と平民です。貴族は高価な武具をつけて、いざ戦争となるとポリスを守るために闘います。一方で、平民は貴族にただ従属しているわけではありません。あくまで土地や奴隷を所有する独立した市民であるというイメージをもっておきましょう。平民同士も基本的には平等なのです。

 ところが、奴隷と市民との身分差は大きいものでした。奴隷は人格が認められず売買の対象となりました。アテネなどの一部のポリスでは民による政治が行われるなど今の民主政治と似ている面がある一方で、今では被人道的とされる奴隷制が存続していたのが古代ギリシアの非常に大きな特徴といえます。かの有名なアリストテレスは当時の「知の巨人」と呼んでもよい偉大なる哲学者ですが、その彼でさえも「奴隷はモノ言う動物」と言い、奴隷制は当然のものと考えていたのです。 

3.戦士のポリス・スパルタ
 ここでポリスのなかで特に強力だったスパルタというポリスについて見ておきましょう。スパルタはギリシアに侵入してきたドーリア人が先住民を征服してつくられました。スパルタはアテネよりやや広い領土をもち、先住民をすべて奴隷としたために自分たちよりも多い奴隷を抱えていました。スパルタの社会も市民(ドーリア人)と奴隷(ヘロット、ヘイロータイと呼ばれていた)に分かれていましたが、さらに周辺民(ペリオイコイ)として商業活動や農耕に従事する人々もいました(奴隷と同じようにスパルタ市民に従属しています) 。

 スパルタで特徴的なのは、農業が当時のギリシア世界のなかでは盛んだったこともあり穀物が自給可能であったこと、ゆえに貿易はあまり行わず鎖国状態であることがまず挙げられます。そして、もう1つ特徴的なのはリュクルゴスの制です。リュクルゴスとは人物の名前で、スパルタにおいて伝説的な立法者といわれています。先ほど話したように、スパルタは市民よりも奴隷の多いポリスです(10倍ほどの差があったとも!)となれば、奴隷が結束して反乱を起こしてしまうと数の上では分が悪い。そこで反乱に備えて、市民は軍事訓練に従事する必要がある。そのような軍国主義的仕組みをリュクルゴスの制というのです。市民たちの仲間意識というか共同体意識も高まり、紀元前6世紀までにギリシア最強の陸軍国へとのしあがっていきました。

 次回はスパルタと同じく古代ギリシア世界を代表するポリスであるアテネの歴史をみていきます。スパルタとは全く異なる発展のしかたをしていきます。