歴史・人名

アジアの国旗が私たちに語りかけている

アジアの国旗が私たちに語りかけている  

On 2013年5月4日

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国旗 日章旗

日教組 が、学校教育の一環として 東京 ・ 国立市 の小学校で 児童に「自主的に」燃やさせた ( 日本の国旗 )

国立市に住む同小学校の教師や親たちは(日本人)、「平和への誓いである」 と、この非常識な行為を支持、何とか止めさせ卒業式での国旗を掲揚しようとした校長をよってたかって追いつめ土下座までさせた。 国立市の教育委員会と市長、そして市議会までもが、この異常極まる暴挙を 「戦争反対への素晴らしい意思表示!」 とし賞賛したと聞いている。

「文教都市」 と呼ばれ親子で教育水準が高く一見高級住宅街の 国立市であるが、「東の国立、西の広島」 と呼ばるほど反日勢力が跋扈(ばっこ)する左翼都市となってしまっている。これが戦後教育の実態である。

私たちは、「日本の国旗は侵略のシンボルである」「日章旗はアジア諸国に人びとに、戦争中に行った日本軍の蛮行を思い出させる」「日本軍は日章旗を振りかざしながらアジアを侵略し、強奪行為を行い、アジアの人々を苦しめたのです」 「日の丸の赤い丸は侵略された人々の血の色である」 などと学校で勉強させられ、反省を強いられました。

また、NHKやテレビ朝日をはじめとするテレビや、朝日新聞や毎日新聞を筆頭とする新聞や雑誌などで、さまざまな侵略の歴史(?)を、映像や写真まで見せられて、目と耳でしっかりと確認させられ続けてきました。

日章旗とは、国立市民の皆さんが叫んでいるように、アジアを侵略しアジアの人達を苦しめた、その象徴なのでしょうか?

アジア各国の人々の思いが詰まった国旗から、日本の国旗『日章旗』とは、そのような負の歴史の象徴だったのかを、少しだけ見てみたいと思います。

東南アジア諸国連合(Association of South‐East Asian Nations)の旗

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ASEAN旗

東南アジア諸国連合とは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構。略称はASEAN(アセアン)。 大東亜戦争が終結し22年が過ぎた、1967年、設立。 本部はインドネシアのジャカルタに所在。

域内の人口は6億人を超えており、約5億人の人口を抱えるヨーロッパ連合(EU)より多い。 2010年の加盟国の合計のGDPは1兆8000億ドル(約145兆円)であり、日本のGDPの約30%の規模である。

アセアンの加盟国は、インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、 ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア、パプアニューギニア(オブザーバー・ステイタス) の11か国である。

日本が、白人国家からの「アジアの独立・植民地解放の為」に大東亜戦争を戦ったことを、日本人以上に理解し ているからこそ、日本に敬意と信頼と親しみを込めて日本の国旗(日章旗)と双子のような旗を 制定したのです。 円の中央に描かれている稲の茎は、友好と結束で結ばれた東南アジアすべての 国から構成されるASEAN創設者の夢を表しています。

国旗や団体旗というのは、世界の常識では 『敬意を表する対象』 なのです。 私たちが教わり信じ てきた歴史が、もし本当だったら、東南アジア諸国をまとめる旗が日章旗とそっくりな意匠で 制定されたでしょうか? 日の丸の中に10か国の平和への願いを包み込むアセアンの旗は、 白人至上主義という人種差別の撤廃と白人支配からのアジアの解放と平和を求め戦った、日本への想いでは、ないのでしょうか。

パラオの国旗

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制定日 : 1981年1月1日

使用色 : 青地、黄

パラオ共和国。太平洋のミクロネシアと呼ばれる地域にある国。パラオの国旗は青地に黄の丸を描いている。青地は南太平洋を意味し、黄色の丸は満月を表わす。
旧宗主国である日本の国旗を元にしたデザインで、月(パラオ)は太陽(日本)によって輝く(発展する)という意味が込められている。これは第一次大戦後にパラオを統治した日本が、現地の人々に高く評価されていたことを表わしている。
パラオはドイツの植民地だったが、第一次大戦開戦の1914年に日本が占領し、大戦後、日本は国際連盟からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを正式に認められた。統治は25年続いた。
日本は多くの移民をこの地に送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。公立学校や医療施設を作り、稲作やパイナップルの生産を促した。

パラオのハイスクールで使われている歴史教科書には、こう記されている。
「日本の教育の刮目すべき効果のひとつは、授業の成績を重視することだった。生徒がどの氏族に属し、どんな身分なのかは無関係だった」。日本統治下では、身分に囚われない平等な教育や努力した者を評価するシステムが働いていたことが窺える。
大東亜戦争の末期の1944年、パラオのペリリュー島で、日本軍と米軍による大激戦が行なわれた。圧倒的に優位な米軍は、この島を3日間で制圧できると目論んでいた。しかし一万人の日本兵は、73日間も勇敢に戦い、玉砕した。日本軍が島民をパラオ本島に避難させたため、島民には一人も犠牲者が出なかったという。
戦争後、この地域を占領したアメリカは、日本が作った社会資本のほとんどを破壊した。特に日本の精神文化の影響は徹底的に破壊された。南洋神社は取り壊され、学校の二宮金次郎の銅像は撤去された。
1981年、パラオはアメリカから独立した。独立にあたって定められた国旗は、一般国民から公募した七〇数点の中で、一番人気のあった現在のものである。
パラオの人々は、強力な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さに敬意を抱いていた。「英霊たちは、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのだ」と、国旗の選定に携わったパラオの島民は語った。
パラオの国旗の満月は、日の丸の太陽とは違って、中心から少しずれている。
これは、日本に敬意を表し、まったく同じでは失礼だからと、わざと中心をはずしたためだという。パラオの人たちの慎み深い性格が窺える。

バングラデシュの国旗

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制定日 : 1972年1月17日

使用色 : 緑地・赤

バングラデシュも、国旗制定にあたり、日本の日章旗をモデルにしたという。赤い円は昇りゆく太陽を表わし、地の緑色は豊かな大地を表わす。また、赤い色は独立戦争で死んだ者(英霊)への敬意も表わしている。
名越二荒之助・元高千穂商科大学教授が、バングラデシュの駐日大使館に国旗の由来を尋ねたところ、広報担当官からは「日本への憧れです」と返事が返ってきた。

この2ヵ国の国旗の由来には、日本の歴史認識を悪い方向へ持っていきたい左翼系の知識人によって一見理論的に書かれた否定的な説もあるが、よく考えていただきたい。

どこの国の国民が、侵略戦争を仕掛け、国民生活をめちゃくちゃに破壊した憎き強奪者の国の国旗に、大変よく似た国旗を制定するであろうか?

多くの国民に支持されて、初めて国旗とは制定されるものである。

「その国に敬意を表する、もしくは、憧れるから真似るのである」ことは、世の常識なのです。

インドネシア独立軍旗

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チベットの国旗

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国旗9中国に侵略されたチベットの国旗

日本人チベット研究者・青木文教がチベット軍の司令官と、それまでの軍旗でも使われていたチベットの記号 (雪山・唐獅子・日・月) と 大日本帝国陸軍が軍旗として考案・使用していた旭日旗に擬似する意匠 (旭日) を組み合わせ、新しく図案を作ったものが 「国旗」 として採用された。

中華人民共和国では、雪山獅子旗の掲揚は 「チベット独立の意思表示」 として厳禁されている。

ミャンマー(ビルマ)

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国旗10カレン民族解放軍の旗

旭日旗の上半分を使使い、下には青と星をデザインしている。

1981年(昭和56年)1月4日、第33回独立記念日。

自国民であるミャンマー人でも授与されていない 「アウンサン勲章 (ビルマ独立運動闘士)」 を7人の日本人に対して授与するとミャンマー政府は発表。

両国の関係者を驚かせたが、

さらに受賞者7人全員、鈴木敬司大佐の未亡人を含む元 「南機関」 (大日本帝国陸軍所属) メンバーであったことも、「 恩を忘れない・・・ 」とアジアの人々に感動を与えた。

ミャンマーの建国記念日には行進が行われるが、いまでも最初に演奏する曲は 『軍艦マーチ』 である。

他にも日本の軍歌 『日本陸軍の歩兵の歌』 『愛馬進軍歌 』などをそのまま使っている。  

日本以外のアジアの国でも130年前に作られた大日本帝国の曲 『軍艦マーチ』 を大切にしてくれている。

~ 我々が大学まで出て受けた教育は、ウソだったのである ~

フランスは、日章旗にしたかった!

明治時代、「日の丸」のデザインの美しさにフランスが目をつけた。

フランス政府から、「日の丸を500万円(現在の200億円相当)で売って欲しい」と依頼された明治政府は、「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」と、この申し出を断った。

我が国の国旗日の丸は、遠く1,000年以上も昔にその起源を持ち、長い歴史と伝統を有しています。

起源が古いだけではなく、日の丸は、この千年の間、絶えず広く庶民の間で大切にされ、伝え続けられてきた歴史的事実がある。

日の丸の意匠は、701年、文武天皇の朝賀の儀において使われたと続日本紀に記録され、以後、平安末期から戦国時代には武門の誉れ、正義の旗印として使われてきた。

また、近世初頭に東南アジアへ雄飛した朱印船には日の丸の旗が翻り、江戸時代は専ら幕府の御用船で使われていいた。

日本が近代の国際社会に参加した時も、外国が日本に国交を求めて頻繁に来航し、外国船と日本の船とを識別することが必要になった際、幕府は1854年、「異国船に紛ぎれざるように日本総船印は白地に日の丸幟」と定めた。

おフランスも認めるシンプルな美しさ

明治の新政府も明治3年、改めて日の丸を「 国旗 」として布告。

広島県の世羅高校の事件がきっかけとなり、正式に国旗を制定する必要性が出てきたため、

平成11年、正式に国旗として認定した。

日の丸の千年を超える歴史や伝統は、理屈を超えて国民に浸透しているものであり、必然的に日本の国旗になったのです。

反日・左翼や日教組所属の学校の教師たちが言っているような『日の丸とは戦争の旗』「日の丸の赤い丸は血を表す」などは、「反日教育」 のためのデタラメでしかない。

( 中学・高校・大学の先生、必読!)

日台の「心と心の絆」素晴らしき日本人へ     李登輝 (元台湾総統) 著     宝島社

シナ事変~日中戦争~太平洋戦争と日本軍と戦った中国国民党の党首(1988~2000年)。

李登輝総統から、台湾経済の大進撃が始まった。

私たちは大きな勘違いをしているが、『日中戦争』とは、現在の共産党が支配している中華人民共和国と戦ったのではない。

国民党が支配していた中華民国と戦ったのである。

日中戦争当時、中国共産党軍は、いつも国民党軍の陰に隠れズルく立ち回っていただけで、日本軍とまともに戦ったことなど無かった。

まるで、『民主党』の党首だった管直人君の、若き「反日活動家」だった頃のようです。

だから、管直人が党首にまでなっていた『民主党』は、小沢一郎(現・生活の党代表)を含め、中国共産党が大好きで、日本ではなく中国の国益を第一に考え、日本の国益を棄損させるような「政治決断」を行い続けたのかも知れません。

台湾人と日本人精神  蔡 焜燦(さい こんさい)著   小学館文庫

私たちが学校やNHKの教養番組で学ばされた歴史で作者を紹介するならば、「日本が植民地支配をし 搾取した台湾で『徹底した皇民化教育』を受けさせられた犠牲者の方」が書いた本となります。

上記2冊の本は、中学や高校の先生方にはぜひ読んでいただきたい!

姉妹校や修学旅行先は、是非、台湾にして頂きたいと願っております。

本当に、「子供たちの真の成長」を願っているのなら・・・ば、ですが!

特に、『質実剛健』を建学の精神でうたっている数多の私立高校の校長先生へ、お伝えします。

本当にその建学の精神を持っているのならば、台湾南部を修学旅行先にし、かつての日本人の真の姿を確認させ、生徒に「日本人の誇り」を心に刻ませることです。

また、台湾の高齢者は、日本人より『日本人精神』を持っている。大いに学ぶことができます。

修学旅行とは遊び半分で行くものでは、無いのですから。