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エジプト中王国

エジプト史

エジプト中王国

時代・文化
公開日 2016-10-25  最終更新日 2019-07-15
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エジプト第2中間期

エジプト中王国 (第11-12王朝) 紀元前2060年頃 – 紀元前1782年頃 首都:テーベ ナイル川の支流が注ぎこむ広大な沼沢地であったファイユーム盆地を開発し、広大な穀倉地帯をつくる。 第1中間期の長い混乱を脱してさまざまな文化芸術が花開いた時代であり、エジプト文学の古典といわれる作品群もこの時代に形成された。

目次

エジプト第11王朝
建築
神殿王墓
エジプト第11王朝
文学
政治的文学
建築
ピラミッド
エジプト中王国
エジプト第11王朝
紀元前2133年、又は2134年頃 – 紀元前1991年頃 紀元前2060年頃に第11王朝にメンチュヘテプ2世が即位すると、紀元前2040年頃に第9王朝の後継であるエジプト第10王朝を打倒してエジプトを再び統一し、エジプト中王国時代が始まった。 首都は引き続きテーベにおかれた。 また中王国期に入るとピラミッドの造営も復活したが、第4王朝期のような壮大なピラミッドはもはや建造されず、日干しレンガを多用したものが主となった。
建築
神殿王墓
エジプト中王国
メンチュヘテプ2世の神殿王墓跡 Source: Wikipedia
メンチュヘテプ2世は統一後も精力的に統治にあたり、エジプトの外へも活動の範囲を広げた。 南方への遠征では第二瀑布までの下ヌビア地方にまで到達してこれを支配下におさめ、更に南方やプント国(現在のソマリア地方)へ隊商を送った。西方の砂漠地帯にも軍事遠征が行われ、オアシスに勢力を持ったリビア人を支配下に収めた。 こうした成功によって各地の採石場から良質な建材が手に入るようになったために、再び大規模建築が可能となった。 テーベに昔から仕えていた職人に加えてヘラクレオポリスの宮廷に仕えていた職人達もテーベに移され、メンチュヘテプ2世の下で優れた芸術作品を生み出した。メンチュヘテプ2世時代の建造物として最も有名なものはテーベの西に建造された神殿王墓である。 現在デイル・アル=ハバリとよばれる断崖に囲まれた窪地(テーベの西)に建設され、メンチュヘテプ2世に仕えた寵臣達もその周囲に葬られた。
エジプト第11王朝
紀元前1991年頃 – 紀元前1782年頃 文章語としての中期エジプト語が確立され、この王朝に纏わる数多くの文学作品が今日にまで伝えられている。 紀元前1991年頃にはアメンエムハト1世によってエジプト第12王朝が開かれ、首都もメンフィス近郊のイチ・タウィへと遷した。 第12王朝期は長い平和が続き、国内の開発も急速に進んだ。特に歴代の王が力を注いだのは、ナイル川の支流が注ぎこむ広大な沼沢地であったファイユーム盆地の開発であり、センウセルト2世の時代に着工した干拓工事は王朝後期のアメンエムハト3世時代に完成し、ファイユームは広大な穀倉地帯となった。 センウセレト2世は紀元前1900年頃にアル・ラフーンにピラミッド(ラフーンのピラミッド)を造営している。 中王国はヌビアに対するものを除き対外遠征をあまり行わず、とくにシリア方面には軍事進出を行わなかったが、唯一の例外として紀元前1850年頃にセンウセレト3世がヌビアおよびシリアに遠征した。センウセレト3世は名君として知られており、国内においては州侯の勢力を削ぎ、行政改革を行って国王の権力を拡大している。 つづくアメンエムハト3世期にも政権は安定しており、紀元前1800年頃にはファイユーム盆地の開発が完成し、またハワーラのピラミッドが造営されている。しかし彼の死後は短命な政権が続き、紀元前1782年頃には第12王朝が崩壊して中王国期も終焉を迎えた。
文学
政治的文学
エジプト古典文学の代表作と言われる第12王朝の正統性を主張することが強く意識された作品群 『ネフェルティの予言』, 『アメンエムハト1世の教訓』, 『シヌヘの物語』
建築
ピラミッド
第12王朝時代には、古王国時代以来のピラミッド建設が復活した。首都となったイチ・タウィの近郊エル・リシュトを中心にピラミッド建設が行われた。 これを建設するための建材としてギザやサッカラ、ダハシュールなどの既存建造物の建材が大量に再利用されている。 第12王朝で建設されたピラミッドの中には古王国時代末期のものより大きなものもあったが、建造物としての構造はかつてのピラミッド群と比較した場合、粗雑そのものであった。ピラミッドは切石で作った隔壁の間を粗石や日干し煉瓦で埋め、外装の石灰岩で覆うという形式で建てられた。皮肉にも彼らがそうしたのと同じように、ピラミッドの外装用石灰岩は後世に別の建造物を作るために盗み取られた。そして内部構造の粗雑さ故に外装を失ったピラミッドは瞬く間に崩壊した。このため第12王朝時代のピラミッドは今ではほとんど原型をとどめておらず、遠目には単なる土山にしか見えないものが大半である。