歴史・人名

マッカーサーの告白は捏造だった!?

マッカーサーの告白は捏造だった!?
2015/03/06

01:00

井口玲子さんのFacebookより-

http://m.facebook.com/story.php?story_fbid=277302169097696&id=100004537445962&guid=ON

  • 以下転載-

「マッカーサーの告白」なる文章について。

  • 「マッカーサーの告白」あるいは「マッカーサーの謝罪」と題された文章や動画を、あちこちで見掛けます。どれも文言が一字一句同じところを見ると、どうやらソースは同一のようです。文末に「アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて 1951年5月3日 ダグラス・マッカーサー」とあります。連合国軍最高司令官であったマッカーサー氏が、反省?謝罪?本当でしょうか。

1951年と言えば、朝鮮戦争の真っ最中。介入を続ける中国共産党への対応を巡り、マッカーサー氏がトルーマン大統領によって更迭された年です。当時の極東有事である朝鮮戦争を主題として開かれた上院軍事外交合同委員会公聴会ですが、そのような場で「先の大戦はアメリカが悪かった」「私は反省している」「自虐史観を持つべきは日本ではなくアメリカ」などと、果たして当時の最高司令官が言うでしょうか。どう考えても疑問符が付きます。そこで、原文にあたってみることにしました。

その結果、私はこの「マッカーサーの告白」なる文章が、「事実を一部だけ織り混ぜた創作文」であると結論付けました。実際にあった発言の前後を読めば、マッカーサー氏は、「中共を屈服させるには、太平洋戦争で日本を降伏させたと同様の手法を用いるのが有効」だと言い、それを説明するために、当時の日本国内の状況について言及しているに過ぎないことが明らかであるからです。反省などしていません。謝罪もしていません。当たり前です。先方には先方の国益があります。もちろん同様に、此方には此方の国益があります。そして、米国人には米国人の矜持が、日本人には日本人の矜持があるはずです。この文章の作者が何を意図してこれを作ったのか不明ですが、脚色されたかつての敵将の言葉に、自国の正当性を求めねばならないほど、日本人は矜持を失っているのでしょうか。戦略説明のために登場したに過ぎない発言を、創作を加えてまで有難がるということに、私は激しい屈辱感を覚えます。

以下、ご参考までに、

・原文書き起こし

【Strategy against Japan in World War II】

Senator Hicknlooper. Question No.5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General MacArthur. Yes, sir. In the Pacific we by-passed them. We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands. It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.

Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on. They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.

There is practically nothing indigenous to Japan except the silk worm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

The raw materials -- those countries which furnished raw materials for their manufacture -- such countries as Malaya, Indonesia, the Philippines, and so on -- they, with the advantage of preparedness and surprise, seized all those bases, and their general strategic concept was to hold those outlying bastions, the islands of the Pacific, so that we would bleed ourselves white in trying to reconquer them, and that the losses would be so tremendous that we would ultimately acquiesce in a treaty which would allow them to control the basic products of the places they had captured.
In meeting that, we evolved an entirely new strategy. They held certain bastion points, and what we did was to evade those points, and go around them.
We came in behind them, and we crept up and crept up, and crept up, always approaching the lanes of communication which led from those countries, conquered countries, to Japan.
By the time we had seized the Philippines, and Okinawa, we were enabled to lay down a sea and Navy blockade so that the supplies for the maintenance of the Japanese armed forces to reach Japan.
The minute we applied that blockade, the defeat of Japan was a certainty.
The ultimate result was that when Japan surrendered, they had at least 3,000,000 of as fine ground troops as I have ever known, that laid down their arms because they didn't have the materials to fight with, and they didin't have potential to gather them at the points of importance where we would attack. We hit them where they weren't; and, as a result, that magnificent army of theirs, very wisely surrendered.
The ground forces that were available in the Pacific were probably at no time more than one-third of the ground forces that Japan had available; but, as I say, when we blockaded that way, when we disrupted their entire economic system, they could not supply the sinews to their troops that were necessary to keep them in active combat and , therefore, they surrendered.

【Similarity of Japanese situation in World War II to Chinese situation Today】

Now, the problem with China is quite similar, only China has not got anything like the resource the Japanese Empire had.
It would be easier to blockade them. A blockade along their coasts would be avery simple problem if all the nations of the United Nations joined in.
The only other way in which China can get logistical support is from the Soviet. As I explained this morning,

※訳文中★で囲った箇所が「マッカーサーの告白」で使われている部分です(画像では青枠)
※画像は「Web版正論」さんよりお借りしました。

〇拙訳
【 第二次大戦時の対日戦略 】
ヒッケンルーパー上院議員(質問5):中共に対する海空封鎖という貴殿の提案は、米国が太平洋戦争で日本に勝利をおさめた時の戦略と同じではないですか?

マッカーサー将軍:その通りです。太平洋戦争における我が軍の作戦は、迂回し、そして包囲するというものでした。

★日本には当時、4つの島におよそ8000万人という人口が密集していました。半数が農業、あとの半数は工業従事者です。
日本という国はもともと、質量ともに非常に高い労働力を有しています。人間は怠けている時よりも額に汗しているときのほうが幸せなのだという、いわゆる労働を尊ぶ精神というものを、いつからか日本人は身に着けてきたようです。
大きな労働力を有するということは、つまり、それに見合うだけの仕事が必要なわけですが、工場を建て、労働者がいても、日本には原料がありませんでした。実際、養蚕意外、日本原産と言えるものは何も無かったのです。日本には綿も羊毛も、石油製品、スズ、ゴム、その他多くの資源がありません。そして、アジア海域にはそれらの全てがありました。
原料の供給を断たれれば、国内で1000~1200万人が職を失います。これは日本にとって死活問題でした。つまり、その危機を回避することが、日本が戦争に打って出た主たる目的だったのです。★

マレー、インドネシア、フィリピンなど、自国の製造業に必要な原料の産出国を、日本軍は周到な準備のうえ、奇襲し、占領しました。このときの日本の戦略は、太平洋の島々を陣地として確保し、我々がそれらの奪還に大きな犠牲を払うのを躊躇するよう仕向けることによって、日本が占領地から原料を確保できるようにする、というものです。そこで我々は新たな戦略を立てました。日本軍の占領した地域をわざと避け、その背後にまわり、そっと気づかれぬよう忍び寄っては、占領地と日本の間の補給線を脅かし続けました。
フィリピンと沖縄を制圧した時点で、制海権を失った日本軍は、補給路を完全に絶たれました。この時点で、日本の敗戦が決定したと言っていいでしょう。
降伏時、日本には少なくとも300万の兵力があったはずですが、既に戦争続行のための物資はなく、防衛のための兵力を結集させる余力もありませんでした。我々の前にもはや敵はいなかったのです。こうして、精鋭を誇る日本軍も遂に降伏やむなきに至りました。
当時、太平洋上に展開していた日本の兵力は、おそらく通常の3分の1にも満たない数だったはずです。つまり、封鎖され、経済網が崩壊したことにより日本軍は、その程度の量の補給物資さえも供給することが出来ず、ついには降伏するに至ったのです。

【第二次大戦時の日本と現在の中国の相似性】
(引き続きマッカーサー将軍):さて、中国に関してですが、問題としてはよく似ているものの、中国にはかつての日本帝国ほど力量は有りません。中国を封鎖するのは、より簡単と言って良いでしょう。 国連のすべての加盟国が参加するならば、中国近海を封鎖するのも難しいことではありません。
中国が後方支援を頼むとすれば、それはソビエト以外にはありませんが、今朝ご説明しました通り、欧露の大規模工業地帯から続く鉄道は、既に現状の守備隊を維持するだけで手一杯です。侵攻目的の遠征軍を送り込むためには輸送量を増やす必要がありますが、それはかなりの負担になりますし、ソ連の中共に対する援助には、当然、限界があります。私の見るところ、中共には満足な空軍も海軍もありません。彼らはそれらを自前で仕立てることもできなければ、ソ連から提供してもらうことも出来ないというわけです。
専門的見地からすれば、中共の現代戦における戦闘能力は、多分に過大評価の域を出ません。経済的圧力、封鎖の圧力、そして空爆による破壊圧力を加えれば、そう時間をかけることなく中国を屈服させることができます。中国が自国民を養うに困難を極めているという現実に、もはや疑う余地はありません。飢餓や栄養失調による死者は、年間500万から1000万人を下らないはずです。経済が貧困なのです。そこをつつけば、大衆の不満は高まり国中が混乱に陥り、やがてはその緊張状態が中国を戦争に駆り立てることになります。

〇「マッカーサーの告白」(ネットで拡散されている文章)《※当ブログで以前採用した文章そのものです-管理人》

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。
戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。
東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。
その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。(※註:1951年の時点で正気に帰ったマッカーサーが、この今に続く問題を憂いている)
私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。
私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。
日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。
日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。
もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて
1951年5月3日
ダグラス・マッカーサー

  • 転載ここまで-

――――――――――――――――――

※英原文、井口さんの翻訳、巷に拡散されているマッカーサーの告白と称する文章の順で転載させて頂きました。


マッカーサーの告白は捏造だった!?
2015/03/06

19:06

以前、当ブログにおいて、「マッカーサーの告白」と題する記事を上げたことがある。

http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-54.html

元になったソースはこの動画である。

http://www.youtube.com/watch?v=CD2c1MpXkqQ

これを初めて見た時は、大変驚いた。

「1951年のアメリカの公聴会の場において、マッカーサーがここまで言っていたというのか………」

幾分の不自然さ、疑問は感じたが、流れる文面はあくまでも「マッカーサー本人の言葉」という体裁を取っている。

朝鮮人ではあるまいし、まさか捏造してるわけではあるまい。また、石原前都知事も、「マッカーサーの告白は教科書に載せるべきだ」といった類いの発言をしていたことも頭にあり、全文がもちろんマッカーサーの言葉であると判断してしまった。

◎要必見!

なぜ言わない?『マッカーサー証言・パール判事・原爆投下・・國』

http://www.youtube.com/watch?v=9-r5o1H_YSk

……所が、その原文を見ると、相当尾ひれがついて脚色されたものであることがわかる。(※ただし、その内容自体は正しい-これがまた話をややこしくしてる)

こういう逸脱した拡散手法は、私自身も厳に戒めているが、まさか、いやはやと言った所である。

今後は、このような情報ソースについては、その逆の確認《〇〇〇は捏造だ》検索も怠らないようにしていきたいと思った次第です。

さて、そこで問題の「マッカーサーが実際に言った言葉」はどうであったのか?という所だが、これについては明白なようである。↓

※英原文については、当ブログの前の記事参照

《………潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時のほうがより幸福なのだとゐふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。 これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。 日本は絹産業以外は、固有の産業はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万か一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。〉(東京裁判日本の弁明 「却下未提出弁護側資料」 小堀桂一郎編 講談社学術文庫)

《日本という国はもともと、質量ともに非常に高い労働力を有しています。人間は怠けている時よりも額に汗しているときのほうが幸せなのだという、いわゆる労働を尊ぶ精神というものを、いつからか日本人は身に着けてきたようです。

大きな労働力を有するということは、つまり、それに見合うだけの仕事が必要なわけですが、工場を建て、労働者がいても、日本には原料がありませんでした。実際、養蚕意外、日本原産と言えるものは何も無かったのです。日本には綿も羊毛も、石油製品、スズ、ゴム、その他多くの資源がありません。そして、アジア海域にはそれらの全てがありました。

原料の供給を断たれれば、国内で1000~1200万人が職を失います。これは日本にとって死活問題でした。つまり、その危機を回避することが、日本が戦争に打って出た主たる目的だったのです。》(井口玲子さん訳)

『They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.』

……… going to war was largely dictated by security.

戦争突入は主に安全保障に迫られてのものだった。

はっきりとsecurityと書かれている。

このsecurityを、安全保障だの自己防衛だのと訳すのが気に食わないと唱える輩が散見するが、では“securityのためだった”と訳せばよいのか?

文面文脈から見ても、日本が戦争に突入したのは、安全保障、自己防衛のためだとマッカーサーが言っているのは否定のしようがない。

※こちらも注目

〇トルーマン/マッカーサー ウェイキ島会談議事録

Substance of Statements Made at Wake Island Conference - October 15, 1950

http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/koreanwar/documents/index.php?documentdate=1950-10-15&documentid=ki-9-4&pagenumber=1

ウェイキ島会談議事録P12-6行目以下。マッカーサーが朝鮮戦争の戦犯取り扱いについて語る箇所。

Don't touch the war criminals. It [doesn't work]. The Nurnberg trials and Tokyo trials were [no deterrent]. In my own right I can handle those who have committed atrocities and, if we catch them, I intend to try them immediately by military commission.

戦争犯罪者を裁くというようなことをしてはならない。やってはならない労働だっだ。ニュルンベルグ裁判と東京裁判は戦争の抑止にはならなかった……

この文面からは、日本に対するお詫び云々ではなく、《東京裁判でA級戦犯等を規定して裁く行為は失敗だった》という後悔が見て取れる。

そして、実際にそのように言っていることは間違いない。

この裁判自体が、非常に作為的なものであったということが暗に読み取れる。


マッカーサーの告白は捏造だった!?
2015/03/07

17:21

東条英機首相の証言

昭和二十二年十二月二十六日
東京裁判の証人台にて

《終わりに臨み――恐らくこれが当法廷の規則の上において許される最後の機会であろうが――私はここに重ねて申し上げる。(※極刑を覚悟しての、揺らぐことのない東條首相の意気が感じ取れる-管理人)

日本帝国の国策ないしは、当年、合法にその地位に在った官吏のとった方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣はそれぞれ相承けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、事を処理して行ったが、ついにわが国のかの冷厳なる現実に逢着したのである。(※つまり、追い詰められてしまったのだと言っている-管理人)

当年、国家の運命を商量較計するの責任を負荷した我々としては、国家自衛のために起つということが唯一残された途であった。

我々は国家の運命を賭した。しかし敗れた。しかして眼前に見るがごとき事態を惹起したのである。戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任いかんの問題とは、明白に分別のできる二つの異なった問題である。

第一の問題は外国との問題であり、かつ、法律的性質の問題である。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。

私は未だかつてわが国が本戦争を為したことをもって国際犯罪なりとして、勝者より訴追せられ、敗戦国の適法な官吏たりし者が個人的な国際法上の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せらるとは考えたこととてない。

第二の問題、すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任である。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである。(今時のコウモリ野郎とは異なる本物の日本人の心意気である。まさにこの人こそが英霊だったのだ。-管理人)》(「秘録・東京裁判」清瀬一郎 読売新聞社)

――――――――――――――――――

…………いかがであろうか、この東條首相の証言と先のマッカーサーの証言を対比してみて………

明らかにマッカーサーは、この東條証言を意識して自らの証言を行ったことがわかる。

ウエーキ島での言葉も含めまるで弁護するかのごとき内容となっていることに気がつく。

これは、洋の東西も人種も異なるが、同じ軍人として意気に感ずるものがあったということなのだろう。

「あんな潔い立派な男を卑劣な裁判で死に追いやってしまった」と。

「こちらはもう戦争に勝ったのだから、口で言うことなど、どんなことでもたやすい。いつか何かの機会に無念を晴らしてやろう」

……マッカーサーの頭の片隅には、間違いなくそういう感情があったと私は推測する。

………『しかし、日本はアジア諸国へ侵略し、南京大虐殺をはじめ、現地民に多大な苦痛と迷惑をかけたのは事実ではないか』

未だに上記のようなことを唱える人もいるようだが、そのような人達は、おそらく村山富市のような人物に洗脳されているものと思われるが、歴史の真実については今の時代はいくらでも動画によって過去の時代の様相を実際に見ることができる(20世紀)ので、ぜひ、その検証作業を自らの手でしていただきたいものである。……日韓併合時のソウルの様子であれ、当時の南京の様子であれ……

私は、民主党や社民党にも「あなた方の歴史認識はおかしいですよ。間違ってますよ。」と何度も動画や正確な文書の資料を送信したが、呆れたことに、この連中は、そういう正しい証拠を添えた話について、聞く耳を持とうとしないのである……………(菅直人などは更に非常に悪質な政治家だ。こいつは、日本人から親近感を得るために弘法大師空海まで利用してるのである)これは、皆さんよく御存知の通り、朝日新聞、毎日新聞、中日新聞、神奈川新聞等にも見られる傾向である。

教えても教えても嘘の世界にへばりつこうとするのである。

要するに、《我々在日朝鮮人は被害者なのだ。日本が侵略したために生まれた犠牲者なのだ。だから、日本人には様々な権利を主張できるのだ。》という所を崩されると都合が悪い、嫌なわけである。

それで、教えても教えても延々と嘘の世界にへばりつこうとするわけである。

その中でも最も性悪で質が悪いのが村山富市である。

こういう白髪頭の、あたかも歴史の生き証人のごとくの年齢の人物が真顔で捏造を敷衍すると、どうしても「……そうなのかぁ」と多くの真面目な人間が釣られてしまう。

この村山は以前、どこかの番組で「東南アジア諸国に行って、わかることは、皆さん日本人に虐待されたということは口には出さない。しかし、雰囲気として強く感じるんです。どこへ行っても」などと語っていた。

こういう邪悪な、日本人を貶め国体破壊を謀る輩は、国家転覆内乱罪を適用して処刑する以外にないと私は考える。

村山の話が、嘘か本当か、では、その辺の真実に迫る東南アジアの現地発の以下の動画を見て頂こうではないか。

【KSM】親日国 パラオは今でも日本を愛している 「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」

http://www.youtube.com/watch?v=ayPz-_wQswo

インドネシアが世界一の親日国である理由

http://www.youtube.com/watch?v=doPlKvTdIbA

日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】

http://www.youtube.com/watch?v=RntUs2gjM3g

※アジア諸国が親日であることを示す現地の証拠を掲載した動画は他にも多数あり。
これらの動画もまた、東條首相の証言が嘘ではなかったことを裏付けるものとして注目されている。

村山よ、お前のような者がいるために《ウソつきは朝鮮人の始まりだ》と言われるのである。

おまけ

◎毛沢東の証言

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-75.html

  • 以下転載-
  • 昭和39年7月10日、佐々木更三氏(社会党議員団)をはじめとする中国訪問団は毛沢東主席と会見した際に、毛沢東主席は下記『』のような挨拶を行っています。

『私はかつて日本人の友人に次の事を話したことがあります。日本の友人たちは、皇軍が中国を侵略して申し訳ないと言いました。私は、いいえ、と言いました。もし、日本の皇軍が中国の大半を占領していなかったら、中国人民は団結して、これに反対して闘うことができなかったし、中国共産党は権力を奪取することができなかったでしょう。ですから、われわれにとって、日本の皇軍は立派な教師だったのです。

佐々木 今日、毛主席から非常に寛大なお話を伺いました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略して皆さんに大変ご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。

毛主席 なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。

佐々木 ありがとうございます。

毛主席 過去のことははなさないようにしましょう。過去のことは、ある意味ではいいことでもありましたし、われわれの助けになりました。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取したではありませんか。』

社会主義の理論と実践(1964年9月号)
毛沢東主席と会見記録(全文)

と き 1964年7月10日
ところ 人民大会堂

毛沢東主席との会見記録

中国共産党政府の最高指導者である毛沢東主席は、1964(昭和39年)7月10日、日本社会党訪中団の佐々木更三団長が、戦争について謝罪したのに対して、「なにも謝ることはない、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。お陰で、中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしには、私達が権力を奪取することは不可能だった。……もう過去のことは、話さないようにしよう。……」と述べている。
(毛沢東主席と会見記録)………「社会主義の理論と実践1964年9月所収」

【※毛沢東の口からは、南京大虐殺のなの字も出てこない。もし、南京大虐殺が本多勝一の創作ではなく史実であったとするならば、この時この時点において毛沢東がこんな発言をするわけがない。
いかがでしょうか?在日朝鮮人の皆さん。中国共産党な皆さん。
『なにも謝ることはない、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。お陰で、中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしには、私達が権力を奪取することは不可能だった。……もう過去のことは、話さないようにしよう。』とのことです-管理人】

日中間における事変当時の中国の混乱
清国政府が倒れたあと、中国では、幾つかの軍閥が入り乱れての内戦を果てしなく続け、また各地に馬賊、匪賊が跋扈して、その各軍閥、馬賊、匪賊のいずれもが、一般住民を襲って暴行、略奪虐殺を繰り返していたので、一般住民は右往左往して逃げ回っていて、国家としての自立能力がまったくなかった。(ラルフ・タウンゼント「暗黒大陸中国の真実」(芙蓉書房)に実例が詳しく載っている)

日本軍の行動

その様に、社会の秩序が滅茶苦茶になつている中国で、日本人居留民を保護するために、契約上、駐留していた日本軍は、日本人居留民や日本軍を襲撃してくる各軍閥や馬賊、匪賊、ゲリラに対しては、すべてを鎮圧したが、一般住民は、全く攻撃の相手ではなかった。そして、特に中国共産党の強敵であった国民党軍には大打撃を与えて、重慶まで追い込んだ。

先の戦争は侵略戦争ではない

毛沢東主席が「日本軍なしには、中国共産党は権力を奪取できなかった」と言っているのは、日本軍が国民党に大打撃を与えてくれたお陰で、御年の中国共産党と国民党軍の内戦で、中国共産党が勝利することが出来たのだ、と感謝しているのである。

当時、日本軍の占領地区は、馬賊、匪賊、小軍閥の 動を日本軍が制圧して、治安が回復し、日本軍はインフラの修復、整備を進めて、産業が徐々に回復したので、右往左往して逃げ回っていた中国の人達にとって、日本軍占領地区が、中国の中で一番安心して生活できる地域に変わっていて、その頃の中国の文化人達は、リンカン区(日本占領地区)は楽園に変わったと喜んでいた。

日本人の知識人の中には、「日本は侵略戦争をして、悪いことをしたから、誤るべきだ」と思い込んでいる者が多いが、その当時の中国は、清国政府の時代に、西欧列強に別図の様に漸次蹂躙され、清国政府が倒れたあとは、国内の秩序は、混乱を極めて、国家としての自立能力が全くなかったことを考えてみたらよい。

だから、その当時、若し日本軍が大陸に駐留していなければ、中国は西欧列強のイギリス、フランス、ドイツ、ロシアに分割統括されるしかなく、同じ様に国家としての自立能力がなかった朝鮮半島は、ロシア領になってしまうしかなかったから、現在の中国共産党政府も、韓国政府も生まれていなかった。

そして、朝鮮半島がロシア領になれば、日本の独立も危うくなることは、自明の理であった。そこで日本の独立を守るために、日本は契約によって大陸に軍隊を駐留させて、西欧列強の拡大を防ぐとともに、秩序の混乱した中国で、日本人居留民を守るために必要な軍事行動は、侵略戦争とは言わない。-後略-

  • 転載ここまで-

――――――――――――――――――

※この毛沢東の証言は捏造ではないようである。

愛国行進曲

http://www.youtube.com/watch?v=c0X5N4m46rE

四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫る

今幾度か我が上に
試練の嵐 哮る(たける)とも
断乎と守れその正義
進まむ道は一つのみ


http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-230.html