歴史・人名

世界の環境問題(年表)

世界の環境問題(年表)(読み)せかいのかんきょうもんだいねんぴょう

   世界の環境問題年表

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1860年代 ティンダール(イギリス)、大気の組成変化による気候変動を指摘
1873~1892 ロンドンで大気汚染のため500~2000人以上死亡
1874 ドイツでDDTが合成され、1939年殺虫剤として工業生産開始
1891 アメリカで自然保護団体シエラ・クラブ設立
1896 アレニウス(スウェーデン)、二酸化炭素濃度が2倍になったときの気温の上昇幅を計算
1929 PCB(ポリ塩化ビフェニル)工業生産開始、以後有機塩素系農薬、工業溶剤、原材料としての有機塩素化合物の開発が進み、1940年生産拡大
1930 ムース(フランス)で大気汚染のため60人死亡、数千人に被害
1938 キャレンダー(イギリス)、大気中の二酸化炭素濃度の上昇を観測
1946 「国際捕鯨条約」採択
1948 アメリカのペンシルベニア州ドノラ渓谷(鉄、亜鉛等の工場地帯)の大気汚染被害事件、20人死亡、6000人に被害
1949 アメリカのニトロ市にあるモンサント社の245‐T工場で災害が発生し、250人のダイオキシン被災者を出す
1950 メキシコのボサリカで工場の硫化水素ガス漏れ事故
1952 ロンドンのスモッグ事件、心肺性疾患多発、推定死者4000人
1954 海洋油濁防止条約(油による海洋汚染防止のための国際条約)の締結
1956 イギリスで「大気清浄法」制定
1958 ハワイのマウナ・ロア火山で二酸化炭素農度の精密な連続測定を開始
1959 「南極条約」採択(1961年発効)
1961 世界野生生物基金(WWF)設立(1988年世界自然保護基金と改称)
1962 レイチェル・カーソン(アメリカ)『沈黙の春』を著し、化学汚染を警告
1963 アメリカのジョンソン大統領の化学諮問委員会が枯れ葉剤の人体に及ぼす慢性影響について憂慮を表明、これに基づき国立癌研究所でネズミを使った毒性実験を行い、ダイオキシンが異常出産や先天性障害児の出生率に影響を及ぼすことを明らかにする
1964 黒潮および隣接海域調査(CSK、~1977年)
1960年代後半 WHO(世界保健機関)、都市部の大気汚染監視プロジェクトを世界規模で実施、大気中のSO2、浮遊粉じんに関してモニタリング、後に国連環境計画(UNEP)の協力のもと大気汚染監視計画(GEMS/Air)として引き継がれる(1972年)
1966 PCB(ポリ塩化ビフェニル)の海洋汚染がスウェーデンの学者によって発見される
1967 イギリス南部沿岸で巨大タンカー座礁、原油流出による生態系被害(トリー・キャニオン号事件)
1968 オーデン(スウェーデン)が北欧の酸性雨の原因をイギリスなどからの越境汚染と指摘
1969 アメリカで環境保護NGO(非政府組織)「地球の友」設立
1971 「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)」採択(1975年発効)
1972 ストックホルムで「国連人間環境会議」開催、開発途上国は公害問題でなく、開発の推進と援助の増強に重点。国連、世界遺産条約
1973 OECD(経済協力開発機構)「PCB(ポリ塩化ビフェニル)の規制により環境を保護するための決議」を採択し、特殊用途を除くPCBの使用禁止を義務づけ。ワシントン条約=絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約の批准
1974 国連総会で「砂漠化防止のための国際協力に関する決議」採択。アメリカ、Safe Drinking Water Act制定。バルト海岸7か国が世界初の多国間公海汚染防止条約に調印
1976 オランダで都市ゴミ焼却炉の排ガスからダイオキシンを検出。イタリアのセベソで化学工場(枯れ葉剤)爆発。カナダの先住民に水俣病症状が確認される
1977 アメリカの環境保護局(EPA)等、エアロゾル製品のフロンガス使用禁止
1978 アメリカのラブ・キャナルで大量の有害廃棄物の地下埋設が判明し五大湖が汚染、カーター大統領による非常事態宣言(ラブ・キャナル事件)。ソ連原子炉衛星カナダに墜落。

1979 アメリカのスリー・マイル島原子力発電所大事故。トリニダード・トバゴでギリシアタンカー事故による大量の油流出(アトランティック・エクスプレス事件)。第2回OECD(経済協力開発機構)環境大臣会議開催され、「予見的環境政策に関する宣言」採択
1980 アメリカ・カナダ、「越境大気汚染に関する合意覚書」締結。世界103か国の政府機関や研究団体、住民運動組織が参加する国際自然保護連合が、「世界自然資源保全戦略」を発表
1981 ノルウェー、フロン使用のエアロゾル製品の製造、輸入禁止
1982 ウクライナのスラブニク肥料工場で廃液が大量流出
1983 OECD「環境アセスメントと開発援助に関する特別グループ」設置。アフリカのナイロビで国連環境計画(UNEP)の会合開催
1984 インドのボパールで農薬工場から有毒ガスが漏出し2000人以上が死亡(ボパール事件)。国連、「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」発足
1985 越境大気汚染条約に基づき硫黄酸化物排出基準の30%削減を定める「ヘルシンキ議定書」の採択
1986 チェルノブイリ原子力発電所事故。スイス、バーゼルでおきたドイツ化学会社倉庫の火災により、ライン川に国際的汚染事故
1987 EPA、紙製品の中に微量のダイオキシンを検出。UNEP(国連環境計画)、フロンを10年間で半減させる旨の議定書(モントリオール議定書)の採択、「ウィーン条約」に基づく具体的な規制内容を定める議定書(フロンの年間生産量・消費量を1988年7月以降1986年水準の50%以下に削減)
1988 国連ヨーロッパ経済委員会、「ソフィア議定書」締結。1994年までに欧米各国の窒素酸化物の排出量を1987年の水準に凍結
1989 オランダ、ノールトヴェイクに世界69か国の環境大臣が集まり、温室効果ガスの排出量の早期安定化の必要性について合意(ノールトヴェイク合意)。エクソン・ヴァルデス、アラスカで暗礁し原油3800万リットル流出。史上最大の規模
1990 ヒューストン・サミット、経済宣言で温暖化枠組条約および森林に関する国際的な取り決めまたは合意を1992年までに策定することを採択
1991 湾岸戦争でペルシア湾に大量の原油流出
1992 環境と開発に関する国連会議(地球サミット)開催。「気候変動枠組み条約」採択。メキシコ、グアダラハラで下水道が連続爆破で死者200人以上、食用油製造工場からの引火性のヘキサンが原因
1993 国連、生物多様性条約が発効
1994 オーストラリア・日本・アメリカのサンゴ礁保全を目的として国際サンゴ礁イニシアティブ締結
1995 国連が15か国の二酸化炭素排出状況報告書作成
1996 国連環境計画が気温上昇などによる伝染病、食中毒、熱射病者増加を懸念公表
1997 第3回地球温暖化防止会議=気候変動枠組み条約締約国会議が京都で開催、京都議定書が採択される
1998 第4回地球温暖化防止会議がブエノス・アイレスで開かれたが、各国の対立が顕著になる。世界各地で異常気象、記録的高温にみまわれる
1999 ドイツで環境税導入。モントリオール議定書締約国会議が北京で開催、ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)の規制を採択
2000 大津市でG8環境相会合を開催。太平洋でラニーニャ現象が発生
2001 アメリカが京都議定書からの離脱を表明。第7回地球温暖化防止会議がモロッコのマラケシュで開催、京都議定書の運用ルールについて最終合意。国際海事機関(IMO)が船底防汚塗料に有機スズ化合物(TBT)の使用を禁止(付着防止剤禁止条約)
2002 南アフリカのヨハネスバーグで環境サミット(持続可能な開発に関する世界サミット)が開催
2003 世界水会議(World Water Councilの頭文字をとってWWCと略称)主催の第3回世界水フォーラムが日本(京都、滋賀、大阪)で開催(世界水会議は水に関する政策などを検討するNGOのシンクタンクで、ユネスコや世界銀行などが中心となり1996年に発足、本部はマルセイユ)
2004 第10回地球温暖化防止会議がアルゼンチンのブエノス・アイレスで開催、気候変動による影響への対応について、開発途上国への資金支援・人材育成支援などを内容とする「5か年行動計画」の策定が決議。ノーベル平和賞をケニアの環境保護運動家マータイが受賞
2005 京都議定書が発効(アメリカ、オーストラリアなどは離脱したまま)。クリーン開発と気候に関するアジア太平洋パートナーシップ発足
2006 世界水会議主催の第4回世界水フォーラムがメキシコ・シティで開催、世界約140か国が参加。FIFAワールドカップ・ドイツ大会において、期間中、国連環境計画(UNEP)支援によるグリーン・ゴール・プロジェクト(観戦者たちに環境に対する意識を啓発し、公共交通機関の利用などを通じて、温室効果ガス削減に貢献するよう奨励する)が行われる。ヨーロッパ連合(EU)、RoHS(ローズ)指令(特定有害物質使用制限指令)施行
2007 ドイツのハイリゲンダムで第33回主要国首脳会議(G8)開催、地球温暖化問題(2050年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を半減させるよう真剣に検討すること)で合意。ニューヨークの国連本部にて「気候変動に関するハイレベル会合」開催、世界150か国以上の代表が地球温暖化など地球環境問題への取り組みを話し合う。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)がアメリカ合衆国元副大統領ゴアとともにノーベル平和賞を受賞、人類の活動と地球温暖化および気候変動との因果関係を知らしめ、環境問題への理解を広めたと評価された