歴史・人名

久松松平家

久松松平家 多古藩  梅鉢  1万2000石

下総香取郡多古(千葉県香取郡多古町)
                       譜代 陣屋

移封加減増履歴・正徳3年→下総多古1万2000石
江戸城詰席・菊之間 子爵
上屋敷・小石川西富坂上
参勤・参府8月、帰国2月
人口・全領地7241人、家数1468軒
                      明治2年現在

藩祖・勝以(かつゆき)
松平勝義の九男 母は某氏
生没・寛文元年(1661)~享保13年(1728)
寛文2年(1662)兄の勝忠の養子となる
延宝8年(1680)家督相続し9000石を知行する
小姓から仕え、その後、小姓組番頭、家千代(家宣側室右近の方の子、早世)傳役、西の丸側衆、側衆(本丸)、大坂定番を歴任す
正徳3年(1713)加増されて1万2000石となる
従五位下大蔵少輔
正室・池田政武の養女(政武は交代寄合)
継室・西洞院時成の養女
子女・2代勝房
養女(梅渓季通の娘)→旗本神保茂清室

2代・勝房(かつふさ)
勝以次男 母は正室池田政武の養女
生没・元禄15年(1702)~延享3年(1746)
家督・享保13年(1728)相続
従五位下美濃守
元文元年(1736)隠居
正室・鶴牧藩水野忠定の娘
子女・養子勝尹(3代)

3代・勝尹(かつただ)
旗本松平勝久の長男 母は某氏
生没・正徳3年(1713)~明和5年(1768)
家督・元文元年(1736)相続
従五位下豊前守
正室・島原藩松平忠刻の養女
子女・4代勝全 尹方(別家)
女子→紀伊田辺藩安藤次猷室
女子→神戸藩本多忠興室

4代・勝全(かつたけ)
勝尹長男 母は正室松平忠刻の養女
生没・寛延3年(1750)~寛政8年(1796)
家督・明和5年(1768)相続
従五位下豊前守
寛政6年(1794)隠居
正室・亀山藩松平信直の娘
継室・島原藩松平忠俔の娘
子女・5代勝升 全好

5代・勝升(かつゆき)
勝全次男 母は正室松平信直の娘
生没・安永7年(1778)~文政元年(1818)
家督・寛政6年(1794)相続
従五位下大蔵少輔
正室・高取藩植村家長の娘
子女・養子勝権(6代)
養女(弟松平全好の娘)→勝権室

6代・勝権(かつのり)
彦根藩井伊直中の九男 母は某氏
生没・文化4年(1807)~慶応4年(1868)
家督・文政元年(1818)相続
従五位下相模守
嘉永元年(1848)隠居
正室・勝升の養女
子女・7代勝行

7代・勝行(かつゆき)
勝権長男 母は某氏 
生没・天保3年(1832)~明治2年(1869)
家督・嘉永元年(1848)相続
維新後に姓を「久松」に復す
従五位下大蔵少輔
正室・岡崎藩本多忠考の娘