歴史・人名

二人の天照大神(Historical)

古代史の論点(Historical)

二人の天照大神

天照大神には二つ或いは三つの行動様式があります。「夢型」「詔勅型」「行動型」です。『古代の風』111号に掲載していただきました。

天照大神は、記紀神話中、最も重要な役割を果たす女神である。このことは、常識といっていいだろう。この天照大神は、記紀の神代巻(古事記上巻、日本書紀巻一、巻二)以外でも登場している。それが、「神武東征」説話と、「神功三韓征伐」説話である。各々、登場箇所を古事記から引用しておこう。

   高倉下答へ白ししく、「己が夢に、天照大神、高木神、二柱の神の命もちて、建御雷神を召びて詔りたまひけらく、『葦原中国はいたく騒ぎてありなり。我が御子等不平みますらし。その葦原中国は、専ら汝が言向けし国なり。故、汝建御雷神降るべし。』とのりたまひき。…(以下略)」神武記
   ここに具に請ひけらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまく欲し。」とこへば、すなはち答へて詔りたまひしく、「こは天照大神の御心ぞ。また底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神ぞ。…(以下略)」神功記
   (ただし、書紀では、天照大神の名は、忍熊王との戦いの中で務古水門で祀った神として登場する〈摂政元年二月条〉。新羅遠征前に登場するのは、1伊勢五十鈴宮神、2淡郡に居る神、3厳之事代神、4住江三神であって、天照大神は登場しない。)

まず、神武記を見よう。

見てのとおり、これは、高倉下の見たという「夢」の話だ。この事実を厳に確かめておく必要がある。なぜなら、ここに天照大神が登場することを以って、「神武東征」説話の信憑性そのものを疑う立場が絶えないからだ。はっきり言っておこう。高倉下がどんな夢を見ようと、勝手だ。その夢の内容(天照大神からの剣の下賜)と、今彼の手元にあって、神武に献上しようとしている剣を、どのように結び付けたとしても、それは高倉下の勝手だ。そして、その話を「真に受ける」か否かは、神武の勝手である。この「神武東征」という説話自体の真実味とはまったく次元の異なる問題なのである。

むしろ、神武はこの「夢」を積極的に利用した、と見るべきだろう。これによって、彼は「大義を得た」と主張しているのである。

さて、このような文脈に登場する「天照大神」は、当然、(この神武の時点では)現実には存在していないと見るべきである。この高倉下の「夢」には、「天孫降臨」説話との類似が認められる。「葦原中国」「建御雷神」「高木神」などである。これも神武や高倉下、それに神武と行動を共にする軍団の伝え聞いた「昔話」(つまり「天孫降臨」説話)を元に、語っているのだとすれば、何の問題もなく理解できるであろう。(この点、古賀達也「盗まれた降臨神話」(古田史学会報No.48)のように「天孫降臨」説話からの盗用を疑う立場に対しても、一石を投じることとなろう。この「高倉下」が「天孫降臨」当時の説話であれば、この「夢」はあまりにも「現実味」に欠ける。また、後述するように「天孫降臨」当時の語り口とはあまりに趣を異にするのである。)

次に、神功記だ。

こちらは神功皇后が「シャーマン」として「神懸る」場面だ。だから、現実には、動いているのは神功の口であって、実際に彼らの前に天照大神が現われたわけではない。当然、実在していないのである。

さて、なぜここまで、いわば当然ともいえる状況を改まって確認してきたか。

それは、これとは趣を異にする神代の天照大神の分析の為である。

まず、神代における天照大神の行動を全て挙げよう。天照大神が主語となっている文の述語動詞である。

   聞く・驚く・詔る・(御髪を)解く・(みみづらに)纏う・(珠を)纏い持つ・(靫を)負う・(靫を)附く・(高鞆を)取り佩く・(弓腹)振り立つ・踏みなづむ・蹴散かす・踏む・建ぶ・待つ・問う・詔る神代記、須佐之男命の昇天
   乞い度す・打ち折る・振り滌ぐ・噛む・吹き棄つ・告る神代記、天の安の河の誓約
   咎む・告る・坐す神代記、須佐之男命の勝さび
   見畏む・開く・さし籠る・開く・告る・出づ・臨む・出づ神代記、天の岩屋戸
   問う・賜う・問う・詔る神代記、国譲り
   無し神代記、天孫降臨

一見してわかるとおり、国譲り以前と、以後では全く趣が違う。国譲り段階からは、天照大神は、全く「直接的な行動」をとらなくなるのである。もちろん、「問う」「賜う」「詔る」の内実は不明だ。何を以って「直接的」と称するのかについても、議論の余地はある。(「言う」「書く」が、あらゆる意味で「行為」であることは、現代言語学上の常識に属すといっても過言ではない。)

しかし、次のような表現を見るとき、これらの説話の「主体」に目を向けざるを得ないのである。

   天照大御神之命以…(中略)…言因賜而天降也(天照大御神の命もちて「…」と言よさしたまひて、天降したまひき。)神代記、国譲り
   爾天照大御神高木神之命以詔太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(ここに天照大御神、高木神の命もちて太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に詔りたまひしく、)神代記、天孫降臨

この「天照大御神之命以」という表現だ。一見すると、天照大御神は主体のようではある。だが、文法的には違う。漢文的には「以AB」という形が普通で、「AでBする」「AによってBする」という意味となるが、「A以B」という形も使うことがあり、これも「AでBする」という意味になる。ニュアンスとしてはより「A」を強調した形となるという。

   詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。論語、為政

従って、ここも、「天照大神の命(A)によって言よさす(B)」「天照大御神、高木神の命(A)によって詔る(B)」とならざるを得ない。

微妙な言葉尻を捉えた議論だと思われるかもしれない。だが、このように解してくると、この文面には「主体」が存在しないことが明らかになってくるのである。

先に挙げた例の読み下し文は倉野憲司の岩波文庫本によるが、倉野のこの読み下しは正確とはいえないであろう。「天降したまひき」と、いかにも天照大神を主体に読み下しているが、むしろ、「天照大神の命によって「…」と言よさして(言よさしたので)、(天忍穂耳は)天降った」という意味に解しておくほうがよいのではないか。

あくまで主体は天忍穂耳、邇邇芸の両者であって、天照大神高木神は、その「理由付け」に過ぎないのである。

一方、国譲り以前の天照大神は非常に行動的だ。

少なくとも、この二つの天照大神の行動様式は、注目しても良いと思われる。

(もっとも、国譲りの段の中で、高木神が「直接行動」をとっている箇所がある。

   故、高木神、その矢を取りて見たまへば、血、その矢の羽に著けり。…(中略)…その矢を取りて、矢の穴より衝き返し下したまへば、天若日子が朝床に寝し高胸坂に中りて死にき。神代記、天若日子

この説話の成立を考える上で、興味深い。)

さて、同じように古事記を見てみると、同じように二通りの行動様式を持った神がいることに気づく。

それは、大国主命である。

大国主命は、特に古事記では、十分な活躍の場を与えられている。

以下にその全行動を挙げる。

   (袋を)負う・(菟を)見る・教え告る神代記、稲羽の素兎
   (大石を)取る・死ぬ・出で遊行ぶ神代記、八十神の迫害
   寝ね出づ・出づ・踏む・(矢を)奉る・見る・咋い破る・含む・唾き出す・握る・結い著く・取り塞ぐ・(須世理毘売を)負う・取り持つ・逃げ出づ・持つ・追い避く・追い伏す・追い撥う・(国を)作る神代記、根の国訪問
   婚う・幸行く・歌う神代記、沼河比売求婚
   上る・束装う・立つ・(手を)懸ける・(足を)踏み入る・歌う神代記、須勢理毘売の嫉妬
   坐す・白す・作り堅む・愁う・告る・曰す神代記、国作り
   答え白す・白す・答え白す神代記、国譲り

このうち、「稲羽の素兎」「八十神の迫害」「根の国訪問」などの段では、直接行動をとっている。

しかし、彼もまた、「国譲り」の件では、直接行動をとらなくなるのである。全て、建御雷神との問答に終始しているのである。直接行動をとるのは、彼の二人の子だ。

大国主神は、三輪の大物主大神と同一視されることが多い。その大物主神は、崇神記に登場する。また、垂仁記の「出雲の大神」も大国主神を指すものと考えられる。

   ここに天皇愁ひ歎きたまひて神牀に坐しし夜、大物主大神、御夢に顕はれて曰りたまひしく、崇神記
   ここに天皇患ひたまひて、御寝しませる時、御夢に覚して曰りたまひしく「…」とのりたまひき。かく覚したまふ時、太占に占相ひて、何れの神の心ぞと求めしに、その祟りは出雲の大神の御心なりき。垂仁記

その登場の仕方は、神武記における天照大神と同じく、「夢」の形だ。この「夢」という形式(夢型)の登場と、「国譲り」「天孫降臨」における形式(詔勅型)、それ以前の説話における形式(行動型)という、三様の形式を区別する必要があるだろう。

先ほども述べたとおり、「夢型」の例は、少なくともその説話の時点では、これらの神は現実には存在しないと見てよいだろう。そういう認識で語られている。(「現実には存在しない」という言葉を用いたが、これには、「架空」「死」「不在」のいずれをも含む。「死」とは「不在」であり、生前を知らぬものにとっては「架空」と「死」の境界線などない。ここでは、そのような区別よりむしろ、その説話の時点で「実在」か「不在」かが問われるのである。)

「行動型」は逆に、この説話の時点で必ずそこに彼らの存在したことが語られているのである。今、「架空」「実在」という点は、問わない。少なくとも、「天岩屋戸」説話の物語世界では、天照大神が確かに存在していたのである。この「物語世界」そのものが、フィクションかノンフィクションか、それが問題となるべきであって、天照大神自身は、確実にこの物語世界で生きている。これが、先の「夢型」との違いだ。

「詔勅型」はどうだろうか。ここでは、当の神の「不在」は前提されてはいない。むしろ、「実在」を前提としているかのようである。その一方で、少し穿った見方をすれば、実在を偽装しているようにも見えるし、反対に、不在を演出しているようでもある。

これがいったい何を意味するのか、今は断言できない。試みに言えば、「天照大神」「高木神」「大国主神」は、この説話当時には、現実に存在しなかったのでは無いか、という疑問は払拭できない。ここ(「国譲り」「天孫降臨」)が、記紀の描くところの、「神話」と「歴史」の境目では無いか、とも考えられる。

しかし、この点は、なお慎重な検討を要するだろう。

ひとまず、天照大神の二種類の行動様式を指摘するにとどめておきたい。