歴史・人名

京極政経

京極政経(きょうごく まさつね) ????~1508
○六郎 政高 大膳大夫 治部少輔
◇父:京極持清 子:京極経秀(材宗)
 近江守護・京極氏一族。父、兄勝秀の遺児孫童子丸が相次いで死ぬと、自らの子経秀に家督を嗣がせようとするが、甥高清を擁する国人衆によって追放され、その後争いを繰り返す。1473年幕府から、正式に北近江、出雲、隠岐の守護に任命されている。1475年一時的に近江を奪回するが、再び追放され、守護代尼子清定が地盤を固めていた出雲に入国。出雲に本拠を定め、寺社本所領の横領を進めていた守護代尼子経久を1482年に追放するが、1486年経久が富田城を奪回され京に逐われた。1490年再び北近江領に攻め入り高清を破るが、1499年重臣上坂家信の助勢を得た高清によって近江を奪回されている。