歴史・人名

人名ゆ

湯原春綱(ゆはら はるつな) ????~????

○楽心 豊前守
◇子:湯原元綱
 出雲・尼子氏、続いて安芸・毛利氏に仕えた。医王山城を守り、備前・宇喜多氏の侵攻を受けた際には籠城して死守した。 遊佐続光(ゆさ つぐみつ) 1548~1581 
○美作守
◇室:平信光女 子:遊佐右衛門尉盛光
 能登・畠山氏の下、代々守護代を務めた重臣。畠山七人衆筆頭として主家以上に権力を振るうが、失政多く、温井氏等重臣間との対立抗争が絶えず、失脚復職を繰り返す。越後・上杉氏の侵攻を受けた時は重臣結束してよく七尾城を守ったが、織田信長の援軍を求めようとする長一族を殺して上杉氏に降った。その後、織田軍の攻略を受けて、身を隠すが発見され斬首。 メインへ

白河結城顕頼【ゆうきあきより(1470~1543)】

結城政朝の男。官途は宮内少輔。通称左兵衛佐。室は田村直顕の娘。父結城政朝が葦名家から後室をめとり生まれた子(五郎)を寵愛して、老齢になっても結城顕頼に家督を譲ろうとしなかった。1510年、一族の小峰直常や岩城家の援助を受けて父と五郎を追放し家督を継いだが、この内紛で白河結城家の力は衰退し、所領を多く失った。古河公方の内乱がおこると足利政氏方に味方している。後に那須家の当主として養子になった弟那須(結城)資永が内紛の末自刃した。1520年、報復のため岩城家を誘って挙兵し下野に侵略して那須資房と争ったが、岩城家が那須家と和睦したため果たせなかった。

白河結城義綱【ゆうきよしつな(1500~1559)】

結城顕頼の男。官途は左兵衛佐。白河結城家は、佐竹家の内紛に乗じて勢力を拡大し、佐竹家の本拠近くまで所領を広げたが、結城義綱の代には佐竹家の反攻に遭い、次第に勢力を削られていった。1534年、岩城重隆の娘と嫡男晴綱との婚姻をめぐって伊達家と対立し、伊達家伊達側についた芦名、石川、二階堂、相馬家らと争う「滑井合戦」が敗北し、岩城家との婚儀は果たせず、所領の一部も失った。そのためか、次代の結城晴綱は「天文の乱」で伊達晴宗から田村隆顕を背後から牽制するように要請を受けたが、結城晴綱はそれに応じず、積極的にこの乱に参加しなかった。

白河結城晴綱【ゆうきはるつな(1520~1573)】

結城義綱の男。官途は左京大夫。近隣の二階堂家や田村家、石川家と和戦を繰り広げた。岩城家とは友好関係を保ち、佐竹家と抗争が起きた際には何度か調停を受けている。1544年、伊達家の「天文の乱」に結城晴綱は積極的に介入しなかった。1545年、伊達晴宗から友好を求められたこと、二階堂輝行(稙宗婿)の領地を侵した。1546年、伊達晴宗から田村義顕、田村隆顕(稙宗婿)父子を背後から牽制するように要請を受けたことなどが知られており、伊達晴宗派であったと思われる。1539年、那須政資、那須高資父子が争った際、下総結城家の結城政勝、小山高朝に協力して高資を支援した。 1551年、二本松義国と共同して、対立していた芦名家と田村家を仲介し講和を成立させた。1555年、内訌を克服し領内に侵攻してきた佐竹家に対抗すべく、枝連衆筆頭の小峰義親の室に芦名盛氏の娘を迎え、芦名家と同盟し、また小田原の後北条家とも同盟して佐竹家と争うが、那須家との争いも勃発するなどして、次第に勢力を失っていった。1571年、重病の床に伏した。嫡男の勇気義顕は幼少だったため、白河結城家は小峰義親が家政を執り行うこととなった。

白河結城義顕【ゆうきよしあき(1567~1613)】

結城晴綱の男。官途は治部大輔。1574年、小峰結城義親による白河城攻略により、常陸国に落延びた。

白河結城(小峰)義親【ゆうきよしちか(1541~1626)】

白河結城顕頼の男。室は芦名盛氏の娘。「永正の変」により断絶していた白河結城家の庶流である小峰家の家督を相続した。1573 年、宗家の結城晴綱が病死し幼少の結城義顕が家督を継ぐと、その後見人となって白河結城家を取り仕切った。1575年、家老の和知美濃守と図って白河結城義顕を追放し、結城(白河)姓を名乗って自らが白河結城家の当主となる「天正の変」。1579年、佐竹義重の次男佐竹義広を養子に迎え、小峰義親は入道し不説斎と号し佐竹家に恭順の意を示して芦名義広の後見人となった。1587年、佐竹義広が芦名家を継いだため、再び小峰義親が白河結城家の当主となった。佐竹家に従って伊達家としばしば争った。1589年、芦名家が滅ぼされると佐竹家を離れ伊達家に帰順した。1590年「小田原の役」において、伊達政宗に参陣を止められていたため、伊達政宗に託して羽柴秀吉に貢物を贈ったが、参陣しなかったために許されず、所領を没収され改易された。

白河結城家臣団【ゆうきけかしんだん】

調査中。


【資料Ⅰ】

磐城国(14郡/)

相馬三郡(行方、宇多、標葉郡)
岩城四郡(磐城、磐前、菊多、楢葉郡)

伊具郡:角田城、丸森城。(26,000石)
亘理郡:亘理城、坂元城。(16,000石)
刈田郡 :白石城。(20,000石)
宇多郡:中村城、中館。(22,000石)
行方郡:小高城、牛越城。(24,000石)
標葉郡:真壁城。(18,000石)
楢葉郡:真壁城。(12,000石)
磐城郡:岩城平城。(36,000石)
磐前郡:。(24,000石)
菊多郡:平潟湊。(24,000石) 
田村郡:三春城、。(82,000石)
石川郡:二芦城、大寺城。(32,000石)
白河郡(西白河郡):小峰(白河)城、雲霧城(36,000石)
白川郡(東白川郡):棚倉城(12,000石)


【資料Ⅱ】

標葉六騎七人衆【はようろっきななにんしゅう】

六騎衆:井戸川将監、山田、小丸主水、熊隆重、下浦常清、上野但馬守。
七人衆:室原清隆、郡山、樋渡、苅宿、熊川、牛渡、上浦。