歴史・人名

倭国王と新羅王は同祖!?

倭国王と新羅王は同祖!?~『海峡を往還する神々』について
以前に、天皇家の起源を巡る話として、騎馬民族征服説というのがありましたよね。基本的には、そのときにも応神天皇が北東アジア地方から朝鮮半島を経て北九州へ入って、そのまま大和地方へ。しかし、それは退けられた。騎馬文化の基礎中の基礎が日本には根付いていなかった事が挙げられるし、遺跡調査等の考古学の観点からも騎馬民族が征服説は否定されている。もう少し研究は進展していて、日本列島の支配者、ヤマト朝廷のそれを探るなら大王(おおきみ)から天皇(てんのう)へですが、それにしても共立された王が居たのは疑いようがなく、途中から、その王に諸豪族が恭順するという形の中央集権に移行している。

これは邪馬台国の卑弥呼が共立されて王になっていたとされる事とも深く関係していて、当時の中華儒教文化圏では必ずしも《共立》された王は、《世襲制》の王よりも文化水準が低いという価値観の中での記述なんですよね。やがて倭国も、中国大陸や朝鮮半島に倣って統治体制を整えていくのに従い、変化していきますが、基本的に4世紀か或いは7世紀頃ぐらいまでの統治体制は、確固とした中央集権体制ではなかったことが判明している。つまり、大王にしても天皇にしても、一定範囲内では諸氏によって共立されていた王であるというニュアンスが崩せない。(勿論、転機には武断派の大王・天皇も登場するし、まつろわぬ勢力と対決していますが、畿内、ヤマトの体制とはそれであるの意です。)

で、そうした日本の起源にかかる論考を関裕二さんがされていて、その一つが『海峡を往還する神々』(PHP文庫)では、一つの面白い仮説を披露している。

驚いた事に、スタートラインは、新羅の建国神話である。というのも新羅人が新羅史を編纂した「新羅本紀」には、その新羅の第四代の王は海の彼方からやって来たとしている。脱解王(だへおう/だっかいおう)の伝説がそれ。

倭国の東北千里の多婆那国の王が女人国の王女を娶って妻にした。その妻は妊娠から七年目に大きな卵を産んだ。王は卵を不吉に思って捨てようとしたが、妻は、こっそりと卵を絹で包んで箱に入れて海に流した。その箱は最初に金官国の沿岸に流れついたが誰も拾わなかった。後に新羅の浜に箱が流れ着き、ある老婆によってその箱が拾われた。その箱の中には赤子が入っていたので、老婆は赤子を育てることにした。赤子は立派な青年へと成長したので、新羅王は王女を嫁がせ、死後には、この海の彼方から箱に入って流れ着いたという人物が第四代の新羅王となり、それが脱解王である。》

興味のある方は、後で、こちらのリンクを。朝鮮神話について触れてありますので↓↓↓

拙ブログ:卵生神話の解釈についてのアレコレ~2012-8-24

この脱解王の伝承によると、新羅王に倭の多婆那国の王子が即位したように読めてしまう。ですが、勿論、多婆那国(仮に音を当てるなら「タバナ」でしょうけど)は謎だし、そもそも倭の東北千里が日本列島を意味しているのかどうかも謎なので、実は昔から喧々諤々、やっていたのだそうな。因みに「新羅本紀」が編纂されたのは12世紀頃なので、倭を意識していたようにも読めるし、単なる方角を示しただけのようにも読める。

先に、リンクを張りましたが、ホントは、このテの神話で朝鮮半島は溢れている。ですが、同時に、それは「扶余」(ふよ)に遡れる神話にも似ている。何故か、卵生神話=南方系と分類されてしまうのですが、冷静になって、その分類を疑ってしまえば、それは松花江に遡る、典型的な朝鮮半島起源の神話で、私個人は北方系だと思いますが、通常、伝統的に南方系神話とされている。まぁ、丁度、朝鮮半島あたりが南方系の神話も入り、後に北方から騎馬民族系の神話が入っているので、交雑しているとするのが最も真実に近いとは思いますけど。

で、『海峡を往還する神々』では、その新羅の王系からアメノヒボコが登場しているというんですね。往還しているとは、ここを指している。

アメノヒボコは新羅からやって来た王子で、アカルヒメを追いかけて日本に渡って来たとされる人物。で、このアカルヒメにかかる古事記のアメノヒボコ説話も、確かに対応しているように見える。或る卑しい身分の女性が太陽を身ごもって、赤い玉を産み落とす。それを見ていた男が盗み出してみると、赤い玉は女に変身する。その女はアカルヒメといい、このアカルヒメとアメノヒボコは恋仲、あるいは夫婦になる。アカルヒメは料理をつくるなど献身的であったが、やがて仲が冷え込んで、アカルヒメは日本列島へ行ってしまう。そのアカルヒメを追いかけるようにして、新羅王子のアメノヒボコが日本にやって来た、と。

で、改めて、『海峡を往還する神々』で感心したのは、赤い玉から産まれたアカルヒメは「親の国に帰ります」と言って日本にやって来ているんですよね。最初から、フィクションぽい神話だし、仮に神話学の解説を受け入れたとしても、日光感性神話だの、卵生神話だの、どちらも含まれてしまっていて、埒が開かない古事記の神話でもあった。明らかに朝鮮半島、もしくは新羅との関係性が凝縮された神話であろうと判断できるものの、「親の国に帰ります」は見落としていましたよね…。

このアメノヒボコとアカルヒメにとっての「親の国」とは何処なのか?

解釈は二通りになるんですよね。アカルヒメが日本出身であったから、アカルヒメの生家のある国に帰りますという意味であった場合。それともう一つは、アメノヒボコの血統からして、つまり、アメノヒボコの「親の国」を差して、「(あなたと私の)親の国へ帰ります」や「あなたの親の国へ帰ります」という意味であった可能性が出てくる。

アカルヒメとは、ヒメゴソあるいはヒメコソの事で、北九州地方と大阪附近にヒメゴソ(比売許曽)神社があり、九州地方のヒメゴソ神社は、謎のヒメを祀っていたことで有名ですよね。アカルヒメを祀っていますが、それについて、もしかしたら邪馬台国女王卑弥呼を祀っているという説も勿論ありましたし、確か、火を焚く際に、薪をカゴメ紋に、つまり、ダビデの星の形に組み上げて、それに火をつける祭が伝承しているところですよね…。

で、応神天皇の生みの親である神功皇后とも深く関わっているという見方は、歴史学者なども執拗に指摘していた。北九州発の勢力で、そのまま東に向かい、河内王朝を開いたという見立てが、応神天皇。この北九州から大阪へという東進ルートに限っては、誰も疑っていない。更に、この応神天皇の勢力と、住吉大社との因果関係についても、誰も疑わない。東日本では馴染みの薄い住吉神社は海の神であり、航海をする者たちが特に崇めた神社だと説明されていますが、このスミヨシ神社の祭神こそがアメノヒボコであり、そのスミヨシがアカルヒメとの間に子を産み、その子こそが、後の応神天皇であるという、仮説を立てている。アメノヒボコ自身は王になっていないが、その子こそが応神天皇なのではないか? と。

その父であるアメノヒボコは新羅の王子で、更に更に血を遡ると、いずこから流れてきたという桃太郎伝説にも近い、脱解王に遡り、その脱解王の出自となる謎の【多婆那国】についてですが、アメノヒボコ伝説が但馬(タジマ)に辿り付いたと結んでおり、「多婆那=タジマ」の可能性を指摘している。つまり、アメノヒボコはアカルヒメを追いかけて日本列島にやって来て、辿り付いたのがタジマであり、つまりは、アメノヒボコにとっての「親の国」が「多婆那」を意味していたのではないか、と。

しかも、この新羅人にとっては海から流れてきた謎の脱解王についてですが、これについて新羅で編まれた『三国遺事』では【脱解】とは【鍛冶】の事であっただろうと解説している。ここから先については関裕二さんは触れていない可能性がありますが、スサノオ神話なども鍛冶と密接にかかわっているとされ、アメノヒボコは、そのまま鉄や剣との関係を指摘されているから、甘い解釈をすれば、海峡を往還した神とは、このあたりではないのか? スサノオの解説は非常に難解ながら一節に「スサ」とは「州砂」であり、砂鉄を意味しているという指摘があり、奇しくも但馬地方から発見された古墳で、頭部に砂鉄がちりばめられていた砂鉄王の墳墓らしいものが発見されているのだという。その埋葬者がアメノヒボコなのではないかと、考えたくなるのが自然で…。

色々と展開したいことはあるのですが、簡単な感想を述べると、「スミヨシとヒメゴソとアカルヒメとアメノヒボコ」とが繋がるという論考は「ハッ」っとするものを感じました。応神天皇~九州の勢力に係るキーワードだと知っていたものの、そんなにキレイに結び付くワケがないと思い込んでしまっていたと云いますか…。確かに、そこそこ接点は有りそう…。

一方で、神話の読み方、特に、新羅の神話の読み方は少し雑なのだろうなって感じています。まぁ、細々とした検証や所感は、また別の機会に譲りますが、確かにカササギとチョウセンガラス、ヤタガラスの関係など、今まで、人々がビビッて触れられなかった話に触れられるようになった気がします。