歴史・人名

千田稔『邪馬台国と近代日本』(Historical)

書評(Historical)

千田稔『邪馬台国と近代日本』

千田稔『邪馬台国と近代日本』 NHK ブックス、2000年

戦前から戦後の「邪馬台国」研究を、そのおかれていた時代や思想性という観点から読み解く一冊です。
そこらの「邪馬台国」研究史や学説史を読むくらいなら、こちらのほうがはるかにお勧めです。
およそ研究というものは、その時代背景と切り離すことが出来ないものです。これは残念ながら事実と言わなければならないでしょう。
ですから、そうした背景を読み解くという作業は、時には必要なものです。
特に、「邪馬台国」論争なるものは、そうした背景無しには語れないものです。

しかし、残念なことに、千田の読解は、特に「魏志倭人伝」の読解において、偏りがあるといわざるを得ません。
少なくとも、現在のアカデミズムから一歩も足を踏み出してはいない。
それを悪いとは言いませんが、その立場から、過去の読解に対し、批判を発するというか、その立場から、過去の論者を読むということが目立つように思います。
それでは、得られるものが半減してしまうように思います。
例えば、松下見林の『異称日本伝』に対し、次のように断じます。

後漢書』の「倭奴国」についての叙述をとりあげ次のように述べる。

今按ずるに邪馬台国は大和の国なり。古え大養徳国と謂う所は倭奴国なり。邪馬台は大和の和訓なり。……卑弥呼は神功皇后の御名気長足姫尊……

つまり、「邪馬台」は明白に「ヤマト」とよむとし、大和の国のことであると断定する。「大養徳国」は奈良時代の一時期に用いられた大和の表記法であるが、これを倭奴にあてるのは無理がある。倭奴は奴国つまり今の福岡県の北部あたりである。しかし『日本書紀』にしたがって卑弥呼を神功皇后とみなしている。(p.15-16)

せっかく、重要な事実を前にしているのに、それを「無理がある」という一言で片付けてしまっています。「倭奴」です。重要なのは、ここで松下見林は、「邪馬台国」=「倭奴国」=大和と見なしていた、ということであり、それは、『日本書紀』に由来するということなのです。
「無理がある」と難じているのは、三宅説以降の金印の読解をもとにしているのであり、それすら、明治の一時期(千田の言う「東洋史学」の時代にちょうど相当する)の一学説に過ぎないのだと言うことを、千田は完全に忘れています。

しかし、右のように和辻の古代へのまなざしを近代史学の視角から批判してしまっては、失うべきものも少なくないことも私はよく承知している。和辻が語りかけるものに耳を傾けようとするのは、私の心底にひそんでいる歴史的史実と古代的心情のまざり合うものを和辻によって触発されるからである。より短い文章でいえば「歴史をどのようにみるか」ということで「歴史を史料の枠にとじこめる」こととは異なる次元の問題といってよい。とはいえ前者の立場に身をおくと、史料の限界をいとも簡単に超えて批判的精神をおきざりにした文芸の世界に安住してしまう危険に身をさらすことになる。和辻の古代論はこのような危うい絶壁に身をさらした文芸の美学である。だから和辻が記紀に古代人の構想力を見出すといっても、しょせんその構想は記紀が編纂された奈良時代の史局にいた人物たちの想像力のことであって、それをさらに初期王朝にまでさかのぼらせて感動したとしても、それは個人的な心性にすぎない。(p.178)

ここで千田が言っている、歴史的史実/古代的心情の対立について、その方法の違いについての議論は、ひとまず措いておくとしても、「しょせん云々」は、それこそ所詮は「今の説」であるということを千田は忘れているのです。
このような読解である限り、「失うべきものは少なくない」と言わなければならないでしょう。

その点が非常に残念です。