歴史・人名

古事記 下-3

古事記 下の卷

三、允恭天皇

后妃と皇子女
 弟のヲアサヅマワクゴノスクネの王(允恭天皇)、大和の遠つ飛鳥の宮においでになつて天下をお治めなさいました。この天皇、オホホドの王の妹のオサカノオホナカツ姫の命と結婚してお生みになつた御子は、キナシノカルの王・ヲサダの大郎女・サカヒノクロヒコの王・アナホの命・カルの大郎女・ヤツリノシロヒコの王・オホハツセの命・タチバナの大郎女・サカミの郎女の九王です。男王五人女王四人です。このうちアナホの命は天下をお治めなさいました。次にオホハツセの命も天下をお治めなさいました。カルの大郎女はまたの名を衣通しの郎女と申しますのは、その御身の光が衣を通して出ましたからでございます。

八十伴の緒の氏姓
――氏はその家の稱號であり、姓はその家の階級、種別であつてそれが社會組織の基本となつていた。長い間にはこれを僞るものもできたので、これをまとめて整理したのである。朝廷の勢力が強大でなくてはできない。――
 初め天皇、帝位にお即きになろうとしました時に御辭退遊ばされて「わたしは長い病氣があるから帝位に即くことができない」と仰せられました。しかし皇后樣をはじめ臣下たちも堅くお願い申しましたので、天下をお治めなさいました。この時に新羅の國主が御調物の船八十一艘を獻りました。その御調の大使は名を金波鎭漢紀武と言いました。この人が藥の處方をよく知つておりましたので、天皇の御病氣をお癒し申し上げました。
 ここに天皇が天下の氏々の人々の、氏姓の誤つているのをお歎きになつて、大和のウマカシの言八十禍津日の埼にクカ瓮を据えて、天下の臣民たちの氏姓をお定めになりました。またキナシノカルの太子の御名の記念として輕部をお定めになり、皇后樣の御名の記念として刑部をお定めになり、皇后樣の妹のタヰノナカツ姫の御名の記念として河部をお定めになりました。天皇御年七十八歳、甲午の年の正月十五日にお隱れになりました。御陵は河内の惠賀の長枝にあります。

木梨の輕の太子
――幾章かの歌曲によつて構成されている物語。輕部などの傳承であろう。――
 天皇がお隱れになつてから後に、キナシノカルの太子が帝位におつきになるに定まつておりましたが、まだ位におつきにならないうちに妹のカルの大郎女に戲れてお歌いになつた歌、

山田を作つて、
山が高いので地の下に樋を通わせ、
そのように心の中でわたしの問い寄る妻、
心の中でわたしの泣いている妻を、
昨夜こそは我が手に入れたのだ。

 これは志良宜歌です。また、

笹の葉に霰が音を立てる。
そのようにしつかりと共に寢た上は、
よしや君は別れても。

いとしの妻と寢たならば、
刈り取つた薦草のように亂れるなら亂れてもよい。
寢てからはどうともなれ。

 これは夷振の上歌です。
 そこで官吏を始めとして天下の人たち、カルの太子に背いてアナホの御子に心を寄せました。依つてカルの太子が畏れて大前小前の宿禰の大臣の家へ逃げ入つて、兵器を作り備えました。その時に作つた矢はその矢の筒を銅にしました。その矢をカル箭といいます。アナホの御子も兵器をお作りになりました。その王のお作りになつた矢は今の矢です。これをアナホ箭といいます。ここにアナホの御子が軍を起して大前小前の宿禰の家を圍みました。そしてその門に到りました時に大雨が降りました。そこで歌われました歌、

大前小前宿禰の家の門のかげに
お立ち寄りなさい。
雨をやませて行きましよう。

 ここにその大前小前の宿禰が、手を擧げ膝を打つて舞い奏で、歌つて參ります。その歌は、

宮人の足に附けた小鈴が
落ちてしまつたと騷いでおります。
里人もそんなに騷がないでください。

 この歌は宮人曲です。かように歌いながらやつて來て申しますには、「わたしの御子樣、そのようにお攻めなされますな。もしお攻めになると人が笑うでしよう。わたくしが捕えて獻りましよう」と申しました。そこで軍を罷めて去りました。かくて大前小前の宿禰がカルの太子を捕えて出て參りました。その太子が捕われて歌われた歌は、

空飛ぶ雁、そのカルのお孃さん。
あんまり泣くと人が氣づくでしよう。
それでハサの山の鳩のように
忍び泣きに泣いています。

 また歌われた歌は、

空飛ぶ雁、そのカルのお孃さん、
しつかりと寄つて寢ていらつしやい
カルのお孃さん。

 かくてそのカルの太子を伊豫の國の温泉に流しました。その流されようとする時に歌われた歌は、

空を飛ぶ鳥も使です。
鶴の聲が聞えるおりは、
わたしの事をお尋ねなさい。

 この三首の歌は天田振です。また歌われた歌は、

わたしを島に放逐したら
船の片隅に乘つて歸つて來よう。
わたしの座席はしつかりと護つていてくれ。
言葉でこそ座席とはいうのだが、
わたしの妻を護つていてくれというのだ。

 この歌は夷振の片下です。その時に衣通しの王が歌を獻りました。その歌は、

夏の草は萎えます。そのあいねの濱の
蠣の貝殼に足をお蹈みなさいますな。
夜が明けてからいらつしやい。

 後に戀しさに堪えかねて追つておいでになつてお歌いになりました歌、

おいで遊ばしてから日數が多くなりました。
ニワトコの木のように、お迎えに參りましよう。
お待ちしてはおりますまい。

 かくて追つておいでになりました時に、太子がお待ちになつて歌われた歌、

隱れ國の泊瀬の山の
大きい高みには旗をおし立て
小さい高みには旗をおし立て、
おおよそにあなたの思い定めている
心盡しの妻こそは、ああ。
あの槻弓のように伏すにしても
梓の弓のように立つにしても
後も出會う心盡しの妻は、ああ。

 またお歌い遊ばされた歌は、

隱れ國の泊瀬の川の
上流の瀬には清らかな柱を立て
下流の瀬にはりつぱな柱を立て、
清らかな柱には鏡を懸け
りつぱな柱には玉を懸け、
玉のようにわたしの思つている女、
鏡のようにわたしの思つている妻、
その人がいると言うのなら
家にも行きましよう、故郷をも慕いましよう。

 かように歌つて、ともにお隱れになりました。それでこの二つの歌は讀歌でございます。