歴史・人名

地球創世物語

空、宇宙について

 空、宇宙について 地球ができる前、当然の事だが、宇宙が存在していた。私たちは地球人であると同時に、宇宙人でもある。普段、生活の中で宇宙を意識することはめったにないが、宇宙はまぎれもなく我々の生活延長にある。昔の人々は情報の乏しさから、星空に多くの情報を求めようとしてきた。宇宙はまさに物理的、精神的両面で人間の鏡なのだ。現代の科学が明らかにした宇宙の姿を突き詰めるには、いままで人々が宇宙とどう向き合ってきたかを考えなくてはいけない。 宇宙というと、地球とは違った特殊な存在と思われるが、大宇宙のなかでは地球の方がよほど特殊な存在である。宇宙でも地球上でも、自然の法則はまったく同じ。では地球はどのように特殊なのだろうか? なぜ特殊な存在になったのだろうか? それを知るには宇宙観を代え、天動説と地動説、星とは何か、太陽、星の一生、宇宙の広がりと進化、ビッグバン、宇宙と生命、宇宙生活、そして地球外生命についても深く考える必要がある。

  プトレマイオスの宇宙感 つい500年ほど前まで、我々人類はプトレマイオスの著した「アルマゲスト」の影響もあり「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星が、この地球の周りを回っている」という『天動説』を信じていた。

 

 -天上の世界は球形で、球として動く。

 

 -地球は球である。

 

 -地球は宇宙の中心に位置する。

 

 -地球の大きさは恒星までの距離に比べて極めて小さく、数学的な点として扱うべき。

 

 -地球は動かない。 プトレマイオスの天動説はその後1400年もの間信じられてきたが、ポーランド生まれのコペルニクス(1473~1543)は「地球やその他の惑星が太陽の周りを回っている」と考えた方が、惑星の動きなどを無理なく説明できると考え、『地動説』を唱えた。 カトリック教会の司祭だったコペルニクスは迫害を恐れ、説の完成後も30年に渡って発表をためらい、実際の発表も死の直前であった。しかも、このころはまだ観測機器もなく人々を納得させるほどの観測結果を得られず、発表後も、地動説に賛同する天文学者は出なかった。 明らかに正しいはずの地動説に対して天文学者たちがこのような行動をとったのは、迫害を恐れたためである。神学者マルティン・ルターは、コペルニクス説について「この馬鹿者は天地をひっくり返そうとしている」と述べ、地動説を否定した。 聖書には、神のおかげで大地が動かなくなったと記述されており、キリスト教の聖職者は、大地が動くことが可能だと主張するのは、神の偉大さを証明できるので問題がないが、大地が動いていると主張するのは、神の偉大さを否定することになると考えたとされる。1600年には、地動説を唱えたジョルダーノ・ブルーノが火炙りになるなど、当時の宗教は徹底的に科学の進歩、知識の進歩を妨げたと言えるであろう。

  その後、17世紀に入ると望遠鏡が発明され、イタリアの天文学者ガリレオ(1564~1642)は、地動説に有利な証拠を多く見つけた。 代表的なものは木星の衛星で、この発見はもし地球が動くなら、月は取り残されてしまうだろうという地動説への反論を無効にするものだった。また、ガリレオと弟子のカステリは金星の満ち欠けも観測。これは、地球と金星の距離が変化していることを示すものだった。さらにガリレオは太陽の黒点や、太陽も自転していることを発見し、地動説に有利な証拠になると言うことで論文で発表した。 ローマ教皇庁は1616年に、コペルニクス説を禁ずる布告を出した。地動説を唱えたガリレイは、1616年と1633年の2度、ローマの異端審問所に呼び出され、地動説を唱えないことを宣誓させられた。 たとえ、ガリレオが異端の判決を受けたにしても、当時のローマ教皇にはイタリア国外での権力はなく、ドイツ人のヨハネス・ケブラーは観測を続け、「ルドルフ星表」を完成させた。今までの星表より30倍の精度を持つルドルフ星表は、惑星の位置は地動説を基にしなければ成り立たないほど説得力を持つものとなった。 しかしながら、ケブラーもガリレオも「地球が動くのなら、鳥や雲がなぜ取り残されないのか、誰も地球を押していないのに、どうして止まらずに動き続けられるのか」というコペルニクス時代から問われていた単純な疑問に正確な答えが出せないままでいた。これを完成させたのがアイザック・ニュートンである。 ニュートンが慣性を定式化することにより、地動説はすべての疑問に答え、かつ、惑星の位置の計算によっても、その正しさを証明できる学説となったのである。蛇足ではあるが、ローマ教皇ならびにカトリックが正式にガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオの異端決議を解く際の補則として天動説を放棄し、地動説を承認したのは、実にガリレオの死から359年後、1992年の事であった。

  アイザック・ニュートン(1642~1727)の、りんごが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したというのは単なる作り話とされ、実際はトイレで発見したなど、色々な逸話がある。 いずれにしても万有引力の法則という、物理学史上もっとも重要な発見(1666)をしたこの天才は、好奇心の旺盛さと引き換えに、きわめて内向的で偏屈な性格を持っていた。 彼の大発見の礎は、ケプラーの法則、ガリレオによるアリストテレス以来の運動法則の見直し、そして同時代に生きたハレーの彗星観測による。彼はこれらの一見無関係な現象が、「物体はすべて、他の物体に引力を及ぼす。その力の強さは物体の質量に比例し、その物体からの距離の2乗に反比例する」 という単純な言葉で説明できることを示した。 つまり、「物体の運動法則は、地上と天空では別のものである」という、ギリシャ以来のタブーを、「森羅万象は単純な根元に起因する」というギリシャ哲学流のアプローチで破ったわけである。 ニュートンは、遠心力の研究から地球の形が両極で偏平になった回転楕円体であることも理論的に導きだした。 ニュートンの万有引力の法則は、今世紀初頭にアインシュタインによって相対性理論が発見されるまでは絶対の法則であった。 そしてこの法則は今もなお、われわれの日常生活においてほとんど正しい。

  ニュートン力学が一般に知られるようになっていらい、宇宙論は一気に過熱していく。1905年にはアインシュタインが「特殊相対性理論」、追って1916年には「一般相対性理論」を発表。「特殊相対性理論」が加速している場合や重力が加わった場合を含まない特殊な状態”における時空の性質を述べた法則であるのに対して、一般相対性理論は加速している場合や重力が加わった場合を含めた、一般的な状態における時空の性質を述べた法則であり、等速直線運動する慣性形のみしか扱えなかった特殊相対性理論を、加速度系も扱えるように拡張した理論となった。 1913年、アリゾナ、フラッグスタッフにあるローウェル天文台で、太陽系の始まり状態と考えられていたアンドロメダ星雲の生成途上にある太陽系を探そうとしていた研究者スライファーが、アンドロメダ星雲が秒速112キロメートルという速度で地球から遠ざかっている事を発見、翌1914年に学会で発表をし、称賛を浴びる。当時は地球とその太陽系が宇宙を漂っているとまだ考えられていた。 1918年、第一次世界大戦終戦が終結すると、情報が入りやすくなり、相対性理論、ジッターの膨張宇宙等の情報がやっとアメリカにも入るようになった。 エドウィン・パウエル・ハッブルがスライファーの発見とジッター膨張説を結び付け、星の明るさを調べ、変更周期と絶対光度が一定の関係にある事を突き止め、星までの距離を調べる事に成功する。1928年、1億光年以上まで測定を行ったヒューメイソンとハッブルの共同調査の結果、「遠い銀河ほど早いスピードで遠ざかっている」と発表。 膨張宇宙の裏付けとなった。 X-1-2-3(1cm間隔): X~1は1cm、X~2は2cm、X~3は3cm 倍になると; X――1――2――3: X~1は2cm、X~2は4cm、X~3は6cm 単純な式だが、まさしく、宇宙は広がっている事の裏づけとなったのである。 アインシュタインは最初宇宙全体は一様で等方的で、宇宙の大きさは時間に無関係で一定、という考えに固執し、今とは全く正反対の事を訴えており、スピノザの神(神は創造主ではなく、宇宙にある安定した秩序に人間が自然界の法則を発見していく事ができるという事実が神の存在そのものである)を信じていたアインシュタインは非常に頑固であったが、1930年に自らハッブルの展望台で拡がっていく宇宙を目の当たりにし、ついに自らが出した相対性理論が正しく、宇宙は広がっていると認める事となった。
地球 奇跡の惑星

 地球 奇跡の惑星 我々の立っている大地は不動産と呼ばれているが、これは大きな解釈の間違いがある。 大地が動いていないと思うのは今を生きている我々がそう感じるだけの話しであり、地球年代46億年の中では実はものすごい勢いで大地の形は変わっている。この美しい地球は常に変化しているから美しいのでありもろくはかないものであるから神秘的なのである。 地球を知るには単に土地の事を知るのではなく内部、海、空、山、地層、大気、または宇宙の事まで知らないと地球のしくみはわからない。 最近になり地球多核間相合作用進化リズムをすべてひっくるめて地球科学(Multier)という分野が発達してきたが、これはそういった一連の動きを研究し地球のしくみを徹底的に調べ上げる分野である。 地球の表面は約30~200キロの厚さのあるプレートと約7キロの海、その下には酸化鉄、鉄、マグネシウムのどろどろしたマントルが約2600キロの厚さであり、さらに中心には鉄、硫黄、ニッケルからなる3000キロの核がある。

  地球の構造を解り説明するために、丸い地球をガスレンジにおいたなべと想定するとわかりやすい。今夜の献立はカレーだ! いろんな具を入れて煮込んでいるとやがて沸騰した状態となり、中のものはぐつぐつと熱せられながら動き始める。その内火に一番近い所はこげついてきて固まりとなってきて、その上はどろどろしているが焦げのせいで熱がある程度緩和されると、表面は皮の状態となってくる。 今の地球がまさにその状態。 さらに熱し続け、こげが増えて行った部分が核、カレーとしてスープの部分がマントル、そして蓋をした状態が大気とオゾン層、とろ火で煮込むと蒸気が蓋にぶつかり、水滴となって落ちてくる状態が原始の雨、落ちてきた水に冷やされて表面だけかわいてきた部分が地殻となる。 とろ火で熱し続けるとお風呂を沸かしているのと同じで、スープが熱せられて上昇してくる流れにそのうちある程度の秩序ができる。そのスープの流れが表面の乾いた部分に亀裂を生じさせ表面が動き出す状態は大陸移動のプレートテクトニクスと同じ原理である。

  地球の内部構造をわかりやすく例えるには、卵やりんごが良い。 それぞれ皮の部分が大地、皮肉(卵白)がマントル、芯(黄身)の部分が核となる。現在地球上には細かく分けて13枚の皮がある。 大きく分けると7つ。 太平洋プレート、アジア/ヨーロッパ、オセアニア(オーストラリア、インド)、北米、南米、大西洋、アフリカに分けられ、それぞれが動いている。 遅く動いているのはアフリカ・プレートで年間約1cm北に向かって動き、現在スペインとモロッコを分けるジブラルタル海峡もいつかはふさがってしまい、地中海は湖となるだろう。 ヒマラヤ山脈はオセアニア・プレートがアジア・プレートにぶつかった事で大陸を押し上げてできた事で有名。 太平洋プレートは一番大きく北に向かって移動しており、西側がアジア大陸にぶつかって1千5百万年前にできたのがカリフォルニア州と同じサイズの日本列島、アメリカ大陸は時計の反対周りで北西に向けて移動しながら太平洋プレートにぶつかっている。小さく刻まれたプレートはそれだけ動きが激しく、カリブ海地方にあるプレート、エーゲ海、中南米周辺のプレートは年間10cmほど移動している。

  地球の生い立ちは約46億年前、もちろん簡単に言えばの話だが、太陽系ができたときに太陽の周りにガスその他のものが集まって(なべの原理)、大地と呼べるものができてきたのが38億年前である。グリーンランドで見つかった変成岩、地球上でもっとも古い岩質と呼ばれるイヌアの変成岩が36億年前のもの(ちなみにグランドキャニオンで一番深い所を見下ろすと20数億年前の岩が見える)。 では、なぜ地層を調べる事が大事なのか? 地層を知る事によって我々の知らない地球世界を知る事ができるからである。地球上に生物が繁栄できる生活環境ができたのが約20億年前、大気として酸素が産まれたのも約20億年前の事。 今と形は違うが、大地が冷えて海と陸地ができあがったのが約6億年前、そこから大陸が移動して現在の形にいたっているというのが、大陸移動説といわれる。

  1912年のこと、アルフレッド・ワゲナー博士が世界地図をパズルのようにして遊んでいたら、見事に形がぴたっとはまった事から、ひょっとしたらと学会で発表したが、当時は子供っぽくて相手にされなかった。 それが確証されたのはじつに1970年の事。 アフリカとアメリカをくっつけると合わさる場所に埋まっている鉱脈が同じ方向、磁場に向かっている事が判明した(子供の頃マグネットに砂鉄をまいてやった実験と同じ)。その場所から全く同じ鉱脈も見つかっておりその説を確証へと導いたのである。 大陸が動いているという事は、これだけの大地が動くわけだから当然一定には動かず、同時にものすごい摩擦が生じる。 北アメリカ大陸は2億5千万年前から2億2千万年前までアフリカとヨーロッパとくっついていた。 離れたのは6千万年前で、それからロテートしながら上がってきたわけであるが、現在東海岸から大平原までずーっと平地が続きこの状態は昔からあまり変わらない。 ロッキー山脈から西海岸にかけては隆起活動が激しく、今まで20数回陸となり海となりを繰り返してきた。 現在の姿に落ち着いたのは僅か2千5百万年前から1千5百万年前の事。北西に向かって押し上げられてきた北米プレートが東に向かってくる太平洋プレートとぶつかり、アメリカ側とアジア側にすごい力がかかった。それによるプレッシャーでアメリカにはロッキー山脈が、アジアには日本列島ができた。

地球のプロフィール

 

 年齢:46億年

 

 太陽からの距離:1億5千万キロ

 

 半径(平均):6371キロ

 

 公転周期:0.9999786年/1周

 

 起動速度:秒速 29.79キロ

 

 自転周期: 23.93419時間/1周

陸、海、空の形成物語

 陸、海、空の形成物語 科学的に、地球や宇宙がどのようにして我々人類の知識となっていったかはわかったが、果たして実際我々人類は、この地球というものをどれくらい理解しているのであろうか?

 地球科学は学問の中でも最も新しい分野であり、近年になるまで大地が動く事すら知られていなかったのである。 昔の人々にとって、地球創世を知る数少ない手がかりとなった聖書を辿って行くと、どういう歴史が隠されているのか、1658年にイギリスの牧師ジェームス・アッシャーが聖書を基に地球の歴史を算出した。 神が7日かけて天地を創り、人間を生み……「創世記」に従いアダムとイブの子孫年代記をキリスト生誕までの物語をもとに出したところ、この世が誕生したのは、紀元前4004年10月26日(日)21時、ノアの方舟は紀元前2349年の事であったそうである。今となってはとんでもない話であるが、当時の人々はそれが当たり前の事として考えられていた。

  1667年、デンマーク人のニコラス・ステノが地層に関する三つの法則『1.上に積み重なった地層は下のものより新しい、2.地平は水平に重なり歪んでいるものは地層が出来た後の変動、3.地層はある程度の広がりがあるゆえ辿って行けば同時代の観察ができる』を発表する。 今では小学生でもわかる理屈だが、当時はなかなか相手にされなかった。ステノはイタリアで発見されたサメの歯化石を元に地層に含まれる化石はすべて古生物の遺骸であると見抜いていたが、この意見を推し進めるにはアッシャーの創世記論とぶつかってしまう……迫害を恐れたステノは30歳の時ルーター神教からカソリックへ改宗し、地層の研究をあきらめた。 ところが、1765年ジェームス・ワットが蒸気機関を発明。世界中に産業革命の大嵐が吹き荒れると、鉄道や運河を築くために大規模な採掘工事が始まる。1795年、イギリスのジェームス・ハットンが地層3法を改定。地層の上下関係は必ずしも連続的なものとは限らず地層と地層の間に大きな時間の隔たりがある場合もある事を発見。同時に川の侵食にかかる時間から、今の地形ができるまで6000年ではとても足りない事にようやく気づく。 1815年ウィリアム・スミスが、層位学を用いてイギリスの「地質地図」を発表、1830年ライエルが現代にも継がれる地質論である「地質学原理」を発表。1990年オルダムが地震波には2種類(縦波pと横波s)ある事を発見。地下構造発見の手がかりとなる。続いて1911年にはアーサー・ホームズが放射性元素が壊れていくスピードを基に絶対年代を知る方法を発見、今までの常識を覆す証明が相次いで始まった。 1912年、ドイツの気象学者ヴェーゲナーは、太平洋両岸の模型をジグソーパズルのようにして遊んでいたら見事に当てはまり、「大陸移動説」となる『大陸と海洋の起源について』を発表する。しかし、大西洋両岸のジグソーパズル論には信憑性が無く相手にされなかった。 1928年にはアーサー・ホームズがマントル内部に対流があれば、浮かんでいる大陸は移動すると補足するが、まだこの意見は受け入れられず地上は不動のままであった。 1950年後半、古地磁気学(マグマが冷えて火山岩になる時、鉄を含む鉱物は地球の磁場の方向に磁化される)が発表され、大陸移動説が復活。1970年にはアフリカ大陸とアメリカ大陸が合わさる地層に埋まっている磁気鉱脈が同じ方向に向かっている事が立証され、大陸移動説がほぼ有力説として認められる事となった。
地球の絶滅史 その1

 地球の絶滅史 その1 地球温暖化が盛んに訴えられる昨今、地球の滅亡説が新たな議論を呼んでいる。もともと地球上の気温は一定ではなく、常に変化を繰り返してきた。人類がもたらした破壊以前に、地球そのものが変換時期を迎えているのかも知れない。 地球誕生以来、様々な滅亡事件があったが、地球上に一般的に生物として知られる生き物が生まれてからの6億年間に既に6回の大量絶滅が起きている。世間一般に知られる恐竜の絶滅を促した隕石衝突事件は、その中でもそこまで酷くない消滅活動といえば、他の消滅活動の威力がわかるであろう。 生命史の記録は、6億年前の先カンブリア時代の末から急に豊富になる。その理由は肉眼で見える大きさの生物や、堅い骨格をもつ生物が出現し、地層の中に化石として保存されやすくなったからである。 この6億年間には、動物や植物の上陸、脊椎動物の進化、人類の出現などのめざましい出来事がいくつもおきたが、その歴史はけっして安易な道のりではなかった。 シカゴ大学のセプコスキー博士が、6億年間の生物種類増減を調べたところ、過去に何回かの生物種の大減少期があることがわかった。これが「大量絶滅」とよばれる事件である。 大量絶滅とは、陸上や海域を含めて世界各地の多様な生物が、ほぼ一斉に絶滅したことをさす。このような大量絶滅の前後では、生物圏を構成する種が大きく入れかわった。 主要な大量絶滅は6億年間に6回おきた。この中で最も注目されるのが、5億4300万年前、2億5100万年前、6500万年前の大量絶滅である。これらの時期は大きな地質年代の境界にあたる。3つの大量絶滅はそれぞれ独特な特徴を持ち、原因も異なると考えられる。

地球の絶滅史 その2

2億5100万年前

 史上最大の大量絶滅
古生代、生物は多様に進化を続けて繁栄した。 5億4300万年前にカンブリア紀が始まると、古生代という一つの時代が幕を開けた。生物はめざましい進化をとげ、現在みられる動物ほとんどの体のつくりとなる基本型があらわれた。多様化した生物は古生代の間ほぼ3億年かけて進化し、海の中で多様な生物群が繁栄した。三葉虫、筆石、ウミユリ、腕足類、古生代型サンゴ、古生代型アンモナイト、オルソセラス(巻きなしアンモナイト)、フズリナ(石灰質の殻をもつ単細胞動物)などが代表的なものとして知られている。 4億5千万年前ごろ(オルドビス紀後期)には、クモやサソリのような生物が最初に上陸し、やがて4億年前の前後(シルル紀~デボン紀)には、植物そして両生類が陸上に進出した。3億5000万~3億年前(石炭紀)には、氷河が発達したにもかかわらず、大森林が形成されるまでになった。光合成を行う生物が地球規模で繁栄した結果、酸素が大気に満ち、現在よりも高い濃度になった。 昆虫類が大いに栄え、なかには広げたはねの長さが70センチメートルをこえる巨大トンボなどの大型飛行昆虫が出現した。 巨大昆虫の飛行は、生理学的に大量の酸素消費を必要とする。当時の高濃度の酸素大気が巨大飛行昆虫の出現を可能にしたらしい。古生代の最後の5000万年間はペルム紀(二畳紀)とよばれる。石炭紀からの生物の繁栄はペルム紀の中頃まで続いた。

  古生代の終わりは2億5100万年前に突然やってきた。海や陸に住んでいたさまざまな生物が、一斉に絶滅したのである。これは、古生代終わりのペルム紀(Permian)と、中生代はじめの三畳紀(Triassic)の頭文字をとって「P/T境界絶滅事件」と呼ばれる。 陸域周辺の大陸棚の浅い海には、多種類の動物が生息していたが、その多くが短期間に絶滅した。 中でも海底に固着生活していたサンゴやウミユリ、腕足類などが大きな被害を受け、泳ぐ能力をもった生物に生き残ったものが多いという傾向があった。また当時の海洋の中央部においてもプランクトンの絶滅が起きた。陸上では、それまで栄えていた森林の崩壊が起き、かわってキノコなどの菌類が大繁殖した。昆虫類も打撃を被り、中でも巨大飛行昆虫は全滅した。 P/T境界絶滅事件で古生代型生物群は大打撃を受けた。完全に絶滅したわけではないが、その後の中生代に環境が回復しても、彼らがかつての繁栄の水準にもどることはなかった。 地球表層のあらゆる部分に大きな環境ストレスが加わり、きわめて短い時間に多種類の生物群が絶滅したのである。 シカゴ大学のラウプ博士らは、当時の海にすんでいた無脊椎動物種のうち、最大で96%が死滅したと見積もった。 P/T境界での事件は、ほかの大量絶滅とくらべても、桁違いに大きな出来事であった。原因については、気候の温暖化あるいは寒冷化、海水の塩分濃度の変化、海水面の変動と生息地の減少、「超新星爆発」とよばれる天体現象など、いろいろな説が提唱されてきた。地球外の原因を示す具体的な証拠は皆無なので、地球内部に原因が求められるが、まだ最終的な結論は得られていない。 大量絶滅は超大陸が分裂するときに起きた。生物界の被害の大きさからみて、P/T境界絶滅事件は、最近6億年間の生物圏でおきた事件の中で最も特異である。 ちょうどこのころ、生物圏のすぐ下の固体地球でも、きわめて特異な出来事が起きていた。当時は、大きな大陸のかたまりが1ヶ所に集まり「パンゲア」とよばれる超大陸を形成していた。この超大陸パンゲアが分裂しはじめたことが、大量絶滅に関係したらしい。

  地球の表面は複数の堅い岩板であるプレートでおおわれている。それぞれのプレートはある方向に運動している。海洋プレートは、しばしば大陸プレートの下に沈みこむ。このような海洋プレートの沈みこみが続くと、元々離れていた大陸同士が接近し、最終的に衝突し、合体する。複数の大陸の衝突と合体が1か所でおきると、超大陸ができる。 世界中の主要な大陸を1か所に集めなければならないので、超大陸の形成には長時間を要し、まれにしかおきない出来事である。 このような超大陸の形成は、過去に数回おきたことが確かめられているが、パンゲアは最も新しい超大陸で、約3億年前にほぼ形成され、2億年前には分裂していた。パンゲアのひとつ前の例は、6億~5億年前の超大陸「ゴンドワナ」にまで遡らなければならない。 超大陸の存在と生物種数の増減に関連があることは、プレート運動を説明する「プレート・テクトニクス理論」が登場した直後、今から約30年も前に指摘されていた。当時はなぜそのような関連があるのかは十分説明されなかったが、今、謎が明らかにされつつある。P/T境界での大量絶滅は、超大陸パンゲアが分裂する最初の時期に起きた。大量絶滅の究極の原因は、超大陸の分裂を引きおこすマントル内の「スーパープルーム」の活動であったらしい。

  スーパープルームは、地表から2900キロメートルの深さにある核とマントルの境界で、間欠的に発生する高温の上昇流である。マントルをつくる岩石の固体の流動だが、全体は巨大なキノコのような形になる。スーパープルームがマントル内を上昇し、超大陸の直下に達すると、周辺の地殻全体が押し上げられる。巨大なドームとして隆起した地殻の表面には引っ張り力が加わり、放射状の割れ目が数多くできる。地下では上昇するプルーム物質が圧力の低下によって溶け、さらに大陸地殻の一部が溶けたものを加えて大量のマグマを生じる。 その結果、割れ目群に沿って大量のマグマが地表に噴出し、広い範囲で異常に大規模な火山活動が起きる。このような大規模な火山活動をともなって、超大陸の初期分裂がはじまる。さらに時間がたつと、地殻はさらに水平に引き伸ばされて地形的に低くなり、最終的には海水が浸入してくる。プルームは同時に複数が活動することが多い。隣り合った裂け目どうしが連結してより長い裂け目ができると、一連の海底山脈である「中央海嶺」と巨大な海洋が出現する。 パンゲアは、このようなスーパープルームの活動が原因で分裂した。パンゲアが割れて初期の大西洋が入りこんできたのは三畳紀の後半であったが、分裂のきっかけになる最初の地殻の隆起と異常な火山活動はもっと古く、P/T境界ころまで遡る。 下降流に対応して、下部マントルの底からわき上がる巨大な上昇流がスーパープルームであるが、キノコのかさのような頂部の直径は1000キロメートルを超える。固体地球の中では、最大規模の熱および物質の移動である。超大陸が分裂する最初期には、地殻のすぐ下にまでスーパープルームの頂部が達して、地殻を押し上げる。

  P/T境界のころにスーパープルームの頂部が地殻に達すると、異常な火山活動がおきた。最初に噴きだしたのは「キンバーライト質」のマグマだったらしい。キンバーライトは、地表から150キロメートルよりも深部で生成される、ダイヤモンドを含む火山岩である。核とマントルの境界に起源をもつらしい。 気体を大量に含むため、新幹線並みの高速で地表に上昇し、きわめて爆発的な噴火をする。 キンバーライトの噴出孔は隕石衝突によるクレーターによく似ている。超大陸の分裂もキンバーライトの噴火も、人類はまだみたことがない。未経験の出来事ではあるが、P/T境界でおきた生物圏の危機は次のように推定される。 キンバーライトの爆発的噴火によって、大量のちりやガスが大気上空の成層圏に噴き上げられた。それらは長期間に渡って成層圏にとどまり、ちりやガスの雲がスクリーンとなって太陽光をさえぎった。

 太陽光の遮断は、地表の暗黒化と急激な寒冷化をもたらした。ちりやガスの雲に含まれていた窒素酸化物や二酸化炭素は、酸性雨となって降り注いだ。その後しばらくすると、大気中に蓄積された二酸化炭素による温室効果で、今度は温暖化が始まった。 短期間に起きるこのような事件の連続は、さまざまな動植物にとって、複合的な強い環境ストレスとなった。特に食物連鎖の基礎である光合成の停止は、生物圏にとって致命的であった。光合成の停止は大気や海水中の酸素量を減らし、多くの生物にとって危機的なストレスとなった。巨大飛行昆虫の絶滅は酸素濃度の低下の結果であろう。 以上のように、スーパープルームの活動が根本的な原因となって、全地球規模の環境変化と大量絶滅がおきる一連の事件連鎖が推定される。核爆発や巨大隕石の衝突が原因でおきる「核の冬」あるいは「衝突の冬」シナリオに類似するので、これを「プルームの冬」仮説と呼ぶ。海洋地帯では長期の酸素欠乏がおきた。

  超大陸パンゲアが存在した3億~2億年前、地球表面の半分以上は超海洋「パンサラサ」で占められていた。その海底には、海洋の表面からマリンスノーとなって落下した「放散虫」とよばれるプランクトンのケイ質の殻が降り積もって、「チャート」というガラス質の地層が長年にわたり堆積しつづけた。 P/T境界では、この超海洋全域で放散虫の大量絶滅が起きた。まさに地球生物圏は、そのすべてにおいて史上最大規模の危機をむかえた。 通常、チャートは酸化鉄を含むために赤い。海洋の表面では植物性プランクトンや一部の細菌が光合成を営み、酸素に富んだ表層海水を作っている。この表層海水が深海まで循環するので、海水中の鉄イオンが酸化鉄として沈殿するからである。 しかしP/T境界前後のチャートだけは、灰色ないし黒色である。これは海水中の酸素量が激減したために酸化鉄ができず、硫化鉄ができたからである。P/T境界をはさんで約2000万年もの間、超海洋の深海は酸欠状態になっていた。このような長期間の海洋酸欠事件は最近6億年の間には他に例がなく、特別に「超酸素欠乏事件(スーパーアノキシア)」とよばれる。 一方、世界中の浅い海もP/T境界のごく短い期間だけ酸素欠乏に陥った。このときの超海洋は、浅い部分から深海底まですべて酸欠状態になった。その酸欠状態のピークのときに大量絶滅が起きた。

 P/T境界での超酸素欠乏事件も、プルームの冬にともなって、生物圏の光合成活動が停止したために起きたと考えられる。 異常な火山活動によって、生物圏の光合成活動が抑制されはじめると、深海まで十分な量の酸素が供給されなくなり、まず深海水が酸欠状態になった。やがてプルームの冬がクライマックスを迎えると、光合成が完全にストップして、浅い海や大気さえもが酸欠状態におちいった。その後、光合成の再開とともに、環境の回復がはじまった。回復は逆に浅い部分から進み、最後に深海まで酸素が届く状態まで戻り、回復とともに新たな生物群が登場した。

  2億5100万年前の地球表層でおきた史上空前の環境変化は、海洋、陸上を問わず多くの生物を絶滅に追いやった。生き残った生物群は限られ、わずかな種類の二枚貝やアンモナイトがいただけであった。それらの二枚貝も、酸欠に強いタイプの薄い殻のホタテガイの仲間などに限られていた。P/T境界での生物圏の被害が異常に大きかった分だけ、環境回復には時間がかかった。 三畳紀に入り、環境激変の原因であった異常な火山活動が鎮まると、それにつれてプルームの冬は過ぎ去り、ようやく表層の環境も回復しはじめた。絶滅のピークから約1000万年たった三畳紀の中期には、生物群は以前の多様性を取りもどした。浅い海ではサンゴ礁が、海洋の中央部ではプランクトンの生産が復活し、生物の食物連鎖のピラミッドが再構築された。 またこの時点で、超海洋の深海における酸欠状態も完全に解消された。ただし復活した生物界を構成したのは、古生代末まで栄えたグループとはまったく異なる新しいタイプの生物群集であった。生物圏の環境が劣悪化、多くの生物種が絶滅し、その環境が回復してから現れるのは、生き残り組から新たな環境に適応して進化し発展した、まったく別の生物群であった。 P/T境界での大量絶滅の被害は大変深刻であり、その結果起きた生物の入れかわりも極めて大規模であった。これ以降の時代におきた絶滅事件でも、P/T境界事件に比較できる例は見当たらない。 今の地球上で見られる生物群の基本構成は、このP/T境界事件と直後の回復のときに決定されたといっても過言ではない。

地球の絶滅史 その3

 地球の絶滅史 その3
6500万年前 巨大隕石衝突
中生代はその始まりと終わり、2億5100万年前と6500万年前の両方を、生物の大量絶滅事件で区切られる。古生代の生物ほど古くなく、一方で新生代のものほどは新しくない、「中」くらい古いタイプの「生」物が生息した時「代」である。 中生代は古い順に三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の三つに分けられる。三畳紀はP/T境界事件からの回復の時代であった。海には新しいタイプのプランクトンやアンモナイトなど、さまざまな生物が繁栄した。陸上ではシダ植物や裸子植物の森林ができた。三畳紀の末期にはやや小規模な大量絶滅がおきたが、つづくジュラ紀、白亜紀の気候が温暖で安定していたので、多くの生物はその後も順調な発展を遂げた。 ジュラ紀には大型の恐竜が登場した。また脊椎動物の仲間では、魚類の多様化や鳥類の出現といった革新が起きた。鳥類が飛行の能力を獲得できたのは、当時の大気の高い酸素濃度と関連していたようだ。古生代の巨大トンボの場合と同じように、飛行という高エネルギー消費を支えるために、血液中の十分な酸素がすばやく体中に行き渡ることや、翼の羽ばたきを支える空気抵抗の増大が保証された。白亜紀に翼竜が巨大化したのも同様の理由であろう。 白亜紀中頃はプルームの活動がやや活発になった時期で、中央海嶺での海洋プレートの生産が高まり、大量の二酸化炭素が放出された。その結果、強い温室効果がはたらき、地球全体が温暖化した。 世界中の氷が溶け、無氷時代が訪れた。海水面は現在よりも200メートル以上、平均気温も10~15℃高かったらしい。

  6500万年前、北半球の6月のある日、直径10キロの巨大な隕石が地球に衝突した。隕石衝突によって、直径100キロをこえる巨大なクレーターが形成された。衝突地点は現在のメキシコ、ユカタン半島の北西端で、周辺にはユリの花が咲き乱れていた。約2億年続いた中生代最後の日であった。 巨大隕石が衝突したのは、地質年代では中生代の白亜紀(Kreide)と新生代の第三紀(Tertiary)との境界にあたり、頭文字をとって「K/T境界」とよばれる。このときにおきた事件で、世界中の多くの白亜紀の生物が絶滅した。海では全盛をきわめていたアンモナイトが、そして陸では恐竜が絶滅したことは広く知られている。そのほかにも、海洋ではプランクトンの地球規模での絶滅があった。長期間にわたって安定していた中生代の気候に適応し、多様化してきた多くの生物群にとって、対応できないくらい大きな環境変化がおきた。「衝突の冬」が訪れたのだ。 隕石衝突の直後、周囲には衝撃波が走り、衝突地点付近では巨大な噴出物の柱ができる。衝突した隕石の直径は約10キロであり、その破壊力は冷戦時代にアメリカと旧ソ連の両国で保有していた核弾頭約2万5000発分の1万倍に近いものだったといわれている。

  恐竜の絶滅は、古くから多くの人たちの興味を惹きつけてきた謎のひとつだった。さまざまな原因が提唱されてきたが、その混沌とした議論に終止符を打ったのは、二つの際立った発見であった。 一つはK/T境界に堆積した地層から、異常に高濃度のイリジウムなどの白金族元素が発見されたことである。イリジウムは普通地殻に少ない元素であり、隕石によってもたらされたと考えられる。二つ目は衝突クレーター自体の発見である。二つの決定的な証拠が出そろい、K/T境界絶滅の根本原因を隕石衝突以外で説明する声はほとんどなくなった。 衝突地点の岩石は瞬時に熱せられてとけ、そのしずくは周辺へと飛び散った。 しずくの一部は空中で冷えて固まり、「テクタイト」とよばれるガラス状の物質になった。 直径1ミリ以下の微小テクタイトが、カリブ海周辺でK/T境界の地層から多く産出する。その放射性年代測定は、6500万年前という恐竜絶滅の年代にピタリと一致する。 衝突現場周辺でとけなかった岩石も、衝突のときの強い衝撃波によってその結晶構造が破壊された。クレーターを埋没した地層からは衝撃で変形し、割れ目だらけになった石英やジルコンなどの鉱物が見つかっている。さらにカリブ海周辺地域のK/T境界層は、微小テクタイトを大量に含む特異な砂岩層からなる。 これは衝突の際に生じた大津波が運んだ堆積層であった。

  最近、北アメリカ東岸のニュージャージー州沖と太平洋北部での深海底の掘削により、新しい証拠が追加された。 ニュージャージー沖のK/T境界の地層から、多数の微小テクタイトが発見されたのである。

 また、太平洋北部ではついに隕石自体の破片がみつかった。 K/T境界で巨大隕石が衝突したことは、ほぼまちがいない。一方で大量絶滅が、世界的な規模での環境変化を意味することも確かである。 しかし、白亜紀に生息していたさまざまな生物が実際にどのように大量絶滅したのかは、まだよくわかっていない。隕石衝突がおきたあとに予想される一連の事件と、絶滅のシナリオは次のように考えられ、「衝突の冬」とよばれる。 衝突の標的になった地域周辺では、強い衝撃波や熱線が生じ、大量の海水が蒸発した。やや遅れて大規模な津波による直接的な被害が生じた。 しかし、その被害はごく一部の地域に限られたので、地球規模の大量絶滅には至らなかった。とどめは少し遅れてやってきた。衝突によって巻き上げられた大量のちりやガスが成層圏に達し、全地球をおおう巨大スクリーンを形成した。 太陽の光が遮られ、世界は急激な寒冷化をむかえた。 水蒸気は冷えて雨となり、蒸発した岩石の一部の成分は濃硫酸に変化して水滴に取りこまれ、強い酸性雨となった。植物の被害は大きく、結果として動物の食料不足を招いたのである。一方、衝突とは無関係に中央海嶺などの火山活動によって、地球内部からの熱や二酸化炭素が蓄積されていった。

 その結果、温室効果がはたらき、暗やみで温暖化がはじまった。この温度変化に対応できず、多くの生物が絶滅した。光合成の停止や急激な気温変化などにより、全地球規模で生物が二次的被害にあった。「衝突の冬」の影響は、先にのべた直接的な被害よりもはるかに深刻だったのである。

地球の絶滅史 その4

 地球の絶滅史 その4

6500万年、6月。

 隕石インパクトからの1年

 直後~1時間後: 衝突直後に衝突地点周辺から強烈な光線や熱線、衝撃波が高速で四方へ広がった。周りの海水は瞬時に蒸発した。 現在のカリブ海周辺に相当する海や陸で、最初の被害が出た。 1時間~数時間後: 高さ1キロをこえる巨大な津波が南北アメリカの海岸を襲った。低・中緯度の海岸沿いでは、

 動物や植物が大きな被害を受けた。この段階では被害はまだ世界中におよばなかった。 数時間~数日後: 衝突によって巻き上げられた大量のちりやガスが大気上空の成層圏に達し、地球全体をおおった。森林火災もおきた。世界中は暗やみになり、海でも陸でも光合成はストップした。 1ヶ月後: 光の遮断にともなう低温化に加え、酸性雨が降りはじめた。酸性雨による植物の被害は甚大で、結果として動物の食料不足を招いた。この二次被害の範囲は地球規模となった。 1年後: 地球内部から供給される熱や二酸化炭素が地表に蓄積し、寒冷化していた気候は一転した。 暗黒のうちに温暖化だけが進行した。この温度変化に対応できず絶滅した生物も多かった。

  地球は、陸地圏、空圏、成層圏、海洋圏、植物圏、生物圏という、縄張りを持って、それぞれが暗黙の了解なるルールを守りバランスを保ってきた。ところが、生物圏に人間が誕生したとたん、このバランスは崩れ始めた。今までは自給自足、必要最小限の消費で済んでいたが、人類の誕生、産業の発展に連れてエネルギー消費は増倍し、自然界のエネルギーのごく1部を利用しているだけに過ぎなかった原始人~高度農業人(西暦1200年ごろまで)に比べ、遥かに多くのエネルギーを消費するようになった。 一般に成人の1日で消費するエネルギーは2000カロリーと言われているが、それは体内だけでの消費量。人間が使うその他のエネルギー、例えは電子レンジ、テレビ、コンピューター、車、そういった消費量を足していくと、現在人類一人当たりが消費しているエネルギーは2万カロリーを超えるそうだ。2万カロリーと言えば、象一頭が1日に必要とする消費量。そう考えると、現在地球上には草や果物だけではなく、肉も原油も電気もありとあらゆるエネルギー全てを消費する象が66億頭ほどうろうろしている計算となる。 現在の地球は、海が約70%、残りの30%のうち、酸素を供給する森林は7.6%、農作に適した土地は僅かに3.6%しかない。この数字を見れば戦争なんてしている場合じゃない事に気づくはずだが… 我々は、これから常に自分達の置かれている状況を念頭に置き、各々が毎日世界平和と自然界に住む生物としての責任意識を持って行動するだけで、100年先は随分変わっていく事であろう。このままのペースで人間界が躍進を続ければ、地球は間違いなくパンクする。遥か未来、今からガラッと変わった生物が昔の地球史を振り返った時、“人間”という生き物が地球を滅亡に至らしめた史上最悪の生物であったなんて、言われないようにしたいものだ。
地球史を生きた生物、恐竜について

 地球史を生きた生物、恐竜について 恐竜とはなんだろう?

 今から2億2500万年前から6500万年前に生きた爬虫類。つまり、人間が生まれる6000万年以上も前に絶滅した動物である。 が、本当のことは誰にもわからない。わかっている事は、彼らが1億6千万年という途方もなく長い間、地球上に君臨していたという事と、鶏ほどの大きさのものから長さが30mを超えるものまで、恐竜と一言で済まされていること。 想像して欲しい、これから1億年後に我々の化石がある文明を持った生物に発見された時、人間、犬、熊、象も含めて一まとめで同種類扱いされるのと同じわけである。ティラノザウルスにしてみれば、体長が30cm位しかないコンプソグナトゥスと一緒にされてはたまったものではないだろうが、今となっては彼らもどうしようもできない。我々もしっかりと自分達の記録を残しておく必要があるなと、妙に納得させられてしまう。

  恐竜の生きた時代は中生代と呼ばれ、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に分かれている。三畳紀とジュラ紀には裸子植物やシダ植物が繁茂し、白亜紀には被子植物が現れた。 三畳紀には、特に湿気を好む裸子植物、シダやトクサが湿った水辺に繁茂しており、ジュラ紀は、浅い海が世界の多くの地域に広がった時代、またソテツの時代とよばれ、これらの植物が針葉樹はシダなどとともに繁茂していた。白亜紀も北アメリカやヨーロッパなどでは浅い海が広がった時代で、被子植物が繁茂しはじめるものの、暖かい気候は続いていた。 今から500万年前の南極大陸にはまだ樹木の化石があったことから、少なくも今から数千万年前には、南極に厚い氷床があったとは考えられず、現在のように寒くなったのは、数100万年前以降ということになる。また、6500万年前の白亜紀の終わり頃に、現在の高緯度地方に恐竜が住んでいたり、サンゴ礁などがあったことは、化石からわかっている。中生代はあたたかく、今より平均気温は10~15℃ほど高かった。恐竜に取っては長寿の秘訣となり、当時は温暖化など騒がれることもなく、恐竜や当時の生物にとって住みやすい気温だったわけで、今の人類がその時代では生きられないであろう。

 「本日、東京都心部の最高気温は最高で58℃を記録しました。アメリカのラスベガスでは65℃を超える見込みです……」

  恐竜に関しては、この20年で実に色々な新発見があった。今までは恐竜はまるでゴジラのように、のろのろと動くものと考えられていたが、その後、恐竜の足跡の化石から爪の入る角度、力の入り方を研究し、実は恐ろしく機敏なスピードで動いていた事がわかった。 また、肉食恐竜の歯は、まるでナイフのような形をしていて、歯の周りには細かなギザギザがついているものもあり、肉を切るステーキナイフのような形をしていた。草食恐竜の歯は、ノミや先割スプーンなどような形をしていて、葉を食いちぎったり、噛み切るのに適しおり、特に白亜紀のサウロロフスやトリケラトプスの仲間では、かみ合わせがまるでハサミのようで、かたいものでもかみ切れるようになっていた事までわかっている。 歯は白亜紀に発展し、歯の生え変わりもすばやくできるように、サメの歯の様なベルトコンベアー方式で生え変わる仕組みになってきた。肉食恐竜にとって歯は命の綱、人間のように生え替わるのに時間がかかるのではだめなのである。 対して、ジュラ紀の草食恐竜の歯は貧弱だったようだ。貧弱な歯を持った草食恐竜は、やわらかな若葉をつまんで口の中へ押し込む程度のことしかできなかったが、彼等の糞の化石を研究する事により糞に交ざって石が発見され、その石が胃の中で食べ物をすりつぶすのに役立ったと考えられる。 竜脚類の恐竜はおそらく、体を大きくすることと新陳代謝をおさえることで、それほど食料をとらなくても体温維持や活動にはことかかなかったと思われる。竜類類は、よく見ると全体の体に対して頭顎骨が非常に小さいことに気が付くが、同じ植物食の恐竜である鳥脚類や角竜類の恐竜は、頭顎骨が大きく頑丈で、さらに歯やあごも丈夫にできている。 このちがいを見ると、竜脚類と鳥脚類や角竜類とはまったく別の動物のように思われる。竜脚類はジュラ紀後半に繁栄し、鳥脚類と角竜類は白亜紀後半に繁栄した。 白亜紀後半に食料としていた植物が裸子植物から被子植物にかわったことが原因で、あごや歯の頑丈な鳥脚類と角竜類が白亜紀後半に繁栄したのだろうが、そうであっても鳥脚類と角竜類のあごと歯は頑丈で、これらの恐竜は相当な量の植物を食べていたと考えられる。これだけ食料が必要だったということはこれら恐竜の新陳代謝は相当活発だった可能性があり、白亜紀後半の恐竜はジュラ紀の恐竜達のようにのんびりできず、厳しい生存競争の中で必死に生きていたように思われるのだ。 地球上に1億6千万年も君臨してきた兵達、我々の想像を遥かに超えるシステムを保有していたに違いないが、ある日忽然と滅亡への道をたどる事となる。

 恐竜がなぜ絶滅したかについては、いろいろな説があるが、最も有力説では、隕石衝突による絶滅である。この説は、恐竜の絶滅した中生代新生代の地層の境界付近に隕石起源であるイリジウムという物質が濃縮していることから、大隕石の衝突によって、酸性雨や地球的規模の気候変動があって、恐竜が絶滅したというもの。 このように「突然」の出来事のために恐竜が絶滅したということだが、この「突然」とは時間でいえば、数100~数10万年もかかった出来事なのだ。 たとえば、北アメリカの恐竜の種類が最も多かったのは、7600万~7300万年前までで、白亜紀の末期(6500万年前)まで生きのびたのは30属にすぎなかった。そのうちの9属は、白亜紀をすぎた新生代まで生きのびていたということもわかってきた。また、恐竜の絶滅を考える時には、同時に起こった海に住むアンモナイトやプランクトンの絶滅も説明しなくてはならない。絶滅をその事だけでとらえるのではなく、生物や自然環境のうつり変わりの中でとらえることが重要であるということを示している。 恐竜が滅びた後に、陸上では哺乳類や鳥類が繁栄していく。恐竜と哺乳類・鳥類の体や生活のちがいに、絶滅したものと、絶滅をまぬがれたもののちがいが隠されている。哺乳類と鳥類は、ともに恒温動物で、子供がある程度大きくなるまでめんどうをみる。また、哺乳類と鳥類は爬虫類にくらべて心臓や肺(循環器系)の働きが強く、効率のよい呼吸を行なえる。 過去の大気の成分についてもよくわかっていないが、一説には大気の二酸化炭素のふくまれる割合が増加したというものがある。 恐竜が栄えた中生代の中頃から、太平洋やそのまわりに現在とは比較にならないほど大規模で活発な火山活動が起った。この火山活動では大量の二酸化炭素が噴出した。 この二酸化炭素は地球に温室効果をもたらし、恐竜にすみやすい湿潤温暖な気候を提供したが、一方ではその増加は循環器系に弱点をもつ大型恐竜の衰退を招くことになったという説もある。

恐竜滅亡の様々な説

隕石落下説

この説ほど、有名な恐竜絶滅説はないだろう。発表されて以来、多くの人びとに支持され、恐竜絶滅の最終仮説として見られるようになった。少なくとも、6500万年前に隕石が衝突したのは確かで、直径約10キロの巨大隕石が6500万年前6月のある日突然地球に、落ちてきた。まきあげられた噴煙によって、地球は暗黒の世界と化し、光合成は不可能、瞬時の衝撃波、津波の後は生体系が狂い、それについて行けなかった生物は絶滅した。実際に落ちた隕石は現在のメキシコ湾で跡が見つかっている。

火山噴火説

この説は、6500万年のちょっと前(とはいっても地球規模なので万年単位)に、突如1000年程も 続く世界規模の大噴火がおこったとする説。火山の噴煙の効果は、「太陽光がさえぎられる」、大量のマグマが地上に吐き出されることによって大地があるていど沈み「海が後退」、大陸棚が干上がり生体系が狂う等の効果が考えられる。また、火山の噴火でできた物質のせいでオゾン層が破壊されたという説もあるが、オゾン層がなくなれば紫外線が大量に地球に降り注ぐこととなり、地上の生物は生存不可能となる。マントルの最深部は外核から常にすごい熱を受け取っているが、3000万年周期でドロドロにとけてしまい、溶けたマントル最深部は熱を放出するためにマントル内を上昇、その結果地殻をつき破り、大噴出をおこすのだ。 火山噴火説は外核に関するものだが、この説にはプレートの移動が関係する。プレートとプレートがぶつかりあい、片方が沈んでいく海溝があるが、沈んでいったプレートはマントルで溶かされマントルの一部となる。ところが、マントルの熱でも溶けなかったものが大きな地殻の塊となる。そして大きくなりすぎるとマントル内を落下、外核まで達し、その衝撃で内核内の超高温の塊(スーパープリューム)が上昇し、それが外核にぶつかり大噴火をおこす。

海退説

6500万年前に地殻の大変動がおこり、それによって海洋が後退、大陸棚が干上がり、それにより生態系が狂わされ、恐竜が絶滅したという説。

海進説

6500万年前に地球の海水面が上昇し、陸地が減り、恐竜の密度が高くなって絶滅したという説。

新星爆発説

6500万年前、突如地球から20光年の距離のところで超新星爆発が起こり、地球に大量のニュートリノ(質量が0に近く地球10個を簡単に貫通する物質で太陽からもでている)が降り注ぐ。そのニュートリノの一部がさまざまな生物の細胞の核を壊してガンを誘発し、恐竜等が絶滅したとする説。

伝染病説

恐竜が鳥のように渡りをしたという考えに沿っている説。強力な伝染病が世界のどこかで起こり、それが“渡り”によって、瞬く間に世界中に広がり、恐竜に大打撃を与えたとする説。

哺乳類に卵を食べられた説

概要恐竜の繁栄した最後の時代、白亜紀には小さな哺乳類が力をつけはじめており、その哺乳類に卵を大量に食われて恐竜は死滅したとする説。

便秘説

恐竜絶滅説の中でも珍しいタイプ(?)の説で、なんと恐竜が便秘で絶滅したというもの。恐竜が当時大繁殖していたが、ある恐竜にとっては毒草であるものを恐竜が食べて、食中毒になってしまい、全滅したという説。

複合説

新しい説としては、古い形質から進化し適応した生物は、生態系の頂点を極めても、地球環境の新しい変化に対しては、新しい時代により適応した生物にその座を譲り渡すことになる、という進化の通説を隕石衝突と合わせた説などがある。 それは、白亜紀に進化してできた種子植物が、シダ植物や被子植物を減らし、その結果それらを食料としていた恐竜をむしばんでいき、せっかくの隕石衝突から生き残った恐竜も死んでしまった、というもの。この説も、白亜紀の恐竜の一部は被子植物を食べていたということから難がある。
有力な哺乳類の発生説
哺乳類は小型であったが徐々に勢力を伸ばした。夜行性で活発な哺乳類は恐竜の餌食になることも少なく、恐竜の卵や赤ん坊はそのような哺乳類に食べられ、やがて絶滅に追い込まれたという説。
植物の毒説
被子植物(花をつける植物)にはアルカノイドという成分が含まれていて、そのために、食中毒になった。また、花は恐竜たちに花粉症を起こさせたという説。
天候の変化説
大陸が移動し、海流が変ったために、四季の変化がはっきりした。つまり、冬は一層寒くなり、夏の暑さは激しくなった、そのため植物が枯れ、恐竜は飢え、かつ、凍えて死に絶えたという説。
神がそう造ったから
恐竜は人間が生まれる前に死に絶えるように、神が決め、最初からそのように造られていたという説。
地球外生命による攻撃
地球上に残されている、遺跡や出土品の中には、宇宙人を型どったものがある。ナスカの地上絵は、上空から見おろさなければ意味をなさず、イースター島の巨大石像は、同じ方向の空を見上げている。こうしたものは、地球外生命体が残した痕跡である。恐竜は高等な生物に進化しつつあり、危険を感じた地球外生物が攻撃して、絶滅させたという説。