歴史・人名

大中臣能宣

大中臣能宣

おおなかとみの よしのぶ
 921(延喜二十一)~991(正暦二)
別:三十六歌仙、梨壺五歌仙、951 和歌所寄人、972 伊勢神宮祭主、986 正四位下、神祇大副
父:伊勢神宮祭主大中臣頼基の子
母:不明
室:(父:越後守 藤原清兼)、女
子:954-1038 大中臣輔親、輔長、輔?、963-995 宣理、娘(源兼澄室)

歌人、36歌仙の一人。
951年梨壺の五人に選ばれ、「後撰和歌集」撰集。

孫の伊勢大輔なども著名歌人。
蔵人所に勤務したのち、天暦五年(951)、讃岐権掾となる。のち家職を継いで伊勢神宮に奉仕し、神祇小祐・大祐・小副・大副を経て、天延元年 (973)、伊勢神宮祭主となる。以後十九年間在職。寛和二年(986)、正四位下。
天暦五年(951)、源順・清原元輔らとともに梨壺の五人として撰和歌所寄人となり、万葉集の訓点と後撰集の撰進に携わる。天徳四年(960)の内裏歌合を始め多くの歌合に出詠。また屏風歌も多い。冷泉・円融二代にわたり大嘗会悠紀方歌人。平兼盛・源重之・恵慶らと親交があった。家集『能宣集』が三系統伝わるが、そのうち西本願寺本系統は能宣の花山帝への自撰献上本の系統をひくという。拾遺集初出。勅撰入集は120余首。三十六歌仙の一人。


大中臣頼基━━━大中臣能宣━┳━大中臣輔親━┳━輔隆
              ┣━輔長    ┣━伊勢大輔━┳━康資王母
              ┣━輔?    ┗━守孝   ┣━筑前乳母
              ┣━宣理           ┗━源兼俊母
              ┗━娘(源兼澄室)


中臣氏