歴史・人名

太田皇女

太田皇女

妹鸕野讃良皇女(うののさらら)と違い生来体の弱かった太田皇女は大津皇子を生んだ5年後には他界してしまう。
称号・名前 天智天皇皇妃 太田皇女
親族 父親=中大兄皇子(天智天皇) 母親=遠智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)
祖母=斉明天皇 叔母=間人皇女
配偶者=大海人皇子 
妹=鸕野讃良皇女(うののさらら) 弟=建皇子
子供=大伯皇女 大津皇子
陵墓 越智崗上墓

斉明陵に登る階段の途中にある太田皇女の墓
略歴 (7世紀)
661-辛酉-斉明07年01月08日 大伯皇女を生む
663-癸亥-天智02年 大津皇子を生む
668-己辰-天智07年 歿
668-己辰-天智07年02月27日 斉明天皇陵に合葬される
後記 斉明陵自体がここではないのでは・・・という見解もあるようですので、当然太田皇女墓も変わる可能性がありますね。
天皇家?