歴史・人名

小早川秀包

小早川秀包(こばやかわ ひでかね) 1567~1601
毛利氏 戸坂氏 大田氏 才菊丸 内記 藤四郎 元綱 元総 道叱 筑後守 侍従
◇父:毛利元就 養父:小早川隆景 室:豊臣秀吉養女(大友義鎮女) 子:毛利市正元鎮、元貞、小早川能久
 安芸・毛利元就9男。兄隆景の養子となり小早川を名乗る。本家毛利氏が豊臣秀吉に降った際、その人質となるが秀吉に気に入られ、秀包を名乗る。小牧・長久手の戦い、九州征伐に参加し、後に秀吉の養女を娶った。朝鮮出兵に参加した際には、養父隆景を助け明の大軍を撃破している。しかし隆景が養子豊臣秀秋を迎えたことから別家となり、久留米を治めた。関ヶ原の合戦では西軍として大津城攻略に参加する。戦後除封され、翌年長門にて没するが、子孫は吉敷毛利家を興した。