歴史・人名

尼子晴久

尼子晴久(あまご はるひさ) 1514~1560  ○三郎四郎 詮久 民部少輔 修理大夫 ◇父:尼子政久 室:尼子国久女 子:尼子千歳、義久、倫久、秀久 出雲・尼子氏当主。父政久は早くに戦死しており、祖父経久に従い、緒戦に活躍。1537年家督を譲られた。将軍足利義晴より諱を受け晴久と名乗る。舅国久率いる新宮党に援けられ、山陰を中心に8ヶ国に勢力を伸ばすが、やがて新宮党を疎ましく思うようになる。結果、安芸・毛利氏の謀略に乗せられ、新宮党を滅ぼしてしまい、自ら力を弱めた。その後も毛利氏相手に奮闘したが、48歳で病死した。