歴史・人名

尼子興久

尼子興久(あまご おきひさ) 1497~1534 ○彦四郎 宮内大輔 塩冶氏 ◇父:尼子経久 子:尼子彦四郎清久 出雲・尼子氏一族。武に優れ、父をよく扶けた。やがて父より西出雲の要衝塩冶3千貫を任されるが、これを不服として重臣亀井秀綱を通じ、さらに加増を要求。しかし認められなかった為、秀綱が讒言したものと思ってこれを討とうとし、秀綱を庇う経久と衝突する。結局敗れて、叔父の備後・山内大和守直通の下へ逃亡し、やがて自害に追い込まれた。その首を見た経久は怒りを忘れ悲しんだという。