歴史・人名

有馬家(吹上藩)

江戸大名公家

有馬家 吹上藩 左三つ巴 1万石
下野寒川郡吹上(栃木市吹上)   譜代 陣屋

移封加減増履歴・享保11年→1万石・天明元年→上総五井・天保13年→下野吹上
江戸城詰席・菊之間 子爵    
上屋敷・外桜田(文久)→山下御門内(明治)
参勤・参府8月、帰国2月
人口・全領地総計6826人、家数1473軒、この内士族383人、106軒、卒族166人、70軒、社寺123人、52軒           明治2年現在
■久留米藩有馬家の支流。藩祖氏倫から5代前の頼次は徳川忠長の家臣で1万石を領封。忠長除封後は父の豊氏(久留米藩藩祖)に預けられていたが、その子吉政は紀伊藩徳川頼宣に仕えた。
 

藩祖・氏倫(うじのり)
紀伊藩家臣有馬義景の長男 母は建部光延の娘
生没・寛文8年(1668)~享保20年(1735)
享保元年(1716)紀伊藩主吉宗の将軍就職にともない直参となり、側御用取次に任じられる
享保11年(1726)7700石を加増され1万石を領有し、大名に列する
従五位下兵庫頭
正室・林田藩建部政宇の娘
子女・養子氏久(2代) 女子→大奥年寄

2代・氏久(うじひさ)
紀伊藩家臣渡辺泰綱の子 母は某氏
生没・元禄12年(1699)~明和8年(1771)
家督・元文元年(1736)相続
従五位下備後守
宝暦9年(1759)隠居
正室・飯田藩堀親賢の娘
子女・養子光隆(林田藩建部政周の11男、離縁)
女子→光隆室、後に久留里藩黒田直亨
養子氏恒(3代) 氏房(氏恒養子、4代)

3代・氏恒(うじつね)
飯田藩堀親蔵の四男 母は某氏
生没・元文4年(1739)~宝暦10年(1760)
家督・宝暦9年(1759)相続 
従五位下式部少輔
正室・なし
子女・養子氏房(4代)

4代・氏房(うじふさ)
2代氏久の四男 母は某氏
生没・宝暦7年(1757)~安永2年(1773)
家督・宝暦10年(1760)相続
正室・なし
子女・養子氏恕(5代)

5代・氏恕(うじよし)
飯田藩堀親長の次男 母は石川氏  
生没・宝暦11年(1761)~天明3年(1783)
家督・安永2年(1773)相続
従五位下兵庫頭
正室・なし
子女・養子氏保(6代)

6代・氏保(うじやす)
長岡藩牧野忠寛の次男 岩槻藩大岡忠光の娘
生没・宝暦11年(1761)~寛政2年(1790)
家督・天明3年(1783)相続
従五位下能登守
正室・久留米藩有馬頼貴の娘
子女・養子久保(7代) 女子→久保室
女子→笠間藩牧野貞長養女

7代・久保(ひさやす)
一宮藩3代加納久周の次男 母は一宮藩2代加納久堅の養女 
生没・安永8年(1779)~文化11年(1814)
家督・寛政2年(1790)相続
従五位下備後守
正室・氏保の娘
子女・8代氏貞 女子→綾部藩九鬼隆都室
女子→弘前藩津軽順承

8代・氏貞(うじさだ)
久保長男 母は某氏
生没・文化9年(1812)~天保4年(1833)
家督・文化11年(1814)相続
従五位下兵庫頭
正室・久留米藩有馬頼徳の養女
子女・9代氏郁

9代・氏郁(うじしげ)
氏貞長男 母は正室有馬頼徳の養女 
生没・天保2年(1831)~文久2年(1862)
家督・天保4年(1833)相続
従五位下兵庫頭
正室・出羽松山藩酒井忠礼の娘鎮
子女・養子氏弘(10代)

10代・氏弘(うじひろ)
旗本有馬則篤の次男 母は某氏 
生没・嘉永3年(1825)~?
家督・文久2年(1842)相続
戊辰戦争では功があり明治2年に賞典金2000両を下賜される
従五位下兵庫頭
明治9年(1876)隠居離縁となり家に戻る
正室・本堂親久の娘(親久は慶応4年に立藩した常陸志筑藩主、それ以前は交代寄合)
継室・岩村藩松平乗喬の娘、後に離縁
子女・9代氏郁の正室鎮が家督を相続