歴史・人名

江戸の怪物、一橋治済が辿った生涯

「江戸の怪物」、一橋治済が辿った生涯|11代将軍・家斉の父として幕政を操った“影の将軍”【日本史人物伝】

2025/4/20

はじめに-一橋治済とはどんな人物だったのか?
一橋治済(ひとつばし・はるさだ)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した一橋家の2代目当主です。8代将軍徳川吉宗の孫であり、11代将軍徳川家斉の実父という家柄から、政治的・社会的に重要な役割を果たしました。

治済は権力を背景に贅沢な生活を送りながらも、幕府政治に深く関与し、田沼意次政権の崩壊や松平定信の登用に大きな影響を与えた人物でもあります。

そんな一橋治済ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、自身と長男・家斉の地位安泰のため、権謀術数をめぐらす人物(演:生田斗真)として描かれます。

一橋治済
一橋治済
目次
はじめに-一橋治済とはどんな人物だったのか?
一橋治済の生きた時代
一橋治済の足跡と主な出来事
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、一橋治済
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で描かれる、一橋治済
まとめ

一橋治済の生きた時代
一橋治済が生きた宝暦元年(1751)から文政10年(1827)は、江戸幕府が18世紀の安定期から19世紀の改革期へと移り変わる時代でした。この時期、田沼意次(おきつぐ)による経済政策や天明の大飢饉など、幕府の経済と政治が大きく揺れ動きました。

また、光格天皇の時代には「尊号事件」と呼ばれる朝幕間の対立が表面化し、幕府と朝廷の関係に新たな緊張が生まれました。一橋治済は、このような激動の時代を背景に、自身の立場と影響力を行使したのです。

一橋治済の足跡と主な出来事
一橋治済の生年は宝暦元年(1751)、没年は文政10年(1827)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

幼少期と家督相続
一橋治済は、初代一橋家当主・宗尹(むねただ)の四男として宝暦元年(1751)11月6日に生まれました。一橋家は親藩御三卿の一つで、治済は8代将軍・吉宗の孫でもあります。

幼名は松平豊之助と呼ばれ、14歳のときに父の死を受けて一橋家の家督を相続しました。「徳川民部卿治済」と名乗り、徐々に幕府政治への影響力を強めていきます。

長男・家斉が11代将軍に
天明元年(1781)、治済の長男である家斉(いえなり)が、10代将軍・徳川家治(いえはる)の養子となります。当初、家治は、俊才の誉れ高い田安家の定信(さだのぶ)を希望したそうです。しかし、田沼意次が定信を白河松平家へと養子に出し、家治の養子には家斉を選びました。この背景には、田沼意次が権勢を維持するための意図があったといわれています。

そののち、天明6年(1786)に、家治が死去。それに伴い、翌年には治済の長男である家斉が11代将軍となりました。このとき、家斉はわずか15歳でした。

田沼意次を排除、治済が松平定信を老中首座に推挙
家治は、水腫のため療養していました。その際、田沼が連れてきた町医者の調合薬を飲んだ後に、急死しています。そのことが反田沼派に利用され、田沼は老中罷免。家斉は自身の後見として白河藩の松平定信を任命します。定信もまた、治済と同じく吉宗の孫でした。

これらの背景には、治済による暗躍があったともいわれています。

田沼意次
田沼意次
尊号事件と大御所問題
寛政元年(1789)に起きた尊号事件(そんごうじけん)では、光格(こうかく)天皇が父・閑院宮典仁(すけひと)親王に「太上天皇」の尊号を贈ろうとしたのに対し、松平定信が強硬に反対しました。

この事件の背景には、治済自身が大御所として江戸城西の丸に迎えられる計画があり、それに対する定信の反対が絡んでいたともいわれています。定信としては、尊号宣下が先例にならぬよう、強硬に反対したのでしょう。

しかし、これが理由の一つとなり、定信は、寛政5年(1793)7月に老中並びに将軍補佐役を辞職することになりました。

晩年と栄達
治済は寛政3年(1791)、息子である徳川斉敦(なりあつ)に家督を譲って隠居しましたが、将軍・家斉の実父という立場から引き続き影響力を持ち続けました。晩年には従一位、准大臣に昇進し、その威勢は衰えることがありませんでした。

そのため、各方面から膨大な賄賂が贈られ、上屋敷は駿河台にありながら、隠居後は向島に瀟洒な下屋敷を構えるなど、驕奢な生活を楽しんだそうです。

文政10年(1827)に77歳で没し、法名「最樹院性体瑩徹大居士」として東叡山に葬られました。没後には、太政大臣の位が贈られています。

駿河台
『名所江戸百景 水道橋駿河台 』著者:広重、出版者:魚栄、安政4年(1857)刊(国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/pid/1312283 をトリミングして作成
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、一橋治済
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』(以下、『大奥』)で描かれた一橋治済は、物語の中でもひときわ注目を集めるキャラクターでした。このドラマは、よしながふみの同名漫画を原作に、「男女逆転」という斬新な設定で江戸時代を描いた作品。物語の舞台は、若い男子だけが感染し死に至る奇病「赤面疱瘡(せきめんほうそう、物語で描かれた奇病のこと)」によって社会が激変した日本です。

そんな背景の中で、一橋治済(演:仲間由紀恵)は冷徹な権力者として物語に大きな影響を与えます。彼女は8代将軍・吉宗の孫であり、一橋家の当主。一見、柔らかく上品な雰囲気をまとっていますが、その実態は非情で冷酷。己の権力を強固なものにするため、田沼意次や松平定信らに気づかれぬよう巧妙な謀略を巡らせ、我が子・家斉を将軍の座に据えようと画策します。

特にドラマでは、治済が自ら手を汚すことなく、巧みに周囲を操りながら邪魔者を排除していく姿が描かれ、視聴者を戦慄させました。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で描かれる、一橋治済
『べらぼう』で描かれる一橋治済(演:生田斗真)は、一見、人当たりがよく優しい雰囲気を漂わせる人物。しかし、その柔和な表情の裏側には、冷酷さと緻密な計算が見え隠れします。彼の目的はただ一つ、自身の地位を安泰なものとすること。そのためにはどんな謀略も辞さない治済の姿勢が、物語に緊張感をもたらすことでしょう。

まとめ
一橋治済は、一橋家の当主としてだけでなく、将軍の実父として幕府政治に影響を与えた人物です。田沼意次政権の崩壊や尊号事件など、江戸時代歴史を彩る多くの出来事に関与しました。その生活は贅沢を極めつつも、幕府内外に大きな足跡を残したといえるでしょう。

2025-04-21 (月) 11:03:27
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