歴史・人名

清水宗治

清水宗治

しみず むねはる
1537~1582
別:長左衛門尉、備中高松城主
室:石川久孝女
子:清水宗之(清水行宗?)、清水景治

備中・高松城主、毛利氏の家臣。安芸・毛利氏傘下の武将、小早川隆景に属した。尾張・織田信長の部将羽柴秀吉の中国侵攻に抵抗、3万の兵に囲まれ籠城するが、水攻めに遭う。毛利の援軍は中々近づけず、高松城は堅く容易に落ちなかったものの、脱出は不可能であった。戦線は膠着し、本能寺の変が発生したこともあって講和が成ったが、その条件として清水宗治は城から小舟に乗って出、潔く自刃した。


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