歴史・人名

細川持隆

細川持隆(ほそかわ もちたか) ????~1553 ○持重? 讃岐守 兵部大輔 右京大夫 ◇父:細川讃岐守之持 室:大内義興女、岡本美作守清宗女 子:細川真之  父の跡を継いで細川氏阿波守護家当主となる。1531年には畿内に出陣して管領細川晴元を援護した。1534年足利義冬を阿波に迎え、阿波公方とした。播磨・赤松晴政(妹婿か?)が尼子晴久に居城を逐われた時は、これを保護し、播磨奪還の援兵を出すが、晴久の軍勢と戦って敗北している。後、足利将軍家の後継問題で家臣三好義賢と対立して殺害された。