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鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年

鎌倉幕府成立は1192年じゃなくて1185年 ~室町幕府も変化?征夷大将軍は無関係~

 いいくに作れなかった鎌倉幕府。成立年度、1192年から1185年に変更されていた デジタルマガジンという記事に、鎌倉幕府の成立時期が

「2006年頃から違うんじゃないかと言われ始め、2007年には教科書の内容が改訂。今ではほとんどの教科書が1185年説を支持しているんだそうです」

 とありました。

 変更された理由は、

「1185年の壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したため日本はすべて源氏のものとなり、そして同年、総大将である源頼朝が朝廷に日本全国への守護・地頭の設置を認めさせたことから、実質的な支配が頼朝に移り、この時点から鎌倉幕府の基礎ができていたと見なされたから」

 とあります。

 また、

「1192年に幕府を開いた根拠として任命された征夷大将軍という地位は、頼朝が朝廷から軍事権力を奪うためにあえて任命させた官位で、地位としては1190年に任命された右近衛大将よりもずっと低いものでした。ちなみにこの右近衛大将という官位は武官の最高位でしたが、“天皇の近衛兵”という立場だったため頼朝は任命されてからたったの10日で辞任」

 しているということで、この頃には既に頼朝の方がずっと力関係は上だったのかなと思わせる話です。

 しかし、これに対してネット上では室町幕府、江戸幕府との整合性が取れないのでおかしいという話があり、それはそれでもっともだと思う指摘です。

 ただ、ちょっと調べてみると、室町幕府、江戸幕府でも幕府の成立時期にも、諸説あります。

 仏教総合サイト ブッダワールドの年号ページのように、鎌倉幕府の成立を征夷大将軍の1192年にしていても、室町幕府成立を征夷大将軍の1338年ではなく、1336年としているページすらあります。

 他と違い、昔習った室町幕府成立の年号は覚えていなかったのですが、検索して出る語呂合わせが「いー耳や(いーみみや)」「ひとさんざんや」「瞳さわやか」ですので、おそらく教科書では1338年だったのだと思われ、室町幕府成立年も変化してきている可能性があります。

●鎌倉幕府成立年の諸説

 Wikipediaによると、そもそも「幕府」とは「将軍の陣所を指す概念」で、「武家政権を幕府と称したのは江戸時代になってから」「鎌倉幕府という概念が登場したのは、明治20年以降」というわけで、「鎌倉幕府とは何か」すら非常に難しい問題のようです。

 とりあえず、現在出ている説は、以下のとおりです。

・頼朝が東国支配権を樹立した治承4年(1180年)説

 鎌倉の大倉郷に頼朝の邸となる大倉御所が置かれ、また幕府の統治機構の原型ともいうべき侍所が設置されて武家政権の実態が形成される。さらに権大納言兼右近衛大将に叙任され、公卿に列し荘園領主の家政機関たる政所開設の権を得たことで、いわば統治機構としての合法性を帯びるようになった。

・事実上、東国の支配権を承認する寿永二年の宣旨(寿永二年十月宣旨)が下された寿永2年(1183年)説

・公文所及び問注所を開設した元暦元年(1184年)説

・守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下された文治元年(1185年)説 (現在、最有力)

 この年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたことも大きかった。(壇ノ浦の戦いは4月25日、文治の勅許は12月21日)

・日本国総守護地頭に任命された建久元年(1190年)説

・源頼朝が征夷大将軍に任命された建久3年(1192年)説 (過去の最有力)

 なお、「これら学説については井上光貞前掲書、国史大辞典編集委員会編前掲『国史大辞典 3』などに詳しい」とあり、この発行年は1983年です。

 ですから、冒頭記事の「2006年頃から違うんじゃないかと言われ始め、2007年には教科書の内容が改訂」は誤解を招く書き方です。記事を読んだとき、短期間で歴史の教科書の内容が変わることは少ないはずなのでおかしいなと思いましたが、もともと諸説あり近年見直しが進んだということでしょう。

 あと、蛇足ですが、"「日本で初の武家政権」とされたこともあったが、今では平氏政権に次ぐ武家政権と位置づけられている"というのもおもしろかったです。

室町幕府成立年の諸説 (室町幕府 Wikipediaより)

 お次は影の薄い室町幕府の成立時期を見てみます。

・幕府の施政方針が建武式目として確立・明示された建武3年(1336年)11月

・足利尊氏が北朝の光明天皇に征夷大将軍へ補任された暦応元年(1338年)

 「今日では前者が有力説である」とあり、室町幕府も征夷大将軍とは無関係になっています。先に書いたブッダワールドが1336年を採用していましたが、予想したとおり室町幕府成立も見直しがあったようです。

 ちなみに、「幕府の終期に尽いては、1573年に15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放され、足利将軍家が歴代相伝する山城国及び丹波国の御料所を織田政権に奪われた事によって事実上崩壊した」とありました。

 こちらは昔からそう習っていて変わっていないと思うのですが、やはり征夷大将軍とは無関係でした。

 「足利義昭は信長により京都から追放された後も、征夷大将軍を解官された訳ではない。『公卿補任』では、天正16年(1588年)に義昭が関白豊臣秀吉に従って参内して、秀吉への忠誠を誓うまで征夷大将軍であったと記録する」そうです。

●江戸幕府成立年の諸説 (江戸幕府 Wikipediaより)

 江戸幕府についても「幕府の始期及び終期については諸説あるが」といった書き方がされています。

 しかし、実際に紹介されているのは、「征夷大将軍の任官時期に着目する場合には、家康がはじめて将軍職に任じられた1603年3月24日(慶長8年2月12日)から」とあるだけでした。江戸幕府の成立時期は、あまり揉めるところではないようです。

 一方、終期では他の説の紹介もありましたので、併せて掲載します。

・1867年11月9日(慶応3年10月14日)説

 15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行った。

・1868年1月3日(慶応3年12月9日)説 (最有力)

 いわゆる王政復古の大号令によって15代将軍徳川慶喜の将軍職辞任が勅許され、併せて幕府の廃止が宣言された。

・1868年5月3日(慶応4年/明治元年4月11日)説

 江戸開城

 なお、冒頭記事の「今ではほとんどの教科書が1185年説を支持しているんだそうです」も間違いという情報があり、教科書では鎌倉幕府成立が何年という言い方はしていないという話もありました。

 既に書いたとおり、鎌倉政権は徐々に権力を確立していくという形でできあがっています。ですから、何年成立なんて覚えてもあんまり意味がないと思いますし、明記していないというのは納得できる話です。