歴史・人名

閑院宮家

閑院宮家

東山天皇━━━直仁親王━┳━始宮 治子女王
            ┃ (西本願寺十六世宗主 湛如室)
            ┣━梅芳院(王子)
            ┣━蓮香院(王女)
            ┣━天台座主 公啓入道親王
            ┣━典仁親王━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
            ┣━栄宮 尊信                    ┃
            ┣━格宮 室子女王                  ┃
            ┃ (夫:京極宮 公仁親王)             ┃
            ┣━幾宮 真如高覚                  ┃
            ┣━五十宮 倫子王女                 ┃
            ┃ (夫:征夷大将軍 徳川家治)           ┃
            ┣━鷹司輔平(鷹司家へ)               ┃
            ┣━八千代宮 博山元敝                ┃
            ┗━皇女                       ┃
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━美仁親王━━━━━━━━━━━┳━裕宮 貞子女王
┣━俊宮 仁和寺宮 深仁入道親王 ┃ (夫:田安徳川家三代当主 徳川斉匡)
┣━方宮 輪王寺宮 公璋入道親王 ┣━鎮宮(王女)
┣━良宮 輪王寺宮 公延入道親王 ┣━苞宮(王女)
┣━弥数宮(王女)        ┣━孝仁親王━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┣━時宮 妙法院宮 真仁法親王  ┣━敬宮(王女)              ┃
┣━孝宮 宗恭女王        ┣━喜久宮(厚宮)             ┃
┣━兼仁親王(天皇家へ)     ┣━富宮(王子)              ┃
┣━寛宮 聖護院宮 盈仁法親王  ┗━嘉宮 宣子女王             ┃
┣━精宮(王子)           (夫:有栖川宮 韶仁親王)       ┃
┣━鏗宮(王子)                               ┃
┣━健宮(王子)                               ┃
┣━公顕法親王                                ┃
┣━宗泰法親王                                ┃
┗━伏見宮 貞敬親王                             ┃
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━茂宮(王女)
┣━致宮(王子)
┣━永宮(王女)
┣━愛仁親王────────────(養子・伏見宮)載仁親王━━━━━━━━━┓
┣━健宮 妙法院門跡 教仁法親王                       ┃
┣━睦宮 光子女王                              ┃
┃ (夫:田安徳川家八代当主 徳川慶頼)                   ┃
┗━(養子)曼殊院門跡 譲仁法親王                      ┃
  (父:伏見宮 邦家親王)                         ┃
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━篤仁王
┣━恭子女王
┃ (夫:子爵 安藤信昭)
┣━茂子女王
┃ (夫:黒田長禮)
┣━季子女王
┣━春仁王(閑院純仁)
┣━寛子女王
┗━華子女王
  (侯爵 華頂博信室および戸田豊太郎妻)


閑院宮家
Tweet
LINEで送る

直仁親王

   生没年:1704-1753
   父:東山天皇
       秀宮
       1710 宮家創立
       1718-1753 閑院宮
       弾正尹
       准三宮
   妃:(父:関白内覧太政大臣 近衛基熙)
       1716-1747 始宮 治子女王(西本願寺十六世宗主 湛如室)
       梅芳院(王子)
       蓮香院(王女)
       1732-1772 天台座主 公啓入道親王
       1733-1794 典仁親王
       1735-1801 栄宮 尊信
       1736-1756 格宮 室子女王(夫:京極宮 公仁親王)
       1737-1764 幾宮 真如高覚
       1738-1771 五十宮 倫子王女(夫:征夷大将軍 徳川家治)
   女:長祥院(中野氏)
       1739-1813 鷹司輔平(鷹司家へ)
       1750-1797 八千代宮 博山元敝
       -1797 皇女

典仁親王

   生没年:1733-1794
   父:閑院宮 直仁親王
       寿宮
       1744 大宰帥
       1753- 閑院宮
       1884 贈太上天皇
       慶光院
   妃:大江磐代
       1757-1818 美仁親王
       1759-1807 俊宮 仁和寺宮 深仁入道親王
       1760-1776 方宮 輪王寺宮 公璋入道親王
       1762-1803 良宮 輪王寺宮 公延入道親王
       1765-1767 弥数宮(王女)
       1768-1805 時宮 妙法院宮 真仁法親王
       -1821 孝宮 宗恭女王
       1771-1840 兼仁親王(天皇家へ)
       1772-1830 寛宮 聖護院宮 盈仁法親王
       1774-1779 精宮(王子)
       1776-1777 鏗宮(王子)
       1778-1780 健宮(王子)
       公顕法親王
       宗泰法親王
       伏見宮 貞敬親王
   妃:成子内親王(父:中御門天皇)

美仁親王

   生没年:1757-1818
   父:閑院宮 典仁親王
       致宮
       閑院宮
       弾正尹
   妃:近衛因子(父:関白 近衛内前)
       1787-1825 裕宮 貞子女王(夫:田安徳川家三代当主 徳川斉匡)
       1791-1794 鎮宮(王女)
       1791-1792 苞宮(王女)
       1792-1824 孝仁親王
       1793 敬宮(王女)
       1797-1801 喜久宮(厚宮)
       1798-1802 富宮(王子)
       1800-1866 嘉宮 宣子女王(夫:有栖川宮 韶仁親王)

孝仁親王

   生没年:1792-1824
   父:閑院宮 美仁親王
       寿宮
       閑院宮
       常陸太守
       式部卿
   妃:微妙覚院 吉子(父:関白 鷹司政熙)
       1811 茂宮(王女)
       1812-1813 致宮(王子)
       1815-1816 永宮(王女)
       1818-1842 愛仁親王
       1818-1851 健宮 妙法院門跡 教仁法親王
       1819-1906 睦宮 光子女王(夫:田安徳川家八代当主 徳川慶頼)
       1824-1842 (養子)曼殊院門跡 譲仁法親王(父:伏見宮 邦家親王)

愛仁親王

   生没年:1800-1842
   父:孝仁親王
       基宮
       閑院宮
       弾正尹
   妃:
       1865-1945 (養子)載仁親王

載仁親王

   生没年:1865-1945
   父:伏見宮 邦家親王
   義父:閑院宮 愛仁親王
       1867-1871 三宝院門跡
       1872-1945 閑院宮
       1912 陸軍大将
       軍事参議官
       1919 元帥
       1931-1940 参謀総長
   妃:三条智恵子(父:公爵 三条実美)
       1894 篤仁王
       1896-1992 恭子女王(夫:子爵 安藤信昭)
       1897-1991 茂子女王(夫:黒田長禮)
       1898-1914 季子女王
       1902-1988 春仁王(閑院純仁)
       1906-1923 寛子女王
       1909-2003 華子女王(侯爵 華頂博信室および戸田豊太郎妻)

春仁王(閑院純仁)

   生没年:1902-1988
   父:閑院宮 載仁親王
       閑院宮
       陸軍少将
       1947 臣籍降下
       1947-1988 閑院純仁
       春日興業社長
   妻:一条直子(父:公爵 一条実輝)

概要
創設年月日
寶永7年8月10日新宮家創設決定
享保3年1月12日創設
所出天皇
東山天皇
創設者
東山天皇第六皇子直仁親王
「皇籍離脱」
昭和22年10月14日
斷絶
昭和63年6月18日 閑院純仁薨去に由る
歴代當主
閑院宮直仁親王
御父
東山天皇 (第一王子)
御母
典侍新崇賢門院藤原賀子 (内府櫛笥隆賀女)
降誕
寶永元年9月9日
幼稱
秀宮
新宮家創設決定
寶永7年8月10日
閑院宮家創設
享保3年1月12日
親王宣下
享保3年1月23日
元服・彈正尹
享保3年2月11日
敍二品
享保4年2月3日
婚儀
享保4年2月8日 御息所は關白近衞基熙女脩子
敍一品
享保14年11月8日
薨去
寶暦3年6月3日
慶光天皇 (閑院宮典仁親王)
御父
閑院宮直仁親王 (第二王子)
御母
家女房讚岐
降誕
享保18年2月17日
幼稱
壽宮

中御門天皇第五皇女成子内親王
薨去
寛政6年7月6日
諡號追贈・太上天皇追尊
明治17年
閑院宮美仁親王
御父
慶光天皇 (第一王子)
御母
家女房大中臣祐智女
降誕
寶暦7年11月25日
御息所
藤原因子 (關白近衞内前女)
親王宣下
寶暦13年
元服
明和5年
敍一品
文化12年
薨去
文政元年10月6日
閑院宮孝仁親王
御父
閑院宮美仁親王 (第一王子)
御母
家女房随願院
幼稱
壽宮
降誕
寛政4年4月28日
御息所
微妙覚院藤原吉子 (關白鷹司政熙三女)
親王宣下・元服・常陸太守
文化5年
式部卿
文政3年
敍一品
文政7年
薨去
文政7年2月9日
閑院宮愛仁親王
御父
閑院宮孝仁親王 (第二王子)
御母
藤原吉子
降誕
文化15年1月13日
親王宣下・元服
文政11年
婚約
天保11年 仁孝天皇第三皇女淑子内親王と婚約するも婚儀前に薨去
薨去
天保13年9月17日
閑院宮載仁親王
御父
伏見宮邦家親王 (第十六王子)
御母
家女房伊丹吉子
降誕
慶応元年9月22日
幼稱
易宮
落飾・三寶院門跡相續
慶應3年
伏見宮復籍
明治4年
閑院宮(第6代)
明治5年1月
親王宣下・命名
明治11年8月26日
敍大勳位授菊花大綬章
明治20年8月18日
婚儀
明治24年 妃は公爵三條實美次女智恵子
陸軍大將
大正元年11月27日
昭憲皇太后御大葬總裁
大正3年
元帥
大正8年12月12日
皇太子御渡歐に隨行
大正10年3月3日乃至同9月3日
授菊花章頸飾
大正10年9月24日
議定官
大正12年10月27日乃至昭和15年10月3日
大正天皇御大葬總裁
昭和2年
昭和天皇即位大禮總裁
昭和3年
參謀總長
昭和6年12月23日
敍功一級
昭和17年4月4日
賜鳩杖
昭和19年1月15日
薨去
昭和20年5月20日
國葬
昭和20年6月18日
閑院純仁 (もと閑院宮春仁王)
御父
閑院宮載仁親王 (第二王子)
御母
閑院宮載仁親王妃智恵子
降誕
明治35年8月3日
婚儀
大正14年 妃は公爵一條實輝四女直子
敍大勳位授菊花大綬章
昭和9年11月3日
陸軍少將
昭和20年6月
豫備役
昭和20年12月
皇籍離脱
昭和22年10月14日 以後、閑院春仁を稱せらる
離婚・改名
昭和41年 以後、閑院純仁を稱せらる
薨去
昭和63年6月18日 薨去を以て閑院宮家は斷絶
載仁親王所出子女 (當主を除く)
篤仁王
恭子女王 (子爵安藤信昭夫人)
茂子女王 (侯爵黒田長礼夫人)
季子女王
寛子女王
華子女王 (侯爵華頂博信夫人、後、戸田豊太郎夫人)
孝仁親王所出子女 (當主を除く)
第一王女 茂宮
第一王子 致宮
第二王女 永宮
教仁法親王
佳子女王 (德川慶頼室室)
美仁親王所出子女 (當主を除く)
貞子女王 (德川斉匡室)
第二王女 鎮宮
第三王女 苞宮
第四王女 敬宮
第二王子 厚宮
第三王子 冨宮
宣子女王 (有栖川宮韶仁親王妃)
慶光天皇所出子女 (當主を除く)
光格天皇
御父
慶光天皇 (第六王子)
御母
家女房大江磐代
降誕
明和8年8月15日
幼稱
祐宮
後桃園天皇養子
安永8年11月
踐祚
安永8年11月25日
即位
安永9年12月4日
婚儀
寛政6年3月1日 中宮は後桃園天皇第一皇女新清和院欣子内親王
讓位
文化12年3月22日
崩御
天保11年11月19日
追諡
天保12年閏1月

仁和寺宮 深仁入道親王
輪王寺宮 公璋入道親王
輪王寺宮 公延入道親王
第一王女 弥数宮
妙法院宮 真仁法親王
宗恭女王
聖護院宮 盈仁法親王
第八王子 精宮
第九王子 鏗宮
第十王子 建宮
直仁親王所出子女 (當主を除く)
治子女王 (本願寺第16世門主光啓室)
第一王子 梅芳院
第二王女 蓮香院
公啓入道親王 (天台座主)
尊信女王
室子女王 (京極宮公仁親王室)
高覚女王
倫子女王 (德川家治御臺所)
鷹司輔平
博山元敝 (第七王女)
第八王女

平成21年11月19日作成

閑院宮 京都通百科事典

閑院宮(かんいんのみや)

宮家

宮号:閑院宮(かんいんのみや)

創設:秀宮 直仁親王(なおひとしんのう)(東山天皇の皇子)

四世襲親王家の一つ

 閑院宮(かんいんのみや)は、江戸時代中期に東山天皇の皇子 直仁親王が創設した宮家

 四世襲親王家の一つ

 七代 春仁王が、皇籍を離脱するまで約230年にわたり宮家として存続した

 現在の皇統は、閑院宮2代 直仁親王の王子 祐宮親王が光格天皇に即位されてから閑院宮系の血統となって続いている

【閑院宮の歴史・経緯】

【閑院宮の代々】

 <初代 秀宮 直仁親王(なおひとしんのう)>
 1704年(皇紀2364)宝永元年10月7日~1753年(皇紀2413)宝暦3年7月3日
 父親:東山天皇
 母親:新崇賢門院 櫛笥賀子

 第四王子の淳宮親王は、鷹司家を相続し、「鷹司輔平」と改名する
 第六王女の倫子女王は、第10代将軍 徳川家治の正室となる

 <二代 壽宮 典仁親王(ひさのみや すけひとしんのう)>
 1733年(皇紀2393)享保18年4月1日~1794年(皇紀2454)寛政6年8月1日
 父:初代 秀宮直仁親王
 母親:讃岐(伊藤氏)
 妃:成菩提院 壽宮成子内親王(中御門天皇の五女)

 第二王子の俊宮守典親王は、仁和寺門跡 深仁入道親王となる
 第四王子の良宮保業親王は、天台宗天台座主 公延入道親王となる
 第六王子の祐宮兼仁親王は、後桃園天皇の崩御にともない光格天皇となる
 第七王子の寛宮嘉種親王は、聖護院門跡 盈仁法親王となる
 第十王子の建宮は、実相院を相続する
 第八王子の精宮は、曼殊院を相続する

 明治時代に、「慶光天皇」の諡号、「太上天皇」の尊号を贈られる

 <三代 致宮 美仁親王(をきのみや はるひとしんのう)>

 1758年(皇紀2418)宝暦8年1月4日~1818年(皇紀2478)文政元年11月4日
 二代 壽宮 典仁親王の第一王子
 母親:大中臣祐智女(美仁親王の女房)
 妃:文君因子(近衛内前の長女)

 <四代 壽宮 孝仁親王(ひさのみや たつひと)>

 1758年(皇紀2418)宝暦8年6月17日~1824年(皇紀2484)文政7年3月9日
 三代 致宮 美仁親王の第一王子
 母親:隋願院 小左近(倉光氏)(美仁親王の女房)
 妃:微妙覚院 鷹司吉子(鷹司政煕の三女)

 第三王子の建宮 弘保親王は、後に、天台宗天台座主 教仁法親王となる

 <五代 基宮 愛仁親王(もとのみや なるひとしんのう)>

 1818年(皇紀2478)文政元年2月17日~1842年(皇紀2502)天保13年10日20日
 四代 壽宮 孝仁親王の第二王子
 母親:微妙覚院 松君吉子(鷹司政煕の三女)

 25歳の若さで薨去され、四代 壽宮 孝仁親王の妃 鷹司吉子(愛仁親王の生母)が当主格とされた

 <六代 易宮 載仁親王(ことひとしんのう)>
 1865年(皇紀2525)慶応元年11月10日~1945年(皇紀2605)昭和20年5月20日
 父親:第20代伏見宮 睦宮邦家親王
 母親:伊丹吉子
 妃:三条智恵子(三条実美の次女)

 1871年(皇紀2531)明治4年
 伏見宮邦家親王の王子から、閑院宮家を継ぐ
 1871年(皇紀2531)明治4年に、フランスへ留学
 サン・シール陸軍士官学校・騎兵学校・陸軍大学を卒業し帰国
 1891年(皇紀2551)明治24年に、三条実美の二女 智恵子と結婚
 参謀本部に勤務し、その後、騎兵旅団長となり、日露戦争では満州軍総司令部付きの武官として従軍する
 1912年(皇紀2572)大正元年に、陸軍大将となる
 1919年(皇紀2579)大正8年に、元帥の称号を賜わる
 1931年(皇紀2591)昭和6年から1940年(皇紀2600)昭和15年まで参謀総長を務める
 1945年(皇紀2605)昭和20年5月、81歳で薨去され、国葬が行われる

 <七代 春仁王(はるひと)>
 1902年(皇紀2562)明治35年8月3日~1988年(皇紀2648)昭和63年6月18日
 六代 載仁親王の第二王子
 母親:三条智恵子(三条実美の次女)
 妃:一条直子(公爵 一条実輝の四女)

 陸軍大学校兵学教官などを務め、終戦時には陸軍少将として、戦争継続を主張した
 宮家が敗戦の責任を取り皇族の身分を離れることに対しては「皇族の使命を軽んじ自ら卑下して時勢におもねるもの」と反対

 1947年(皇紀2607)昭和22年10月14日
 皇籍を離脱し、「閑院春仁」と改名する

 実業家として成功するが、一条直子とは離婚する
 実子がいなく、養子も取らなかったため、閑院家は断絶となる

【閑院宮のゆかりの地】

 <旧閑院宮邸>
 場所を変えず、京都御苑の南西部に、ほぼ完全な形で残る唯一の宮家屋敷
 江戸時代の宮家の生活が知れる貴重な遺構
 当時の敷地は、現在より広大であり、東は九条池(九条邸の庭園)のすぐ隣まであったとされる
 庭園の池は、2/3ほどしか整備されておらず、残り1/3は地中に埋もれている

 閑院宮邸のあった場所は、鎌倉時代に「第六の摂関家」とも称される松殿家があったところ
 松殿家は、木曾義仲とともに繁栄と衰退し、断絶した

 1718年(皇紀2378)享保3年
 霊元法皇(東山天皇の父親)より、屋敷地が京都御苑の南西部に与えられた
 1788年(皇紀2448)天明8年
 創建当初の建物が、天明の大火で焼失する
 1869年(皇紀2529)明治2年
 閑院宮も東京に移られ、華族会館や裁判所として一時使用される
 1883年(皇紀2543)明治16年
 宮内省京都支庁が置かれる
 2006年(皇紀2666)平成18年3月
 京都御苑の自然と歴史についての写真、絵図などの収納展示室として、庭園などが開放される

【その他】

 <「閑院宮」>
 「閑院宮」の宮号は、平安時代の清和天皇の皇子 貞元親王が、「閑院」を号したことに由来するといわれている

 <尊号一件・尊号事件>
 閑院宮二代 典仁親王の第六王子の祐宮兼仁親王は、後桃園天皇の崩御にともない光格天皇となる
 光格天皇は、父親 典仁親王に「太上天皇」の尊号を贈ろうとしたが、老中 松平定信が反対
 松平定信は、同じように、将軍 徳川家斉が、父親 一橋治済に「大御所」の称号を贈ることも反対していた
 これらのことに、朝幕間は緊張した
 光格天皇と松平定信の双方を説得し、事態収拾を図った関白 鷹司輔平は、初代 直仁親王の末子で、典仁親王の実弟にあたる


【京都検定 第8回2級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク