歴史・人名

香坂昌信

香坂昌信(こうさか まさのぶ) 1527~1578 
○春日氏 高坂氏 源助 源五郎 虎綱 昌宣 晴昌 晴久 弾正忠
◇父:春日大隅? 子:香坂源五郎昌澄、春日弾正忠勝賀
 父は豪農か。16歳で甲斐・武田信玄の近習となる。寵童であったという。やがて抜擢され重臣にまでなった。北方の備を任され、信濃・小諸城さらには海津城を預かる。1561年川中島合戦の戦功で、北信濃の名族香坂氏の名跡を継いだ。用兵に優れ、不利な戦は決してしないその慎重さから“逃げ弾正”と呼ばれる。三方ヶ原の戦いでは敗走する三河・徳川勢追撃を進言する諸将の中、一人その無益を説いて止めた。長篠の合戦時は北信濃を固めていた。52歳で病死。武田氏の史料「甲陽軍鑑」は昌信の記が元であるという。