三好元長

三好元長(みよし もとなが)
1501~1532
別:彦四郎 長基 海雲 弾正少弼 筑前守
父:三好之長? 養父:三好長秀?
子:三好長慶、三好勝長、三好義賢安宅冬康十河一存、野口冬長
 阿波・三好氏一族。三好之長末子にて長兄三好長秀の養子というが確証はない。1526年管領細川晴元を擁して阿波から挙兵し、細川高国足利義晴を近江に逐うと、足利義維を擁して、堺に“四條御所”と呼ばれる幕府を設立させた。さらに、摂津、山城守護代として京都を支配するが、1529年柳本賢治らと争い阿波に戻る。しかし、高国の反撃に遭った晴元に助けを求められ、堺に入り、摂津で高国を敗死させた。これにより堺に幕府を復帰させたが、今度は晴元と争うようになり、一族三好政長や一向一揆を味方につけた晴元に攻められ、堺にて敗れて自害。
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三好長秀━┳━三好一秀
     ┣━三好康長
     ┗━三好元長?(養子)━┳━三好長慶
                 ┣━三好勝長
                 ┣━三好義賢
                 ┣━安宅冬康
                 ┣━十河一存
                 ┗━野口冬長