三好長慶

三好長慶(みよし ながよし)
1523~1564 
○千熊丸 孫次郎 利長 範長 筑前守 修理大夫
◇父:三好元長 子:三好義興 養子:三好義継
 阿波・三好氏当主にて細川氏被官。父を細川晴元らの策謀で失うと、わずか10歳で家督を継ぐ。その後晴元の被官となるが、やがてこれと対立した。以後晴元との争いを繰り返し、晴元方の木沢長政、三好政康らを次々と滅ぼし、幾内や四国、中国の一部を一族らにより支配するまでに勢力を築いた。1561年には、晴元を摂津・普門寺に幽閉することに成功する。しかし、嫡男義興、弟義賢、一存らを次々と失ったことから落胆し、晩年は家臣松永久秀に実権を握られ、急速に衰退する。1564年久秀の讒言により、最後に残った弟冬康をも謀殺してしまい、失意のうちに河内・飯盛城で病死した。