人名
- 阿遅鋤高日子根神
- 性別:♂ 系譜:大国主命と奥津島比売神の子 神格:雷神、農業神 神社:都々古別神社、土佐神社、鳴無神社 鋤という文字からも連想されるとおり、阿遅鋤高日子根神は農業の神である。あの大国主命を父に持つという点から見ても、それは間違いあるまい。また、穀霊の天若日子神と非常に親しい友人であったという点も見逃せない。 天若日子神が死んだときに、わざわざ天上から地上に弔問に訪れるほどであったという。そのときに死者と間違われて非常に怒ったという話が残っている。その話は天若日子神を参照していただくとして、重要なのはこの2人が非常によく似ているという点だ。なにしろ実の父や妻でさえも見間違えるというのだから相当だ。 神話において、姿形の似ている神というのは、その神としての性質もよく似ていることが非常に多い。この2神の場合は、生者が死者と間違われるという点で、本質的な同一神であることを示す象徴性が感じられる。つまり、この2神はいずれも穀霊だということである。そこから、この話は一般に穀物の死と再生という農民の信仰がもとになったものと考えられている。また、この話の中で生者の立場をとる阿遅鋤高日子根神は、春に芽を出してすくすくと育つ生命力を象徴していると言えるだろう。 古代において、鋤という道具は、単なる道具である以上に田の神を祀るときの呪具としても用いられた。阿遅鋤高日子根神の字を見ても分かるとおり、もともとはこの鋤を御神体とする農業神として祀られたものであろう。さらに、「日本霊異記」の道場法師のエピソードに興味深いものがある。昔、農夫が畑で鋤柄の金杖を持って立っていると、突然雷雨が襲ってきて彼の前に落雷した。そのあとを見ると頭に蛇を巻き付けた奇妙な姿をした子供が立っていた。その子供は、後に元興寺の童子となり、出家して道場法師と名乗った。そして、元興寺の田が渇水に悩まされていたときに鋤柄の杖を水門の口におき、たちまち田に水を引き入れたという。 この話は、鋤が神霊の依り代と考えられていたことを如実に物語っており、この鋤に宿る神霊は雷神(=水の神)である。道場法師の出現とその霊力の発揮は、農耕を助ける鋤と雷神の霊力を結びつけたものといえる。このような文献が残っているくらいだから、鋤と雷の密接な関係は農民の間でもかなり一般的な信仰としてあったのだろう。 阿遅鋤高日子根神は本来は穀霊であるが、この穀霊がすくすくと成長するためには雷(水の神)との密接な結びつきは欠かせないものである。稲の無事な成長を願う農民は鋤と雷が通じ合うことを切実に願った。そういった信仰から、次第に阿遅鋤高日子根神は雷神を呼ぶ神、ひいては雷神と同様の霊力を発揮する農業神として信仰されるようになったのであろう。
- 味鋤高彦根神
- 農業神。武神。賀茂大神。
- 熱田大神
- 熱田大神,あつたのおおかみ,
- 天合尊
- ①父:なし 母:なし②第3世独天神 妻子供なし。 別名:天鏡尊?
- 天津彦根神
- 天津彦根神,あまつひこねのかみ,
- 天津日高日子番能邇邇芸命
- →邇邇芸命
- 天津彦彦火瓊瓊杵尊
- →邇邇芸命
- 天照大神
- 太陽神、高天原の主神、皇祖神、日本の総氏神、八百万の神々の中でもトップに位置する女神。伊耶那岐神が御祓をしたときに、光を表す左目から生まれたとされる三貴神の一柱。あらゆる生命にとって必要な太陽を象徴する神である。日本では古くから太陽を「日の神」として信仰し、天照大神ももともとはそうした太陽信仰から発展した神霊である。ただ、ほかの信仰と違い、古代日本人は太陽神そのものを信仰するほかに「日の神」に民族の祖神というイメージを重ねて祀った。そうした二重の性格を備えた神が天照大神である。天照大神についての神話としては、「天岩戸隠れ」が有名である。天照大神が岩戸に隠れたために、世の中は光を失い、悪霊が満ち、災いが起こる。このことは日照時間が減ることによる不作、あらゆる生命の衰弱、そのことによる飢饉、餓死、疫病などを指しているのだろう。さらに「太陽が隠れる」ことには、古代の人々は冬至の頃とイメージを重ねていたようだ。その時期には、人々は太陽の再生を願って神祭りを行った。これは太陽の”死と再生”の儀式でもあった。「天岩戸隠れ」には、こうした農耕儀礼が反映されている。このことから、天照大神は大地の豊穣性を体現する母なる女神ともいえる。一方、地上で乱暴狼藉を働いていた素盞鳴尊が高天原を訪ねてきたとき、「高天原の支配権を奪いにきたのでは」と警戒してすぐさま武装した。まず髪を角髪(みずら)という男性のものに結い直し、手や髪それぞれに五百もの勾玉を糸に通した飾りを巻き、さらに千本の矢が入る靭(ゆぎ)を背負い、五百本の矢が入る靭を腹に抱え、大変な強弓を手にした。そのように武装すると、四股を踏むように両足を大地にめり込ませ、素盞鳴尊を威嚇したのである。弓矢というのは、古来軍事力を象徴する道具であった。天照大神は、男性的な側面もある軍事を象徴する神でもあったといえるだろう。#html{{<STYLE TYPE="text/css"><!--body,tr,td,th { font-size: 9pt }a:hover { color: #000000 }a:visited { color: #000000 }a { color: #000000 }big { font-size: 12pt }small { font-size: 9pt }span { font-size: 8pt }--></STYLE>}}
- 天御中主神
- →天之御中主神 天御中主尊 天御中主命
- 阿麻毘舎卿
- ①父:大小橋 母:不明②子供:阿毘古 阿毘古との間に「音穂命」なる人物がいる系譜もあるが一般的でない。③21雄略天皇・19允恭天皇朝の人?
- 天石門別神
- 天石門別神,あめのいわとわけのかみ,,
- 天鈿女神
- 天鈿女神,あめのうずめのかみ
- 天宇受売神
- 巫女の元祖。道祖神。
- 天押雲
- ①父:天児屋根命 母:天万拷幡比売②子供:天種子命 別名:天押雲根命?
- 天忍穂耳神
- 邇邇芸命の父。
- 天香久山神
- 天香久山神,あめのかぐやまのかみ,
- 天児屋根命
- ③中臣連祖。大鳥連祖?④記紀神代記事・天照大神が天岩戸に隠れた時岩戸の前で祝詞を奏上して祭祀を行った。祝詞の祖神、言霊の神。・天孫降臨に際して、五伴緒(いつとものお)の一人として天下った。⑤枚岡神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。⑥記紀には出自は記されていない。上記出自系譜の基は先代旧事本紀などに記されているものを基にしたもので、尊卑分脈などは一般的に上記のようになっている。#style(class=box_blue_ssm){{}}天児屋根命(あめこやねのみこと)父・興台産霊 天照大神(あまてらすおおみかみ)も、うっとりと聞き惚(ほ)れて惚れて、ついに天の岩戸を開けてしまったという美声の持ち主。天下一品の祝詞(のりと)奏者天児屋根命(あめこやねのみこと)は、高天原(たかまがはら)で専(もっぱ)ら祭祀(さいし)をつかさどる興台産霊神(こことむすびのかみ)(天照大神の子)の子で、 天照大神の侍臣(じしん) として仕えていた。命名の由来はよくわからないらしい。 天美津玉照比売命(あまみつたまてるひめのみこと) を妻として、一子をもうけたが名は知られていない。神武天皇(じんむてんのう)の東征(とうせい)に加わって働いた天種子命(あめのたねこのみこと)は、この天児屋根命(あめこやねのみこと)の孫である。 天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩戸隠れをしたとき、八百萬(やおよろず)の神々が、天の安河原(あめのやすかわら)に集まって会議をした結果、それぞれの役割を決めた。天児屋根命(あめこやねのみこと)は、非常な美声の持ち主であったため、天の岩戸の前で祝詞(のりと)を奏する役を担当したのである。 後に天孫瓊杵尊(てんそんにぎのみこと)の降臨に従い、常に国政に参与して、国土経営に大きく貢献したが、主な任務は祭祀(さいし:神と人との中を取り持ち、仕える役)をつかさどることであった。後世の中臣氏(なかとみうじ:藤原氏の遠祖)の祖神でもある。
- 天児屋根神
- 天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣氏の祖神 (のち藤原氏)神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。***天児屋根命 [#eb965e78]市千魂命━━━興台産霊神━━━天児屋根命━━━天押雲命━━━天多祢伎命 (天種子命)***天児屋根命 [#uef663fd]天児屋命名称天児屋命(あめのこやねのみこと)、天児屋根命親興台産霊(こごとむすひ)子天押雲根命子孫中臣連神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。|居々登魂命|━|天児屋根命|━|天押雲命|天児屋根命──天押雲命──天種子命──宇佐津臣命──大御気津臣命──伊香津臣命─梨津臣命─┼神聞勝命──久志宇賀主命─┬国摩大鹿島命──巨狭山命──雷大臣命─├大小橋命伊達家----天児屋根神アメノコヤネノカミ別称:天児屋命、天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。----天児屋根命(あめのこやね)①父:興澄魂 母:許登能麻遅姫 異説:浅加姫②妻:天万拷幡比売(天背男命女)異説:武甕槌命女子供:天押雲命 別名:八意志兼命、天児屋命、天小屋根命、天之子八根命③中臣連祖。大鳥連祖?④記紀神代記事・天照大神が天岩戸に隠れた時岩戸の前で祝詞を奏上して祭祀を行った。祝詞の祖神、言霊の神。・天孫降臨に際して、五伴緒(いつとものお)の一人として天下った。⑤枚岡神社・春日大社・吉田神社、大原野神社などの祭神。⑥記紀には出自は記されていない。上記出自系譜の基は先代旧事本紀などに記されているものを基にしたもので、尊卑分脈などは一般的に上記のようになっている。***天児屋根神 [#ie2e6623]天児屋根神父:居々登魂命(こごとむすび)妻:天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)天児屋根神アメノコヤネノカミ別称:天児屋命、天之子八根命性別:♂系譜:天岩戸の前に集まった神々の一柱。興台産霊神(コゴトムスビノカミ)の子。中臣(のち藤原)氏の祖神神格:言霊の神、祝詞(ノリト)の祖神神社:牧岡神社、春日大社、大原野神社、吉田神社、蜂田神社、五社神社 神社の祭礼や地鎮祭などの儀式の時に、神主が唱えるのが祝詞である。神に対して、その力に感謝し、たたえる言葉を申し上げ、さらなる幸運の導きを願うのだ。ただ、祝詞というのは、本来、祭祀などさまざまな儀礼の場で、神人つまり神懸かり者が、神の意志を伝える呪力のあるものであった。これに対して祝詞の中に寿詞(ヨゴト)と呼ばれるものがあるが、こちらは神に対して、祈願が成就したことを感謝してその力をたたえるという意味が含まれている。後者の方が今日の祝詞の意味合いに近いようだ。いずれにせよ、祝詞というのは、人間が神とコミュニケーションする手段だといえよう。 その祝詞の祖神が天児屋根神である。由来としては、天岩戸事件の際の役割があげられる。詳しくは天岩戸隠れの項を参照していただきたい。とにかく、天岩戸の前で天児屋根神は太祝詞(フトノリト)を読み上げ、天照大神の心を大いに晴らしたということである。結局、天鈿女神の神楽などが功を奏して目的は達成された。ここで、祝詞を唱えるということは、祭を執り行ったということになる。そうすると、天児屋根神には神を奉祀するという役割がその本来の性格に備わっているといえるわけである。 天岩戸の話は、言霊(コトダマ)信仰のルーツとも言われている。天児屋根神が天岩戸の前で唱えた祝詞の力は、言霊の持つ呪力に通じると考えられているのだ。言霊とは、言葉が神秘的な力と働きを持っているという考え方に基づき、その働きを司る神霊を指す呼び名である。言葉は人の心を動かし、いろいろな現象となって表れる。だから、言葉そのものには吉凶をもたらす神秘的な霊力がある、と考えるのが言霊信仰である。祝詞や寿詞は、その言葉によって吉をもたらし、凶を避ける行事ということになる。 言葉を駆使するものは、天地も動かすことができると言ったら大げさだが、要するに言葉をしゃべると、その言霊の魔力によって物事が支配され、吉凶の結果が生じるということである。話術の巧みな人の演説などを聞いていて、その人が会場全体を支配している感覚にとらわれたことがないだろうか。こういったときには、理屈でなく感覚的に言霊の霊力を感じることができよう。今日ゲームにまで登場する魔法や、ヨーロッパの黒魔術の呪文、仏教のお経も、この言霊に働きかけて森羅万象を変化させるための言葉といえるだろう。 天児屋根神が祝詞の祖神とされることは、この神が中臣氏の祖先神であることと深く関係している。「中臣」とは、神と人との間を取り持つという意味で、この一族は宮廷の神事を統括していた。それだけに政治的にも強大な力を持ち、しばしば一族の女性を天皇の后にしている。それほどの一族だけに、その氏族の伝承が記紀神話の中に多く入り込んでいる。そのひとつが祖先神の天児屋根神というわけである。 祭政一致の古代においては、祭祀の権限を持つことが、すなわち権力を握ることであった。宮廷の神事で中臣氏がもっていた役職は、禊(ミソギ)と祓(ハラエ)を行うことだったようだ。その禊祓(ミソギハラエ(関連は禊祓へ))の祭儀を行うときには、神に捧げる言葉つまり祝詞を唱えたわけである。そういう役割からしても、神話の中での天児屋根神の活動は、ほとんど中臣氏の役職と一致しているということだ。概要神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。信仰中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。祝詞の神、出世の神ともされる。中臣神社(京都市山科区)、枚岡神社(大阪府東大阪市)、春日大社(奈良県奈良市)、吉田神社(京都市左京区)などに祀られている。また、全国の大鳥神社に祀られる「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」は天児屋命と同神とされることがある。伊達家
- 天児屋命
- →天児屋根神
- 天手力男神
- 力の強い神。天岩戸の前に集まった神々の一柱。天照大神をこの世に戻した。 天手力男神は、天岩戸隠れのときに天岩戸の扉を開けて天照大神を引き出す役目で活躍した神として知られる。名前の通りに手の力(腕力)の象徴、つまり人間の筋力に宿る霊を神格化した神である。 強力な肉体的なパワーを所有したいという欲求は、人間の永遠に持ち続ける夢といえよう。それを擬似的な空想の世界で実現しているのがスーパーマンやアニメのキャラクターといったものだ。天手力男神の姿には、そうした人間の肉体的なパワーへのあこがれが反映されているといっていいだろう。神話では、怪力ばかりが強烈にイメージされるが、この神は一般にスポーツの守護神としても信仰を集めている。筋力を鍛え、それを生かす技術を含めたパワーを与えてくれる霊力を備えた神さまでもある。 この剛力のイメージを持つ神の姿というのは昔から庶民には人気があったようで、それをうかがわせるのが日本の各地に伝わる神楽である。たとえば、全国的にもよく知られている宮崎県高千穂町の夜神楽があるが、そのなかに天手力男神が主役となって舞われる「戸取舞(トトリノマイ)」というのがある。この神がその怪力で岩戸を投げ飛ばしたという伝承に基づいたもので、力感的で勇壮な舞は夜神楽のなかでも特に人気を博している。そのほか、里神楽のなかの「岩戸神楽」と呼ばれるものも、天手力男神が主役の「岩戸開き」の場面に重きを置いて演じられる神楽のひとつである。 日本の昔話や民俗伝承には、しばしば怪力を誇る怪異なキャラクターが登場する。要するに妖怪の類に近い存在なのだが、多くは人々に親しまれている。国技の相撲に象徴されるように、日本人は剛力のイメージに対して独特な嗜好があるように思える。そういう感覚があるから、神楽などでも天手力男神の力強い踊りが人気になるともいえよう。
- 天種子
- ①父:天押雲 母:不明②子供:宇佐津臣 別名:天多彌伎命 妻:宇佐津姫(宇佐津彦女又は妹)③神武東征に従う。この時筑紫国宇佐にいたり、菟狭津媛を妻に賜った。(紀)参考「菟狭津彦」菟狭(豊後国宇佐郡)国造祖。神武東征時菟狭津媛とともに饗を奉った。高魂尊の孫(国造本紀)
- 天之常立神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、八百万神に先駆け、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の 造化三神の次に宇摩志阿斯訶備比古遅神が生まれ、次に生まれた天之常立神を加えて、別天神という。『日本書紀』の一書では、天地が分かれた時、葦の芽のように空の中に最初に生まれた神とある。天地の軸のような神で、『先代旧事本紀』では天之御中主神と同神とある。
- 天饒石国饒石天津日高日子火瓊瓊杵命
- →邇邇芸命
- 天羽槌雄神
- 天日槍神
- 天太玉神
- 天火明神
- 天穂日神
- 出雲族・武蔵族などの祖神。農業神、稲穂の神 天穂日神が生まれたのは、天照大神と素盞鳴尊が誓約をしたときである。順番でいうと天忍穂耳神に次ぐ2番目である。神名のホは「秀」に、ヒは「火」にも通じ、生命力が火のように燃えさかる他より秀でた稲穂ということになる。 国譲りの際に登場する天穂日神は、天照大神の命で地上の統治者大国主命のもとに交渉役として遣わされる。ところが、彼を説得するどころか逆に大国主命に心服して地上に住み着き、3年経っても高天原にはなんの連絡もしなかった。こうした話からすると、天穂日神はよく言えばけっこう柔軟な感覚の持ち主とも言えようが、やっぱり意志が弱く、だから役目をサボることになった不忠者というイメージが強い。まあ、どうとらえるかは読者の感覚や学生時代の過ごし方によっても左右されるところであろう。とまあ、これが「古事記」に記されている姿である。 ところが、これとは逆のイメージを伝えるものもある。天穂日神を祖神とする出雲氏に関係する「出雲国造神賀詞(イズモノクニノミヤツコノカムヨゴト)」に、やはりこの神が天照大神から地上の悪心を鎮めることを命じられたことが記されている。このとき天穂日神は、自分の息子の天夷鳥神と剣神経津主神を派遣し、見事に地上の乱れを平定したというのである。こちらでは、決していい加減な性格ではなく、天孫降臨に先立って地上の地ならしをし、露払いの役目を果たした偉大な神であることが強調されている。 天穂日神を祖神とする出雲一族は、出雲東部の意宇群を支配する豪族である。一般に各地の豪族の祖神とされる神は、その各地の国土開発、産業振興の神としての性格を持ち、さらに人々の生活全般の守護神として信仰されていることが多い。この神もそうしたことから考えれば、偉大な業績を成し遂げた神としてのイメージの方が本来の姿に近いといっていいだろう。実際、農業をはじめ養蚕、絹糸、木綿の神として産業開発の面でその霊力を大いに発揮している。
- 天目一箇神?
- 天之御影神?
- 天三下尊
- ①父:なし 母:なし②第2世独天神 妻子供なし。別名:天三降尊?
- 天之御中主神
- 『至高の根源』を司る神「古事記」には造化三神として天御中主神が最初に現れ、その後高御産巣日神、神産巣日神が現れすぐに姿を隠したとある。すべて性別の無い独り神である。江戸時代の国学者平田篤胤は『霊之御柱』において、この世界の姿が確定する天孫降臨以前の万物の創造を天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の造化三神によるものとした。この三神は復古神道においては究極神とされ、なかでも天御中主神は最高位に位置づけられている。----古事記-------------------天之御中主神古語拾遺-----------------天御中主神日本書紀・先代旧事本紀----天御中主尊伊勢国風土記逸文・住吉大社神代記--天御中主尊新撰姓氏録・続日本紀----天御中主命----造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱で、別天神(コトアマツカミ)五神の第一神神格:宇宙の根源神 天之御中主神は天地開闢(カイビャク)神話で宇宙に一番最初に出現し、高天原の主宰神となった神である。 その名が示すとおり宇宙の真ん中に在って支配する神で、日本神話の神々の筆頭に位置づけられている。 そういう偉い神なのだが、その姿はほとんど神秘のベールに包まれているといっていい。 なぜなら、宇宙の始まりに現れたものの、たちまちのうちに「身を隠す」からである。 顔も姿も現さなければ、語ることもなく、人間に分かるような形での活動は一切しない。 本来が「その姿を知らしめない」という日本の神さまの典型ともいえる。 仏像のような偶像の具体的なイメージに慣れた今日的感覚からすればなんとも歯がゆい感じもするが、日本の神霊とはそういうものなのである。 そんなふうに人間界と隔絶した感じのする神さまであるが、だから何もしなかったというわけではない。 要はその活動が人間には分からないだけで、天之御中主神は、その後に登場してくる多くの神々による一切の創造的な作業を司令することがその役割だったといえる。 つまり、果てしない創造力と全知全能の力を持つ至上神なのである。 以上のように宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という考え方から、天之御中主神は神社信仰や神道をきちっとした体系としてとらえようとする、いろいろな神道説のなかでも中心的な神として位置づけられたりしている。 たとえば、伊勢神宮外宮の神官の度会(ワタライ)氏が創始した神道説に基づく度会神道や、朝廷の神祇官を務めた卜部家の子孫、吉田兼倶(カネトモ)が大成した神道説に基づく吉田神道などがそうである。 また、江戸時代の国学者によって提唱された復古神道(仏教や儒教の影響を排除した古代からの純粋神道を唱える神道説)などでも中心的な神格とされている。 天之御中主神が一般に馴染みのある姿を現しているのが「妙見さん」である。 神話では「古事記」の冒頭と「日本書紀」の一書第四にしかこの神の名は登場しない。 それだけでなく、平安時代初期の全国4132の主な神社が載っている「延喜式」の神名帳などにも、この神を祀る神社が見あたらない。 そんなふうに、中世までは庶民の信仰に顔を出さなかった天之御中主神であるが、近世になると仏教系の妙見信仰と深い関係を持つようになる。 そもそもこの神の「天の中心の至高神」という性格は、中国の道教の影響による天一星信仰、北斗信仰、北極星信仰などがベースになって成立したものと考えられている。 そこから、室町時代以降、日蓮宗において盛んに信仰されるようになった妙見信仰と習合したのである。 妙見信仰は北斗妙見信仰ともいい、北極星や北斗七星を崇めるもので、俗に「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩は北極星の神格化されたものである。 天のはるか高みに隠れていた天之御中主神は、妙見菩薩と同一視されるようになったことによって、庶民の信仰レベルに降りてきたわけである。
- 天御中主尊
- →天之御中主神 天御中主神 天御中主命
- 天御中主命
- →天之御中主神 天御中主神 天御中主尊
- 天御柱神?
- 天八百日尊
- ①父:なし 母:なし②第4世独天神
- 天八下尊
- ①父:なし 母:なし②第1世独天神 妻子供なし。先代旧事本紀
- 天八十万魂
- ①父:なし 母:なし②第5世独天神 別名:百日萬魂?
- 天若日子
- アマノジャクのルーツ?。
- 天若日子神?
- 阿夜訶志古泥神
- 地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第六の神。 淤母陀流神と阿夜訶志古泥神は、男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 土 尊・沙土 尊、大戸之道尊・大苫辺尊に続いた神世七代の第六代の神。神から人への橋渡しとして、人体の完成を表わす神とする説、 整った容貌に対する畏怖を示すとする説、 神の言葉の神格化とする説、 あるいは、防塞守護の神とする説などいろいろ。一般には青橿城根尊は阿夜訶志古泥神の別名だが、 『先代旧事本紀』では、青橿城根尊の別名は面足尊、沫蕩尊とあり、淤母陀流神としている。『日本書紀』の一書では、青橿城根尊が伊弉諾尊・伊弉冉尊の親と書かれている。また、他の一書では、国常立尊の子が天鏡尊、天鏡尊の子が天万尊、天万尊の子が沫蕩尊、沫蕩尊の子が伊弉諾尊と書かれている。記紀ともに神世七代の第六の神であることから、 仏教(修験道)で信奉される天界最高位である第六の魔王・第六天に擬せられ、本地垂迹に説かれる場合がある。
- 淡島明神
- 婦人病に霊験あらたか。
- 雷大臣
- ①父:臣狭山 母:不明②子供:大小橋 ・真根子(壱岐卜部氏・津島氏)・日本大臣(栗原連祖)・弟子 別名:跨耳命・烏賊津使主 妻:百済女性? 武内宿禰妹?③卜部姓始祖?亀卜に優れ卜部姓を授けられたとも言われている。④記紀記事:14仲哀天皇・神功皇后時代四大夫(大三輪氏・物部氏・大伴氏)の一人となる。神功皇后の審神者。⑤中臣烏賊津使主は、紀記事に19允恭天皇舎人として、衣通郎媛の話に登場。これとは同名異人か?(時代は合わない)・真根子ー御見足尼ー太田彦ー酒人ー神奴子ー卜部忍見ーーー壱岐系卜部氏松尾大社社家(月読社)乙等。
- 伊香津臣
- 母:不明近江風土記に記事あり。中臣氏は物部伊香色雄の娘婿となり伊香の地を得たとの説あり。
- 伊香津臣命
- #style(class=box_blue_ssm){{}}伊香津臣命。中臣連の祖で、伊香郡の有力豪族・伊香連の祖でもあります。伊香津臣命は、『帝王編年記』養老七年癸亥条にみえる羽衣伝説に登場する与胡郷の人、伊香刀美に同一視されます。伊香刀美は、天女との間に二男二女をもうけたといい、そのなかに意美志留(おみしる)と那志登美(なしとみ)がみえます。前者は『姓氏録』左京神別上にある中臣氏族伊香連の祖、臣知人命(おみしるひとのみこと)、後者は『尊卑分脈』藤原系図にある中臣連の祖、梨迹臣命(なしとみのみこと)と同一視され、伊香氏は中臣氏と兄弟氏族にあたるという伝承を持っていたようです。境内社に、臣知人命を祭神とする、三の宮神社があります。縁結びの神として信仰されているそうです。伊香氏については、物部氏の祖の伊香色雄命に名称が類似する点や、伊香郡内に物部の地名が残る点などから、物部氏との近縁性を指摘する説があります。吉田東伍氏は、伊香の地名を河内国茨田郡伊香郷に由来する、物部氏の勢力扶植の結果と見ました。また、太田亮氏も本来は物部氏の同族だったものが、中臣氏へ変化したものとしています。現在でも、大橋信弥氏が、「もともと物部連氏の配下として、物部氏と結託関係を結んでいた伊香連氏は、物部氏本宗の没落後、他の同族とともに、中臣氏への接近をはかり、中臣氏の政治的地位の上昇にともなって、ついに物部氏との関係を断って、中臣氏同祖系譜に組み込まれることになった」とされています。『三代実録』の貞観元年正月二十七日条には、近江国の従五位上勲八等伊香神に従四位下が授けられ、同八年閏三月七日条には従四位上に神階が昇ったことがみえます。神宮寺はもと法相宗と伝えますが、その後、真言宗に転宗したと伝えます。明治八年に廃寺になりました。境内の藤の老木や独鈷水には、弘法大師に付会される伝説があるようです。#style(class=box_blue_ssm){{}}■系譜天児屋根命の14世孫、または5世孫とされています(伊香具神社の社伝は7世孫)。御子神は4柱。臣知人命(オミシルヒトノミコト)、梨迹臣命(ナシトミノミコト)、伊世理命(イゼリノミコト)、伊勢理媛(イゼリヒメ)、奈是理媛(ナゼリヒメ)。臣知人は伊香姓を賜った伊香氏の祖神とされています。伊香具神社はこの後裔が社家を務めています。また梨迹臣命は邪馬台国の卑弥呼が魏に遣わした「難升米(ナシメ)」ではないかとする説も(田道間守など説は多数)。この後裔が中臣氏となりました。さらに伊世理命は畝尾連(ウネビノムラジ)の祖神とされています。大和国十市郡に畝尾坐都多本神社が鎮座しており、関連が考えられます。こちらは「木ノ本(現在は木之本町)」で、伊香具神社は「木之本」。さらにこちらは天香山の麓に鎮座、伊香具神社も背後に香久山を控え旧社地は中腹であったとも。イカツオミ神が大和国十市郡から近江国伊香郡へ拠点を移したのではないでしょうか。***中臣氏の祖、伊香津臣命(いかつおみ)には、臣知人命(おみしるひとのみこと・意美志留)、梨迹臣(なしとみ・那志等美)、伊世理命(いぜりのみこと)、伊是理媛(いぜりひめ)、奈是理媛(なぜりひめ)、という五人の子がある。 景初二年、最初の遣使になったのが、次男の梨迹臣である。この後裔が中臣氏、鹿嶋氏などを輩出する。また正始四年(243年)、三度目の遣使が、末の弟の伊世理命である。伊世理命は畝尾連(うねびむらじ)の祖とされる。姓氏録和泉国神別は畝尾連を天児屋根の後とする。中臣氏や鹿嶋氏系譜の上でも、伊世理命の父、伊香津臣は天児屋根の五世孫であり、系譜との矛盾はない。そして畝尾と関連すると思われる場所がある。奈良県橿原市木ノ本に畝尾都多本神社(うねびつたもとじんじゃ)という、延喜式にその名を見る古社がある。『古事記』上巻国生みの神話の中で『香山の畝尾の木ノ本に坐して』とされる神社である。神社の場所は畝尾の木ノ本である。滋賀県の木之本と同じ地名である。おそらくこちらが元の名であろう。したがって伊香津臣は、元々はこの橿原の木ノ本に住んでいたと思われる。伊香津臣が移り住んだ、滋賀県の木之本は、伊香津臣の出身地、畝尾(うねび)の木ノ本に由来するとのであろう。 この氏族の祖にあたる、天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日向から神武に付き従った数少ない、大和王権成立以前からの臣下である。大和王権の成立とともに、王権のお膝元、橿原の地に居を構えた可能性を推測する。長男の臣知人は木之本に住み、後に伊香具氏となる。二世代後の古加斐命(こかひのみこと)は崇神朝に伊香具神社を祭るとされる。
- 活杙神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第四の神。 角杙神と活杙神は、男女の神。『日本書紀』では、神世七代には含まれていない。杙は棒状の杭で、境界を表わす神。
- 生島神?
- 伊耶那岐神
- 性別:♂系譜:高天原の神、神世七代の最後の二神。初めての夫婦神である 神格:人類の起源神、結婚の神 / 創造神、万物を生み出す女神 神社:多賀神社、伊弉諾神社、伊佐須美神社、筑波山神社、三峰神社、愛宕神社、玉置神社、英彦山神宮、江田神社、花窟(ハナノイワヤ)神社、闘鶏神社、波上宮 伊耶那岐神、伊耶那美神は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる国生みや、地上の営みを司る多くの神々を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。特に、男女が結婚して子を産むという、我々の生活にそのまま当てはまる活動をしているという点で、宇宙を創造した天之御中主神をはじめとする他の根源神たちと比べて一番親しみやすい神さまであろう。 この二神は、いってみれば日本の国の祖神といえるわけで、しかも、我々の生活に関わる神々の創造主であることから、一般的に縁結び、子宝、子育て、夫婦円満といったことに始まって、諸々の神徳を発揮する万能の神でもあるとして崇敬されている。ただ、この神がもともとはどういう神であったかということになると、よく分からないことが多い。一般によく言われているのは、古くから各地にその地域社会で信仰されていた土着的な創造神や始祖神がいた。そうした名もない土着神の伝承が、ひとつの神話に整理統合されたのではないかということだ。 その意味では、伊耶那岐神、伊耶那美神に関する神話の内容を大陸や東南アジアの神話とつきあわせてその共通性を求めるといった作業をしていくと、日本民族のルーツの問題にもあたる。それについてはまたいつか述べるとして、ここでは我々の身近な神社に祀られている伊耶那岐神、伊耶那美神について見ていこう。 神話では、伊耶那岐神は三貴神(天照大神、月読神、素盞鳴尊)の父神とされており、高天原の最高神天照大神の祖神に当たるわけである。まず、伊耶那岐神に関して我々がふだんの生活のなかで身近に接することといえば、やはり神社に参拝したときに受けたりする禊祓の儀式である。わざわざ神主からお祓いを受けるまでもなく、拝殿の前にある手水舎(チョウズシャ)で何気なく柄杓に水を汲んで手に注いだりする。これも心身を浄める意味があり、もともとは伊耶那岐神が御祓をしたことにちなむもので、神主が神祭りを行う場合に、精進潔斎して俗世界の汚れを祓い落として豊作などの祈願をおこなう禊祓の儀式を簡略化したものである。神徳がどうのこうの言う以前に、こうした信仰の習慣として我々は伊邪那岐命に触れているというわけである。 伊耶那岐神がおこなった御祓については、別項「禊祓」を参照していただきたい。日本人は古くから穢れ(不浄)というものを特別に意識し、嫌っていたようである。それはなぜかというと、神はそもそも清浄であり、人間は神の「分霊(ワケミタマ=神と同じ自然の一部)」なのだから、その本質は清浄であるべきだと古代の人々は考えたからだ。伊耶那岐神が黄泉の国の穢れを祓い落とす場面などは、生命を尊び、死を嫌うという観念の現れのようである。そこから発展して、人間の罪や悪行、病気やけがなど、正常で平穏な生活に災いをなすいっさいのことは、穢れによるものと考えるようになった。 つまり、たとえば病気でも、その原因は病を起こさせる穢れであって、これを祓い落とすことで病気を治すことができると考えたわけである。禊祓というのは、神に近づきコンタクトする手段であり、それによって神の霊力を受けやすくするということである。 禊祓というものは我々の生活のなかに知らず知らずのうちに入り込んでいる。たとえば盛り塩は、禊祓の方法として古くは海水が使われたことから来たものだし、相撲の力士がまく塩もこれの延長である。他に、人形に罪穢れを託して川に流す流し雛や、旧年中の厄を祓って身を清めるという豆まきの行事も、禊祓の儀式の一種なのである。 一方、伊耶那美神については、多くの大地を生み出したとされることから大地と深く関係した存在と考えられている。伊耶那岐神の天父神的性格に対して大地母神的な性格を持っているといえる。これは、人間が豊穣を願う心を反映しているといえる。 また、禊祓の項で述べたが、伊耶那美神には黄泉の国の神としての顔もある。神でありながらも神で冥府、死の世界の代表者として祀られたりもするわけで、伊耶那岐神がこの世の代表とすると、伊耶那美神はあの世の代表というわけである。黄泉平坂での言い争いにも「わたしは地上の人間を一日に1000人殺す。」「それならばわしは一日に1500の産屋を建てる。」とあるように、伊耶那美神は人間の寿命を司る神でもある。 考えようによっては非常に恐ろしい神だが、やはり多くの神々を生みだした母神的な性格の方が目立つ。伊耶那美神が生みだしたさまざまな神霊がこの世界を限りなく豊かにしてくれているのだ。たとえば、日本の四季折々の変化なども、いってみれば伊耶那美神の営為があったからである。つまり、この神は我々の住むこの世界のよりよい環境や心の豊かさを守ってくれるというのが本来の顔であり、むしろ死の神としての顔の方が一面にすぎないといえるだろう。----伊耶那岐神 生没年: 父: 妻:伊耶那美神 大綿津見神 大山津見神 迦具土神 三貴子: 天照大神 月読命 建速須佐之男命----
- 伊邪那岐神
- →伊耶那岐神日本の祖父神。
- 伊弉諾神
- →伊耶那岐神日本の祖父神。
- 伊邪那岐命
- 伊耶那美神
- 性別:♀ 系譜:高天原の神、神世七代の最後の二神。初めての夫婦神である 神格:人類の起源神、結婚の神 / 創造神、万物を生み出す女神 神社:多賀神社、伊弉諾神社、伊佐須美神社、筑波山神社、三峰神社、愛宕神社、玉置神社、英彦山神宮、江田神社、花窟(ハナノイワヤ)神社、闘鶏神社、波上宮 伊耶那岐神、伊耶那美神は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。そこから、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる国生みや、地上の営みを司る多くの神々を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされている。特に、男女が結婚して子を産むという、我々の生活にそのまま当てはまる活動をしているという点で、宇宙を創造した天之御中主神をはじめとする他の根源神たちと比べて一番親しみやすい神さまであろう。 この二神は、いってみれば日本の国の祖神といえるわけで、しかも、我々の生活に関わる神々の創造主であることから、一般的に縁結び、子宝、子育て、夫婦円満といったことに始まって、諸々の神徳を発揮する万能の神でもあるとして崇敬されている。ただ、この神がもともとはどういう神であったかということになると、よく分からないことが多い。一般によく言われているのは、古くから各地にその地域社会で信仰されていた土着的な創造神や始祖神がいた。そうした名もない土着神の伝承が、ひとつの神話に整理統合されたのではないかということだ。 その意味では、伊耶那岐神、伊耶那美神に関する神話の内容を大陸や東南アジアの神話とつきあわせてその共通性を求めるといった作業をしていくと、日本民族のルーツの問題にもあたる。それについてはまたいつか述べるとして、ここでは我々の身近な神社に祀られている伊耶那岐神、伊耶那美神について見ていこう。 神話では、伊耶那岐神は三貴神(天照大神、月読神、素盞鳴尊)の父神とされており、高天原の最高神天照大神の祖神に当たるわけである。まず、伊耶那岐神に関して我々がふだんの生活のなかで身近に接することといえば、やはり神社に参拝したときに受けたりする禊祓の儀式である。わざわざ神主からお祓いを受けるまでもなく、拝殿の前にある手水舎(チョウズシャ)で何気なく柄杓に水を汲んで手に注いだりする。これも心身を浄める意味があり、もともとは伊耶那岐神が御祓をしたことにちなむもので、神主が神祭りを行う場合に、精進潔斎して俗世界の汚れを祓い落として豊作などの祈願をおこなう禊祓の儀式を簡略化したものである。神徳がどうのこうの言う以前に、こうした信仰の習慣として我々は伊邪那岐命に触れているというわけである。 伊耶那岐神がおこなった御祓については、別項「禊祓」を参照していただきたい。日本人は古くから穢れ(不浄)というものを特別に意識し、嫌っていたようである。それはなぜかというと、神はそもそも清浄であり、人間は神の「分霊(ワケミタマ=神と同じ自然の一部)」なのだから、その本質は清浄であるべきだと古代の人々は考えたからだ。伊耶那岐神が黄泉の国の穢れを祓い落とす場面などは、生命を尊び、死を嫌うという観念の現れのようである。そこから発展して、人間の罪や悪行、病気やけがなど、正常で平穏な生活に災いをなすいっさいのことは、穢れによるものと考えるようになった。 つまり、たとえば病気でも、その原因は病を起こさせる穢れであって、これを祓い落とすことで病気を治すことができると考えたわけである。禊祓というのは、神に近づきコンタクトする手段であり、それによって神の霊力を受けやすくするということである。 禊祓というものは我々の生活のなかに知らず知らずのうちに入り込んでいる。たとえば盛り塩は、禊祓の方法として古くは海水が使われたことから来たものだし、相撲の力士がまく塩もこれの延長である。他に、人形に罪穢れを託して川に流す流し雛や、旧年中の厄を祓って身を清めるという豆まきの行事も、禊祓の儀式の一種なのである。 一方、伊耶那美神については、多くの大地を生み出したとされることから大地と深く関係した存在と考えられている。伊耶那岐神の天父神的性格に対して大地母神的な性格を持っているといえる。これは、人間が豊穣を願う心を反映しているといえる。 また、禊祓の項で述べたが、伊耶那美神には黄泉の国の神としての顔もある。神でありながらも神で冥府、死の世界の代表者として祀られたりもするわけで、伊耶那岐神がこの世の代表とすると、伊耶那美神はあの世の代表というわけである。黄泉平坂での言い争いにも「わたしは地上の人間を一日に1000人殺す。」「それならばわしは一日に1500の産屋を建てる。」とあるように、伊耶那美神は人間の寿命を司る神でもある。 考えようによっては非常に恐ろしい神だが、やはり多くの神々を生みだした母神的な性格の方が目立つ。伊耶那美神が生みだしたさまざまな神霊がこの世界を限りなく豊かにしてくれているのだ。たとえば、日本の四季折々の変化なども、いってみれば伊耶那美神の営為があったからである。つまり、この神は我々の住むこの世界のよりよい環境や心の豊かさを守ってくれるというのが本来の顔であり、むしろ死の神としての顔の方が一面にすぎないといえるだろう。----伊耶那岐神 生没年: 父: 妻:伊耶那美神 大綿津見神 大山津見神 迦具土神 三貴子: 天照大神 月読命 建速須佐之男命----
- 伊邪那美神
- →伊耶那美神日本の祖母神。
- 伊弉冉神
- →伊耶那美神日本の祖母神。
- 伊邪那美命
- →伊耶那美神日本の祖母神。
- 石凝姥神?
- 五十鈴姫神
- 事代主神の娘。神武天皇の后。
- 伊世理命?
- 伊是理媛?
- 五十猛神?
- 市杵嶋姫神
- 水の神様。弁天様と習合。
- 市千魂
- ①父:津速産霊 母:不明②子供:興澄魂③八坂神社祭神。
- 石土毘古神?
- 宇迦之御魂神
- 稲荷神社の御祭神。
- 鵜葺草葺不合神?
- 鵜葺屋葺不合命
- 神武天皇の父。
- 保食神
- 食べ物の神。
- 宇佐津臣
- ①父:天種子 母:宇佐津姫②子供:大御気津臣
- 宇比地邇神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神と須比智邇神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。大地を鎮める盛り土の神とする説もある。泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。
- 海幸彦
- 邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
- 蛤貝姫
- 薬の神様。
- 恵奈武耳命?
- 夷?
- 恵比寿?
- 恵美須?
- 蛭子?
- 恵比寿神
- 商売繁盛と漁業の神。
- 愛比売?
- 兄媛?
- 応神天皇?
- 大国主神
- 国土開発の国。出雲の主宰神。
- 大国主命
- 大気津姫神
- 食べ物の神。
- 大小橋
- ①父:雷大臣 母:不明②子供:阿麻毘舎卿③16仁徳天皇朝の人?
- 大年神
- 年を司る神。
- 意富斗能地神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第五の神。 意富斗能地神と大斗乃弁神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 土 尊・沙土 尊に続いた神世七代の第五代の神。意富斗、大斗は「大所」。大地が凝固した時を神格化した神。
- 大斗乃弁神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第五の神。 意富斗能地神と大斗乃弁神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 土 尊・沙土 尊に続いた神世七代の第五代の神。意富斗、大斗は「大所」。大地が凝固した時を神格化した神。
- 大禍津日神?
- 大宮能売神?
- 大物主神
- 三輪山の神。大国主神の奇魂幸魂。
- 大屋都姫神?
- 大山咋神
- 日吉神社・松尾大社の御祭神。
- 大山祗神?
- 日本全国の山の総管理者。
- 奥津日子神?
- 奥津比売神?
- 忍見?
- ①父:神奴子 母:紀大磐女②子供:太富③23顕宗天皇3年(487年)紀大磐が三韓経営失敗。この後忍見命は、壱岐島から山背国葛野郡歌荒田(京都嵐山付近)に移り住んだ。この時壱岐氏の神である月読神を壱岐島から勧請して祀ったとされている。(紀)これが京卜部氏の祖。初めは壱岐氏後に松室氏を名乗った。④この時期が秦氏渡来の時期と一致しており、月読神・壱岐氏・秦氏・松尾神社が関連づけて解釈するべきとの説あり。
- 御年神?
- 臣知人命
- 意美志留
- 臣狭山
- ①父:国摩大鹿島 母:不明②子供:雷大臣・天見通(荒木田氏) 別名:意美佐夜麻③常陸風土記④12景行天皇朝常陸国人。⑤中臣高良比連祖。中臣酒人宿禰祖。 ・天見通ー天布多由岐ー伊己呂比ー大阿礼ー波己利ー荒木田最上ーーー伊勢神宮内宮禰宜家。この一族からは、公卿、国司も輩出された。「天見通」は、垂仁朝倭姫の時に大神宮禰宜に任じられた。これ以降禰宜職を世襲。(続紀)俳諧師祖「荒木田守武」国学者「荒木田久老」もこの流れから出た。
- 思兼神
- 於母陀流神?
- 地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第六の神。 淤母陀流神と阿夜訶志古泥神は、男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊、 土 尊・沙土 尊、大戸之道尊・大苫辺尊に続いた神世七代の第六代の神。神から人への橋渡しとして、人体の完成を表わす神とする説、 整った容貌に対する畏怖を示すとする説、 神の言葉の神格化とする説、 あるいは、防塞守護の神とする説などいろいろ。一般には青橿城根尊は阿夜訶志古泥神の別名だが、 『先代旧事本紀』では、青橿城根尊の別名は面足尊、沫蕩尊とあり、淤母陀流神としている。『日本書紀』の一書では、青橿城根尊が伊弉諾尊・伊弉冉尊の親と書かれている。また、他の一書では、国常立尊の子が天鏡尊、天鏡尊の子が天万尊、天万尊の子が沫蕩尊、沫蕩尊の子が伊弉諾尊と書かれている。記紀ともに神世七代の第六の神であることから、 仏教(修験道)で信奉される天界最高位である第六の魔王・第六天に擬せられ、本地垂迹に説かれる場合がある。
- 柿本人麿?
- 迦具土神?
- 河童
- 農作業を手伝ったりもしてくれるイタヅラ好きな者。
- 金屋子神?
- 金山彦神?
- 金山姫神?
- 竃神
- 各家庭の台所を守る神。
- 神産巣日神
- 出雲系の根本神。天之御中主神、高御産巣日神についで高天原に現れた神。造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱。子は少彦名神(記)神格:生成力の本源神、出雲の神々の祖神 神産巣日神は、高御産巣日神と同様に「産霊」の名を持ち、天地造化、万物生成の根本神という性格を持つことから、両神は本質的に同一神格とするのが定説になっている。また、一般的に高御産巣日神が男神的神格とされるのに対して、神産巣日神は女神的神格とされていて、それが個性の違いということになる。ただ、男女神といっても、この神と大国主命や少彦名神との関係に見られる活動の特徴から一応区別されているもので、通常の夫婦のような関係にはない。たとえば、夫婦神として知られる伊邪那岐命と伊邪那美命は、共同作業によって多くの神々を生みだしているが、神産巣日神と高御産巣日神の間ではそのようなことはない。そもそも両神とも独身神(ヒトリガミ)といわれているのである。 神産巣日神と高御産巣日神の男女の区別は、一種の役割分担と考えた方がわかりやすい。本来、この二神は天之御中主神を三角形の頂点とする造化三神で、三神がワンセットになって、太初の混沌とした世界に天地を生みだし、万物を生成させる役割を果たしている。その中で、天の中央にいてもろもろの指令を発するのが天之御中主神で、それに従って実際に生成の作業を分担して行うのが、神産巣日神と高御産巣日神というわけである。そして、その一方を担う神産巣日神の役割というのは、母神(大地母神)の立場で、たとえば穀物を育てる力を大地に与えることなのである。 先に述べたように、神産巣日神は一般に大地母神的な性格の強い神とされている。そういう色彩を強くしている要因として、出雲地方での活動があげられる。たとえば、「出雲国風土記」では御祖命(ミオヤノミコト)と呼ばれ、出雲の神々の母なる神(祖神)として崇拝されている。一方の男性神格の高御産巣日神が、主に高天原を舞台に活動し、天孫降臨からその子孫の国土統一の守護心的な機能を発揮しているのに対して、神産巣日神は出雲地方と深く関わり、特に大国主命との関係はまるで母子関係のように密接である。 たとえば、大国主命が兄妹の八十神に謀殺されたとき、討火貝比売(キカガイヒメ)と蛤貝比売(ウムガイヒメ)を遣わして蘇生させる。これは、使者の霊魂を再生させ、新たな生命力を生み出す母の役割をイメージさせる。その後、自分の手指の間から穀物神の少彦名神を化生させて、大国主命のパートナーとすることによって、自らが命じた国造りの事業をサポートさせるというのも、我が子を気遣う母心を思わせる。 そうしたことから考えて、大国主命が少彦名神と共に行った国造りの大事業は、実は万物の生成を司る神産巣日神の力がバックボーンとなっているといえる。さらにその国造りの中心的な事業は、農耕に関する文化の普及である。それを指示し、援助するという働きは、神産巣日神の本来の産霊の機能に関わる農耕神的な性格から発したものなのだ。 もうひとつ、大国主命に関係することで、神産巣日神がやった大事なことがある。縁結びの信仰でおなじみの出雲大社の造営である。「出雲国風土記」には、神産巣日神が宮殿の造営を手がけ、自ら指示して出雲の神々を召集し、宮殿の建築を進めたとある。そのとき新宮殿のモデルにしたのが、自分の住んでいる天上の宮殿だったという。 記紀神話では、国譲りをして隠退する大国主命が住むための宮殿ということになっているが、「出雲国風土記」には国譲りの話はなく、大国主命が隠退するようなこともない。つまり、神産巣日神が造営した宮殿(出雲大社)というのは、大事業を見事に成し遂げた息子に対する褒美として、有力者の母親が立派な家を建ててやったようなものである。 以上のように、神産巣日神は大国主命の国造りを支えた影の力であるといえる。したがって、神産巣日神は、国津神(土着神)の総元締めである大国主命を通じて、全国の数多の土地神を支配する偉大な力を持った神ということができる。
- 神皇産霊尊
- →神産巣日神
- 神産巣日御祖神
- →神産巣日神
- 神大市姫神
- 神聞勝
- ①父:梨津臣 母:不明②子供:久志宇賀主③常陸風土記に「10崇神天皇の時、鹿島に留まり祭祀に奉仕云々」の記事あり。鹿島中臣氏の祖となった。
- 神聞勝命
- (崇神期)大中臣。「常陸風土記」の中に「崇神天皇の時~略~神聞勝命はそのまま鹿島に止まり、祭祀に奉仕することとなる」との記述があります。前代の梨近臣命までは「近江風土記」に記述が多く、この後は「常陸風土記」に記述が多くなっています。中臣氏の先祖が近江から常陸に移住(配置換え?左遷された?)したって事を示しているのでしょうか?
- 賀茂建角身神
- 下鴨神社の御祭神。
- 賀茂玉依姫
- 下鴨神社の御祭神。
- 賀茂別雷神
- 上賀茂神社の御祭神。
- 蚶貝姫
- 薬の神様。佐太大神の母。
- 吉備津彦命?
- 菊理媛神
- 白山神社の御祭神。
- 菊理姫神?
- 櫛名田姫神
- 農耕神。夫婦円満の神。祇園社の妃神。
- 久志宇賀主
- ①父:神聞勝 母:不明②子供:国摩大鹿島③常陸風土記
- 国摩大鹿島
- ①父:久志宇賀主 母:不明②子供:臣狭山・大楯(鹿島大宮司・春日社家)・相鹿津臣③常陸風土記④11垂仁天皇朝神宮鎮座(伊勢神宮)に際しその祭主に任命された。これより以降その子孫である中臣氏に継承された。(北畠親房「職源抄」)しかし、記紀にはこの記事なし。倭姫内親王の大神奉祀祭の御道駅使に任じられた。(紀)⑤記紀記事:垂仁朝に五大夫に任命された。(物部十千根・大伴武日・和邇氏・阿部氏)
- 国常立尊
- →国之常立神
- 国底立尊
- →国之常立神
- 国之常立神
- 日本書紀で最初に出てくる神。・別天神である天之常立神の名の上での対偶神・天地開闢の最初に現れた神世七代の第一神神世七代(かみよななよ)の神々系譜:神世七代の第一代目の神神格:国土形成の根源神、国土の守護神 国土が形成されつつあるときに生まれた神である。 「国」は天に対する地の意味であり、また「常」は、底と同じ意味で、この神と機能的に対応する神として天之常立神(アメノトコタチノカミ)がいる。 国之常立神は、宇宙が誕生し、国土がまだ混沌としてどろどろの状態のときに登場し、泥土を凝集させて生命力(神霊)が宿る大地を形成したとされる。 日常的にはあまり馴染みのない部類に属する神であるが、神のランクとしては、万物の生命活動の源泉に位置し、日本の神々の最高位のグループに含まれる。 国土創世神話に登場する根源神は、ほとんどがその役割だけが述べられていて、特に目立った活動はしていない。 それだけに、具体的なイメージとしてとらえにくいというのはこの神にもいえることであるが、それでもわずかな手がかりからその特徴を探ると、この神は、男女の性別のない独神(ヒトリガミ)である。 さらに、最初に現れた様子は、まだ天地が固まらず、浮き漂っているような状態の中に、葦の芽が泥の中から生えたような姿で現れたとある。 これは、我々には実在するものとして当たり前に感じられる国土が、産の中から初めて宇宙に存在することになった、その初源をイメージしたものと考えられる。 国之常立神は、太元・元始・元神といった形で、日本の心的世界の中核を形成する「宇宙の本源神」的な存在とされている。 たとえば、大本教では、その根本神である「艮の金神(ウシトラノコンジン)」が国祖の神=国之常立神とされている。 国祖の神は、これまで隠れていたが時節の到来と共に出現して、世にはびこる悪神を除いて理想の新政をもたらす、というのがその神威である。
- 国御柱神?
- 熊野大神
- 熊野神社の御祭神。
- 熊野神?
- 闇淤加美神
- 水の神・龍神様。
- 闇霎神?
- 家都美御子大神?
- 気比神?
- 事代主神
- 恵比須様の候補の一。託宣の神。
- 興澄魂
- ①父:市千魂 母:不明②子供:天児屋根命 別名:興澄魂霊神・興台産霊子・居々登魂命妻:許登能麻遅姫(天背男命女)異説:浅加姫(豊受大神女・経津主命妹・武甕槌命姪)
- 木花咲耶姫神
- 富士山の神様。
- 木花咲耶姫命?
- 木花知流姫神
- 花は咲けば散る。
- 金神
- 恐怖の神?
- 金比羅神?
- 金比羅様
- 船の守り神
- 佐太大神
- 出雲の大神。
- 猿田彦大神
- 道の神。道祖神。天狗。
- 猿田彦神?
- 三十番神
- 月の毎日の守護神。
- 三宝荒神
- 竃の神。各家庭の台所を守る神。
- 塩土老翁神?
- 下照姫神
- 安産の神様。
- 七福神?
- 庶民に信仰される福の神。
- 白山姫神
- 白山神社の御祭神。
- 神功皇后?
- 神武天皇
- 菅原道真?
- 少彦名神
- 大国主神と一緒に国土開発。薬の神。小人神。
- 須佐之男神
- ヤマタノオロチを倒した荒ぶる神。祇園の神。
- 素盞鳴尊?
- 須比智邇神
- 別名沙土 尊(すいじにのみこと):沙土煮尊(すいじにのみこと):沙土根尊(すいじねのみこと):泥土根尊(すいじねのみこと):砂土煮尊(すいじにのみこと)……天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第三の神。 宇比地邇神と須比智邇神は、最初の男女の神。『日本書紀』では、天地の最初に生まれた国常立尊、国狭槌尊、豐雲野尊に続いた 神世七代の第四代の神。宇比地は泥土、須比智は砂土で、土砂を神格化した神。大地を鎮める盛り土の神とする説もある。泥土根尊と書いて「ういじねのみこと」と読む場合も「すいじねのみこと」と読む場合もあるらしい。
- 住吉三神?
- 住吉の神
- 海上交通の守り神。
- 千姫?
- 徳川秀忠とお江の長女。二歳のとき豊臣秀吉の命で豊臣秀頼と婚約秀吉の没後に七歳で秀頼に嫁ぎ大阪城に入った大坂城内では淀殿から敵方の娘として扱われ、不自由な生活を送った大坂の陣で大阪城が落城する前に徳川家に戻ったその後桑名城主・本多忠政の子・本多忠刻と再婚。その間、千姫を助けた坂崎直盛の強奪事件が起こった長女・勝と長男・幸千代を産むが、幸千代は三歳で没し、忠刻も病死した江戸に戻り出家して天寿院と号す。江戸城内竹橋に屋敷をもらい、五百石が下され余生を過ごした
- 造化三神
- 天之御中主神、高御産巣日神と神産巣日神のの三柱を、「造化三神」と呼ぶ。
- だいこく様?
- 福の神。
- 高淤加美神
- 水の神・龍神様。
- 高霎神?
- 高木神
- →高御産巣日神
- 高照姫神
- 高天彦神
- →高御産巣日神
- 高皇産霊
- →高御産巣日神
- 高御産巣日神
- 高天原の根本神。天之御中主神のつぎに高天原に現れた神。造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱神格:天神地祗の祖神、生成力の本源神、高天原の最高指令神 天地の始めに天之御中主神、神産巣日神とともに高天原に現れた神で、特に神産巣日神(女性的神格)とは一対の神格として男女の産霊(ムスビ)の神とされる。一般にこの神は、世界にあまねく満ちている”ものを産み出す生成力”を神格化したもので、名前の「産霊」は生産、生成を意味することばである。高御産巣日神が、豊穣を祈る皇室の祭祀である大嘗祭のときに神聖な稲穂を収穫する斎田の傍らに祀られたり、春に豊作を祈願する祈年祭(トシゴイノマツリ)に祀られたりすることからもうかがえるように、本来、農耕、生産に深く関係している神霊である。 また、高御産巣日神神は「日本書紀」の顕宗天皇の条に、その事績として「天地を鎔造した功あり」と記されている。鎔造とは金属を溶かして型にはめてものを作ることであり、日本の金属文化とも関わりの深い神としての姿もうかがえる。つまり、金属を鍛造して農具や武器などを作り出す文化を司る神格でもあるということだ。とくに、金属の農具の登場は、古代において作物の生産力を飛躍的に発展させたわけであるが、そうしたことにも高御産巣日神の「産霊」の力が関係していると考えていいだろう。 ところで、神話のなかで高御産巣日神は「天孫降臨」「国譲り」「神武東征」などの場面にしばしば登場。天照大神とともに高天原の政治の司令神として種々の命令を発動したりして、行動はなかなか活発である。その活動ぶりを見ると、大変に政治色が強く、長老的な政治手腕に長けており、いってみれば得意技は巧みな根回しの術ということになる。 たとえば、娘の栲幡千々姫命を天照大神の御子の天忍穂耳神と結婚させ、二人の間に皇室の祖先神の正統に連なる邇邇芸命を出生させている。これなどは、政治権力者のサバイバルの常套手段である。また、天孫降臨に先立って、天孫邇邇芸命の安全を期すために、あらかじめ葦原中津国(地上)の平定を画策し、天若日子神や武甕槌神を派遣して圧力をかける。あるいは、のちに大和に信仰した神武天皇のもとに神剣を下し、八咫烏を派遣するなどしてその大和政権樹立の偉業達成を援助している。このように、高御産巣日神は高天原の司令神として祭事、政治、軍事を司る実力者である。 人間関係をうまくやりたい、交渉ごとなどを成功させたいと思う人は、この神にお願いするといいだろう。
- 高皇産霊尊
- →高御産巣日神
- 栲幡千々姫命?
- 健磐龍神?
- 武内宿禰
- 建御雷之男神
- 鹿島神宮の神。
- 武甕槌神?
- 建御名方神
- 諏訪大社の神。
- 蹈鞴五十鈴姫神
- 事代主神の娘。神武天皇の后。
- 田の神
- 玉依姫神
- (日向)神武天皇のお母さん。(賀茂)下鴨神社の御祭神。(上総)上総一宮の御祭神。
- 玉依姫命?
- 足島神?
- 仲哀天皇
- 月読神
- 月の神。
- 角杙神
- 天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第四の神。 角杙神と活杙神は、男女の神。『日本書紀』では、神世七代には含まれていない。杙は棒状の杭で、境界を表わす神。
- 津速産霊神
- ①父:なし 母:なし②別名:津速魂 兄:高皇産霊神(高天原)弟:神皇産霊神(出雲)③伊弉諾尊・伊弉冉尊と同時代の神?造化の神
- 天狗
- 人々に知識を与えてくれる山の者。
- 天神様
- 学問の神様。
- 道祖神
- 村の境界の守り神。
- 豊雲野神
- 別名豊斟渟尊(とよくむのみこと):豊国主尊とよくにぬしのみこと():豊組野尊(とよくむののみこと):豊香節野尊(とおよかぶののみこと):浮経野豊買尊(うかぶののとよかうのみこと):豊国野尊(とよくにののみこと):豊齧野尊(とよかぶののみこと):葉木国野尊(はこくにののみこと):国見野尊(くにみぬのみこと):見野尊(みののみこと):……天地開闢の神々の一柱。『古事記』では、国之常立神に続いて天地開闢の最初にあらわれた神世七代の第二の神。この神も配偶神をもたない単独の神。『日本書紀』では、天地の初めに、国常立尊、国狭槌尊に続いて生まれた神で神世七代の第三の神。 この三柱の神は陽気だけを受けて、ひとりでに生じた男性神。大地創成のはじめ、浮脂の如く漂っていたものが、次第に固まる状態をあらわした神。 豊は大の意。雲は籠る・組むで、群がり固まるの意味。 また、豊かに富み足りた国の意味をあらわす神。
- 豊受大神
- 伊勢の神宮外宮の神。
- 豊玉姫神
- 海の宮のお姫様。
- 豊玉姫命?
- 泣沢女神?
- 梨津臣
- ①父:伊香津臣 母:不明 天女?②子供:神聞勝・建稲穂・建御世狭名・兄勝(武藏卜部氏・伊豆卜部氏)弟勝(常陸卜部氏) 別名:梨跡臣・梨迹臣命③近江風土記。
- 梨迹臣?
- 那志等美
- 奈是理媛?
- 饒速日尊?
- 邇邇芸命
- 天孫降臨の主役。天照大神の孫。兄は天火明神。農業神、稲穂の神。邇邇芸命は、有名な天孫降臨神話の主役である。そのあらましについては、天孫降臨を参照していただきたい。 神名のニニギは稲穂がにぎにぎしく成熟することを意味している。天から降った神聖な稲穂が立派に成長し、やがて豊に実るようすこそ古代の人々がこの神に託したイメージである。邇邇芸命が地上に降り立つ姿というのは、地上における稲種の起源を象徴しているのである。 弥生時代以来、稲作農耕を基盤とする社会では、生活の糧をもたらしてくれる稲種を非常に神聖なものととらえ、人々はそこに宿る霊を神として崇め、春秋の季節ごとに必ず祭りを行うようになった。たとえば、秋には田に稲を積んで野外の祭壇を作り、稲の精霊の再生を祈る儀式を行った。そうやって毎年毎年、稲の精霊が豊かな実りをもたらしてくれることを願ったのである。邇邇芸命とは、そうやって人々が祀り、毎年新しい生命力を宿して誕生してくる稲種の霊だったのである。 以上のような本来の稲種の神と同時に、もうひとつ、天孫降臨神話に象徴されているのが、高天原と地上とをつなぐ特別な神としての機能である。その特別な機能とは、皇室の祖神である天照大神の孫()として地上に降臨し、歴代の天皇の祖先神になったという点だ。そこから天孫降臨神話が、天皇家の日本統治を正当化する理論的な根拠を示す神話であるといわれているのである。 しかし、天孫降臨の項にも述べたとおり、私自身はどうしても神話が理論的に感じられない。私の脳に欠陥があるのではなく、世の大半の人々も同じ意見だと私は信じている。私はどの民族のものでも神話が好きだが、それはあくまでそれが神話であるからである。私がこのサイト全般で扱っている内容がすべて神話でなく史実だというのならば、私の人生は身体を流れる日本人の血をすべて抜き出してまっとうな人間の血を入れ直すことから始めなければならない。私は、自分が無力な人間であるということに誇りを持っているつもりだ。さて、戻ろう。邇邇芸命は、皇室の祖神である天照大神の孫として地上に降り、歴代の天皇の祖先神になった神である。その天皇家の有名な宝物として、邇邇芸命が高天原から地上に降りるときに天照大神から授けられた八咫鏡、草薙剣、八坂瓊勾玉がある。いわゆる三種の神器と呼ばれるもので、皇位継承の時に天皇の位を示す重要なシンボルである。 そもそも三種の神器というのは、稲穂の神である邇邇芸命が地上で活動するための助けになるように天照大神が授けたものである。それぞれの詳細についてはそれぞれの項に譲るとして、ざっと眺めていこう。まず、鏡は太陽の光を反射するものであり、古代においては農耕の守護神である太陽神を祀る最も重要な祭器だった。つまり太陽神である天照大神の御霊代(ミタマシロ=神霊の依り代)なのである。次に草薙剣は、素盞鳴尊が八岐大蛇退治で獲得した宝剣である。蛇は田の神、水の神とも関係の深い水神、龍神であり、稲作と密接に関係する。もうひとつの八坂瓊勾玉は、伊邪那岐命が高天原の統治権の象徴として天照大神に授けたもので、「古事記」にその名が「御倉板挙(ミクラタナ)の神」とある。これは神聖な稲種が収納される蔵に祀られる神のことであり、稲種を守り翌年の豊穣をもたらす機能を持っていると考えられる。 以上のように、3つの宝物はそれぞれが稲作農耕と深く関係する。実際に、稲作が生活の基盤となった弥生時代の豪族の首長の古墳からは、鏡、玉、剣の三種が副葬品として発見されるのが多いということも、この3点セットがそうした意味合いを持っていることを裏付けている。稲作農耕を基盤とする社会において、鏡、玉、剣の3点セットは穀物の豊穣を司る神々との重要な交信手段(祭器)だったのである。それを所持することがすなわち統治者の証でもあった。当時は祭政一致の社会であり、支配者である首長は人々の生活基盤である五穀の実りを司る神との交信(祭祀)を独占することによってその権威を確立させたのである。天忍穂耳尊━━━瓊瓊杵尊━┳━火明命 ┣━火闌降命 ┗━彦火火出見尊ににぎのみこと 生没年: 父:天忍穂耳尊 別名:天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子 天孫降臨 妻:木花之開耶(父:大山祇神) 火明命 火闌降命 彦火火出見尊
- 瓊瓊杵尊
- →邇邇芸命
- 根烈神?
- 根裂神?
- 根拆神?
- 根柝神?
- 八幡神
- 武運の神。
- 埴安彦神?
- 埴安姫神?
- 彦火瓊瓊杵命
- →邇邇芸命
- 日子穂穂出見命
- 神格:穀霊神、稲穂の神日子穂穂出見命は、幼名を火遠理命、別名を山幸彦といい、有名な海幸彦・山幸彦神話の主人公である。 実の兄、海幸彦の釣り針をなくしてしまった山幸彦は、兄によって家を追われたあと海神の宮へと赴き、海神の娘と結婚して霊力を授かり、陸地に戻って兄に復讐するという物語である。 神話の詳細は別項の海幸、山幸神話に述べたので省略する。 ここでの海幸、山幸の「幸」というのは、もともと狩猟採取時代に海や山の獲物を捕るための道具だった弓と矢、釣り針を意味している。 道具は、狩猟民や漁民にとって豊富な獲物を保証する霊力のしるしだったのである。 だから、この兄弟は海と山の恵みを司る神ということになる。また、この物語は一種の英雄誕生説話である。 若者が海底の竜宮へ行って美しい姫に出会い、神秘的な呪力を得て弱者から強者へと変化、地上に戻って敵対者にうち勝って支配者となるというモチーフは、海洋民族系統の神話伝承として世界的な広がりを持つものである。 一般に馴染みのある山幸彦というのは、あくまでもこうした冒険とロマンの英雄像なのである。 しかし、このような面は神社の祭神としての日子穂穂出見命の一面でしかないといえるだろう。日子穂穂出見命は、高天原から地上に降ってきた天孫邇邇芸命の三人の子供のうちの末子である。 これら三人の子供の名前にはいずれも火と穂を意味する「ホ」という字が使われている。 火が盛んに燃えるときの炎の様子が、稲穂のすくすくと成長し、実る姿と結びつけられたもので、末子の日子穂穂出見命の幼名である火遠理とは、炎が衰える様子、つまり稲穂が実って頭を垂れる姿を象徴している。また、日子穂穂出見命は神話にあるように海神の庇護を受け、その娘の豊玉姫命と結婚する。 それだけでなく、海神から超能力的な偉大なパワーをも授かっている。 それは、日子穂穂出見命が海神的な霊力を継承していることを示すものである。 そもそも海幸、山幸神話には、古代の海人(アマ)族の伝承が含まれているともいわれている。 そのことから、古くからあった漁民集団の海神信仰と穀霊に対する信仰が結びついた、というのがこの神の原像と考えられているのである。 だからこの神は、農業の守護神であると同時に漁業の守護神でもあるという、ふたつの性格を持つ神ということになる。なお、農業の守護神としての日子穂穂出見命は、民俗信仰では虫除けの神として崇められている。 稲を食い荒らすイナゴ、ウンカなどを退治する稲の守り神としても霊力を発揮しているのだ。 たとえば福井県武生市の大虫神社の祭文には、昔、国中に害虫が発生して人畜、作物に被害が出たとき、神威によってこれを駆除したと伝わっている。
- 一言主神
- 託宣の神か。
- 蛭子神?
- 福助
- 商売繁盛。
- 経津主神
- 葦原中国平定の実行者。剣の神。
- 弁才天?
- 弁財天?
- 弁天?
- 火遠理命
- 山幸彦。邇邇芸命と木花咲耶姫の三男。神武天皇の祖父。
- 火照命
- 海幸彦。邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
- 招き猫
- 人やお宝を招く。
- 大御気津臣
- ①父:宇佐津臣 母:不明②子供:伊香津臣・建御合・大期弊美(恩地神主家)・水臣
- 三島明神
- 伊豆の三嶋大社におられる神。
- 溝咋姫神
- 事代主神の后。神武天皇の后の母。
- 罔象女神
- 水を司る神。雨乞いの神。
- 宗像三女神?
- 宗像の神
- 海上交通の神様。水の神様。
- 迷企羅?
- 矢乃波波木神?
- 山幸彦
- 邇邇芸命と木花咲耶姫の三男。神武天皇の祖父。
- 日本武尊
- 倭迹迹百襲姫神?
- 山の神
- 龍神?
- 若宇加能売命?
- 稚日女神?
- 稚産霊神?
- 綿津見の神
- 海の神様。