人名ほ

穂田元清(ほいた もときよ) 1551~1597
備中・猿掛城主穂田元資の養子となり東方の戦に活躍した。 1578年、尼子氏臣山中幸盛の拠る播磨・上月城を陥落させ、1582年には侵攻してきた羽柴秀吉の軍と戦っている。1589年広島城及び城下の普請奉行を務める。
火遠理命(ほおりのみこと) 
山幸彦邇邇芸命と木花咲耶姫の三男。神武天皇の祖父。
法華津則延(ほけつ のりのぶ) ????~1575
南伊予豪族。豊後に流されていた一条兼定の土佐奪還に協力するが、土佐・長宗我部軍と戦い敗死した。
保科正俊(ほしな まさとし) 1509~1592
信濃・高遠城主。1552年頃甲斐・武田氏に仕える。武田氏滅亡後は三河・徳川氏に仕えた。武勇に優れ、槍を得意としたことから、"槍弾正"と呼ばれた。
火照命(ほでりのみこと) 
海幸彦邇邇芸命と木花咲耶姫の長男。
本城常光(ほんじょう つねみつ) ????~1561
 出雲・尼子氏臣。一時、周防・大内氏に仕えるが帰参する。石見・大森銀山を支配し安芸・毛利氏の侵攻を撃退する。後に出雲での加増を条件に毛利に降り、他の尼子方国人衆が毛利氏に次々と寝返るきっかけとなる。その後傲慢な振る舞い多く、謀殺された。