伊達政重

伊達政重

国分盛重

伊達家

国分盛重

こくぶん もりしげ
 1553~1615

別:
伊達氏 彦次郎 九郎 政重 三河守 能登守
父:
伊達晴宗 養父:国分弾正盛顕
子:
国分実永、古内主膳重広

出羽・伊達氏一族だが、国分氏に入嗣し、第17代当主となって伊達氏に帰属する。しかし、家中の反伊達勢力を一掃することができず、その治世は不安定であった。1585年人取橋の合戦では自ら3百の兵を率いて功を挙げる。奥州仕置後、蒲生氏郷の政宗に対する疑念を解くため、蒲生方の人質になった。いつ頃からか当主政宗と不和でなったようで、1599年岩出山城に呼び出された時、病と称して断わったところ、謀反を疑われ攻められ、常陸・佐竹氏を頼って落ちた。以後、佐竹家重臣として1602年佐竹氏の秋田移封にも従い、横手城主1千石を得た。大坂冬の陣に従軍して今福の戦いで先鋒として奮戦したが、夏の陣では病気の為従軍できず。


   伊達晴宗━━━国分盛重
養父:国分盛顕───国分盛重━┳━国分実永
               ┗━古内重広