六角義賢

六角義賢(ろっかく よしかた)
1521~1598 
○四郎 承禎 左京大夫

父・六角定頼
室・畠山修理大夫義総女、土岐頼芸女
子・六角義治六角義定

 近江・六角氏第13代当主。姉が管領細川晴元正室であったことから、流亡する将軍足利義晴足利義輝を助け摂津・三好氏と度々戦い、また北近江・浅井氏とも争い一時は臣従させる。しかし、家臣団との内紛があって統率力は弱まっていたため、奈良から脱出してきた足利義昭を庇護しきれず、後に、義昭を奉じて上洛する尾張・織田氏に反抗して敗れた。その後も、浅井、本願寺勢らと結んで織田信長に抵抗するが、制圧され1570年降伏した。その後、甲賀、伊賀方面でゲリラ活動を展開するがかなわず、本願寺に身を寄せたとも。宇治田原にて病死する。日置流弓術の奥義を修得した腕を持っている。


六角高頼┳六角氏綱
    ┗六角定頼六角義賢六角義治━養子・佐々木定治(大原定治)
              ┗六角義定

六角家