前田家(大聖寺藩)

江戸大名公家

前田家 大聖寺藩  大聖寺梅鉢    10万石
加賀江沼郡大聖寺(石川県加賀市) 外様 城主

移封加減増履歴 ・寛永16年→加賀江沼郡越中新川郡の内7万石・万治3年→加賀江沼郡能美郡の内7万石・文政4年→10万石
専売品&専売開始年・九谷焼(嘉永頃)
江戸城詰席・大広間 侯爵 上屋敷・下谷池之端
参勤・14日ほどの道中、行列数は270人前後
人口・城下町方3611人

                      7歳以上、文化元年(1804)現在

 

藩祖・利治(としはる)
加賀藩前田利常の三男 母は将軍秀忠の娘  
生没・元和4年(1618)~万治3年(1660)
寛永16年(1639)加賀藩2代利常の隠居に際して、7万石を分与される
従四位下侍従兼飛騨守
正室・米沢藩上杉定勝の娘
子女・養子利明(2代)

2代・利明(としあき)
加賀藩利常の五男 母は某氏  
生没・寛永14年(1637)~元禄5年(1692)
家督・万治3年(1660)相続
従四位下飛騨守
正室・米沢藩上杉定勝の娘
継室・岡崎藩本多忠勝の孫忠義の娘
子女・女子→丹波亀山松平信庸室 3代利直
女子→水野忠周室(忠周は信濃松本藩主、子孫は刃傷事件を起こし除封となるも、名跡相続が許され沼津藩水野家として存続) 女子→八戸藩南部通信室
女子→新発田藩溝口重元室 利昌(別家)

3代・利直(としなお)
利明三男 母は某氏 
生没・寛文12年(1672)~宝永7年(1710)
家督・元禄5年(1692)相続

元禄8年(1695)御手伝普請として大久保・中野に犬小屋を建造(敷地16万坪の中野では、25坪の犬小屋290棟・7.5坪の日除場295棟・子犬養育所 459ヵ所設置)、これによって財政が困窮、藩主となって間もない若い利直と村井主殿が、藩政改革において、功臣とされる神谷守政と対立、本家加賀藩の裁決で村井は切腹、神谷は加賀藩召喚となる、この事件は「元禄騒動」と呼ばれる

宝永6年(1709)新田1万石を分与した弟利昌が、新将軍家宣の上野寛永寺参拝において勅使接伴役となるも、反目していた大和柳本藩織田秀親を寛永寺奥書院で刺殺、その後自裁という事件を起こす、が、藩にお咎めはなく、新田1万石は戻る

従四位下飛騨守
正室・鶴岡藩酒井忠義の娘
子女・養子利章(4代) 
女子→富山藩前田利興室 
女子→鶴岡藩酒井忠真養女

4代・利章(としあきら)
加賀藩前田綱紀の五男 母は某氏  
生没・元禄4年(1691)~元文2年(1737)
家督・正徳元年(1711)相続
正室・不詳 
子女・女子→加賀藩前田吉徳養女 
女子→松代藩真田信安室 5代利道

5代・利道(としみち)
利章長男 母は某氏    
生没・享保18年(1733)~天明元年(1781)
家督・元文2年(1737)相続
従四位下遠江守
安永7年(1778)隠居
正室・富山藩前田利隆の娘
子女・利貞 女子→喜連川藩喜連川恵氏室
6代利精 利物(利精養子、7代) 
女子→加賀藩前田治脩室 
利以(七日市藩前田利見養子)

6代・利精(としあき)
利道次男 母は某氏   
生没・宝暦8年(1758)~寛政3年(1791)
家督・安永7年(1778)相続
従五位下備後守
天明2年(1782)隠居
正室・不詳
子女・養子利物(7代) 利考(利物養子、8代)

7代・利物(としたね)
利道三男 母は某氏   
生没・宝暦10年(1760)~天明8年(1788)
家督・天明2年(1782)相続
正室・富山藩前田利幸の娘
子女・養子利考(8代) 利之(利考養子、9代)

8代・利考(としやす)
利精長男 母は某氏  
生没・安永8年(1779)~文化2年(1805)
家督・天明8年(1788)相続
正室・新発田藩溝口直温の子直信の娘
子女・養子利之(9代)

9代・利之(としこれ)
7代利物の次男 母は某氏  
生没・天明5年(1785)~天保7年(1836)
家督・文化3年(1806)相続
文政4年(1821)本家加賀藩11代斉広の願い出により10万石格となる
従四位下侍従
正室・鶴岡藩酒井忠徳の娘
子女・10代利極 利平(利極養子、11代)
女子→鶴牧藩水野忠順室 
女子→高槻藩永井直輝室
10代・利極(としなか)
利之次男 母は某氏   
生没・文化9年(1812)~天保9年(1838)
家督・天保8年(1837)相続
従四位下駿河守
正室・加賀藩前田斉広の娘
子女・養子利平(11代)

11代・利平(としひら)
利之五男 母は某氏       
生没・文政6年(1823)~嘉永2年(1849)
家督・天保9年(1838)相続
従四位下備後守
正室・浜松藩井上正春の娘
子女・養子利義(12代)

12代・利義(としのり)
加賀藩前田斉泰の三男 母は某氏    
生没・天保4年(1833)~安政2年(1855)4月
家督・嘉永2年(1849)相続
従四位下備後守
正室・富山藩前田利保の娘
子女・養子利行(13代)

13代・利行(としみち)
加賀藩前田斉泰の五男 母は某氏 
生没・天保6年(1835)~安政2年(1855)10月
家督・安政2年(1855)相続、利義の養嗣子となっていたため、幕府へ利義の死没に際し利行の相続を届け出たが、利行はすでに死没していた、この死は秘匿され、届出は安政3年正月死没となっている
正室・なし
子女・養子利鬯(14代)

14代・利鬯(としか)
加賀藩前田斉泰の七男 母は某氏 
生没・天保12年(1841)~大正9年(1920)
家督・安政2年(1855)10月相続
従四位下侍従兼飛騨守
正室・富山藩前田利保の娘