北条氏規

北条氏規(ほうじょう うじのり)
1545~1600
別:助五郎 左馬佐 美濃守
父:北条氏康
室:北条綱成
子:北条美濃守氏盛、菊千代、勘十郎、松千代
 相模・北条氏一族。伊豆・韮山、相模・三崎城主。幼少時は駿河・今川氏に人質として赴き、その際同じ境遇だった松平元康(徳川家康)と親交を持つ。1576年甲相越三国同盟を成立させ、豊臣、徳川等の他氏との交渉にあたり、外交手腕に優れていた。また、氏政、氏照ら兄と違い、親徳川、豊臣派であった。1588年当主氏直に代わり上洛、和睦に尽力する。小田原征伐の際は、韮山城に籠もるが徳川家康の説得で開城、氏直に和平を説く。戦後は氏直に従い高野山に入った。裔は狭山藩主として存続。
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北条氏綱━━━北条氏康━┳━北条新九郎
            ┣━北条氏政━━━北条氏房
            ┣━北条氏照━━━北条采女(養子)
            ┣━北条氏邦
            ┣━北条氏規━━━━━━━┳━北条氏盛
            ┣━北条六郎       ┣━菊千代
            ┣━(佐野)左衛門佐氏忠 ┣━勘十郎
            ┣━右衛門佐氏光     ┗━松千代
            ┗━北条氏秀(上杉景虎