反正天皇

反正天皇は、淡路島で生まれた。生まれつき歯が一本の骨のようであり、また産湯の井戸の中に多遅の花があったことから多遅比瑞歯別命(たじひのみずはわけ)と称えたという。(多遅とはイタドリのこと)
称号 第18代 反正天皇(はんぜいてんのう)
名前 多遅比瑞歯別命(たじひのみずはわけ)・瑞歯別尊(みずはわけ)
親族 父=仁徳天皇(にんとくてんのう)
母=磐之媛命(いわのひめ)
皇后=津野媛(つぬのひめ)
皇居 丹比柴籬宮(たじひのしばがき)大阪府松原市上田町

柴垣神社-この付近に丹比柴籬宮があった

柴垣神社境内
陵墓 陵名 百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
  古墳 田出井山古墳・盾井古墳
  形状 前方後円墳、堀
  所在 大阪府堺市北三国ヶ丘町

略歴(5世紀)
401-辛丑-履中02年01月04日 立太子
405-乙巳-履中06年03月15日 履中天皇が崩御
406-丙午-反正01年01月02日 即位
406-丙午-反正01年08月06日 津野媛(つぬのひめ)を皇后とする
406-丙午-反正01年10月 河内の丹比に丹比柴籬宮(たじひのしばがき)を造る
410-庚戌-反正05年01月23日 丹比柴籬宮正殿で崩御
416-丙辰-允恭05年11月11日 百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)に葬られる