古事記 下-2

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古事記 下の卷

二、履中天皇反正天皇

履中天皇とスミノエノナカツ王
――大和の漢氏、多治比部などの傳承の物語。――
 御子のイザホワケの王(履中天皇)、大和のイハレの若櫻の宮においでになつて、天下をお治めなさいました。この天皇、葛城のソツ彦の子のアシダの宿禰の女の黒姫の命と結婚してお生みになつた御子は、市の邊のオシハの王・ミマの王・アヲミの郎女、又の名はイヒトヨの郎女のお三方です。
 はじめ難波の宮においでになつた時に、大嘗の祭を遊ばされて、御酒にお浮かれになつて、お寢みなさいました。ここにスミノエノナカツ王が惡い心を起して、大殿に火をつけました。この時に大和の漢の直の祖先のアチの直が、天皇をひそかに盜み出して、お馬にお乘せ申し上げて大和にお連れ申し上げました。そこで河内のタヂヒ野においでになつて、目がお寤めになつて「此處は何處だ」と仰せられましたから、アチの直が申しますには、「スミノエノナカツ王が大殿に火をつけましたのでお連れ申して大和に逃げて行くのです」と申しました。そこで天皇がお歌いになつた御歌、

タヂヒ野で寢ようと知つたなら
屏風をも持つて來たものを。
寢ようと知つたなら。

 ハニフ坂においでになつて、難波の宮を遠望なさいましたところ、火がまだ燃えておりました。そこでお歌いになつた御歌、

ハニフ坂にわたしが立つて見れば、
盛んに燃える家々は
妻が家のあたりだ。

 かくて二上山の大坂の山口においでになりました時に、一人の女が來ました。その女の申しますには、「武器を持つた人たちが大勢この山を塞いでおります。當麻路から※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて、越えておいでなさいませ」と申し上げました。依つて天皇の歌われました御歌は、

大坂で逢つた孃子。
道を問えば眞直にとはいわないで
當麻路を教えた。

 それから上つておいでになつて、石の上の神宮においで遊ばされました。
 ここに皇弟ミヅハワケの命が天皇の御許においでになりました。天皇が臣下に言わしめられますには、「わたしはあなたがスミノエノナカツ王と同じ心であろうかと思うので、物を言うまい」と仰せられたから、「わたくしは穢い心はございません。スミノエノナカツ王と同じ心でもございません」とお答え申し上げました。また言わしめられますには、「それなら今還つて行つて、スミノエノナカツ王を殺して上つておいでなさい。その時にはきつとお話をしよう」と仰せられました。依つて難波に還つておいでになりました。スミノエノナカツ王に近く仕えているソバカリという隼人を欺いて、「もしお前がわたしの言うことをきいたら、わたしが天皇となり、お前を大臣にして、天下を治めようと思うが、どうだ」と仰せられました。ソバカリは「仰せのとおりに致しましよう」と申しました。依つてその隼人に澤山物をやつて、「それならお前の王をお殺し申せ」と仰せられました。ここにソバカリは、自分の王が厠にはいつておられるのを伺つて、矛で刺し殺しました。それでソバカリを連れて大和に上つておいでになる時に、大坂の山口においでになつてお考えになるには、ソバカリは自分のためには大きな功績があるが、自分の君を殺したのは不義である。しかしその功績に報じないでは信を失うであろう。しかも約束のとおりに行つたら、かえつてその心が恐しい。依つてその功績には報じてもその本人を殺してしまおうとお思いになりました。かくてソバカリに仰せられますには、「今日は此處に留まつて、まずお前に大臣の位を賜わつて、明日大和に上ることにしよう」と仰せられて、その山口に留まつて假宮を造つて急に酒宴をして、その隼人に大臣の位を賜わつて百官をしてこれを拜ましめたので、隼人が喜んで志成つたと思つていました。そこでその隼人に「今日は大臣と共に一つ酒盞の酒を飮もう」と仰せられて、共にお飮みになる時に、顏を隱す大きな椀にその進める酒を盛りました。そこで王子がまずお飮みになつて、隼人が後に飮みます。その隼人の飮む時に大きな椀が顏を覆いました。そこで座の下にお置きになつた大刀を取り出して、その隼人の首をお斬りなさいました。かようにして明くる日に上つておいでになりました。依つて其處を近つ飛鳥と名づけます。大和に上つておいでになつて仰せられますには、「今日は此處に留まつて禊祓をして、明日出て神宮に參拜しましよう」と仰せられました。それで其處を遠つ飛鳥と名づけました。かくて石の上の神宮に參つて、天皇に「すべて平定し終つて參りました」と奏上致しました。依つて召し入れて語られました。
 ここにおいて、天皇がアチの直を大藏の役人になされ、また領地をも賜わりました。またこの御世に若櫻部の臣等に若櫻部という名を賜わり、比賣陀の君等に比賣陀の君という稱號を賜わりました。また伊波禮部をお定めなさいました。天皇は御年六十四歳、壬申の年の正月三日にお隱れになりました。御陵はモズにあります。

反正天皇
 弟のミヅハワケの命(反正天皇)、河内の多治比の柴垣の宮においでになつて天下をお治めなさいました。天皇は御身のたけが九尺二寸半、御齒の長さが一寸、廣さ二分、上下同じように齊つて珠をつらぬいたようでございました。
 天皇はワニのコゴトの臣の女のツノの郎女と結婚してお生みになつた御子は、カヒの郎女・ツブラの郎女のお二方です。また同じ臣の女の弟姫と結婚してお生みになつた御子はタカラの王・タカベの郎女で合わせて四王おいでになります。天皇は御年六十歳、丁丑の年の七月にお隱れになりました。御陵はモズ野にあるということです。